第15話「ポケットの中の夢」

 僕の悪いくせは、夢中になるとまわりが見えなくなることだ。


 学校の図書室でも、問題を解くのに集中していると帰りのチャイム――最終下校時刻が十七時半で、十分前にチャイムが鳴る――に気づかないことがある。

 声をかけられてあわてて帰りの支度をすることもあるけれど、橘さんはたまに気をつかって下校時間が過ぎても待っていてくれることもあり、そのときはすでに閉まっている正門からではなく、職員用の裏門まで送ってくれる。


 僕は、だから前方に気配を感じたときも、すごく無防備に顔をあげた。 

 視線の先には、用を足してすっきりした様子の男がいた。

 

 もといた場所に帰ってくる。当たり前のことなのに、とてもびっくりした。そして、すぐさましまったと思う。いつ戻ってくるかわからないのに、もう少し前を気にしているべきだった。そういえば前回とまるで同じ流れだな。


 男の顔に笑みはなく、でも怒っているわけでもなさそうだった。なんと形容するのが適切かわからないが、僕がいまここにいることに対する率直な疑問を表したような顔つきだった。なぜか、さっき見ていた車椅子に乗った女性のくしゃくしゃの笑顔を思いだした。


 立ち上がったところで、頭突き。二ヶ月前に体験した不可解な出来事が頭をよぎる。僕はまたゴンゴンと、男の卵型の頭部にノックアウトするのだろうか。それは嫌だ。受験をすっぽかして前回の二の舞だなんて、そんなのあんまりすぎる。

 どうする、どうする。一瞬の間に思考が脳を駆けめぐる。でも、良い策が見つからない。男がつぶやいていた奇妙な言葉たちが、思考をさまたげた。




「アイ・ハヴァ・バッグ」


 立ち上がり、右手にトートバッグを持って言った。もうやけくそだ。


「アイ・ハヴァ・ブック」


 続いて、手元のガイドブックを左手に持って言う。


「Oh, Book & Bag」


 本場の発音っぽい感じで口にだしながら、本とトートバッグを交差させる。われながら、なにをやっているんだろう。


 僕のピコ太郎モノマネが終わると、男はポケットをゴソゴソと探って、なにかを取りだした。




「アイ・ハヴァ・ペン」


 彼が右のポケットから取りだした赤ペンは、この前の夢のなかで使っていたものとまるで同じものだった。思わずぞっとする。


 すると、今度は左側のポケットに手をつっこみ、すっと取りだしてみせた。


「アイ・ハヴァ・ポインター」


 なんと、今度は指示棒。ポケットに収納可能なコンパクトサイズのそれを、男は引っぱって最大の長さにする。

 右手にペン、左手に指示棒。男は、いつもの愉快そうな笑みをうかべている。


 その場に荷物を置いたまま、僕は一目散に逃げだした。

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