第16話「奇妙な使命感」
司書は、カウンターにいなかった。
トイレにでも行ったのだろうか。肝心なときにいないなんて、これじゃあ助けを求めることもできない。
助けを求める必要があるのかは、実際よくわからない。彼は、きっと悪人ではないだろうから。なんの根拠もないのに、どうしてそう思うのかわからないけれど。
でも、あの男には前科がある。それに、なにを考えているのかまるで読めない。いまだって、右手にペン、左手に指示棒。ペンは先がとがっているし、指示棒なんてもろに凶器だ。夢のなかでやられたみたいに、顔にぐさりとペンをさされたり、ポインターでぶったたかれたりする可能性もあり得る。まあ、自発的に危険をおかしたのだからだれにも文句は言えないか。
「うわっ」
児童室の外にある水飲み場の横で、僕はすべって転んでしまった。
足もとを見ると、多数の水滴が飛び散っていた。どうしてこんなところに水が散るんだろう。まさか、ここで手を洗っているわけじゃあるまいし。
「やばい、逃げなきゃ!」
うしろからきき慣れた足音がしてふり向くと、男がこっちに近づいてきている。もちろん、ふたつの凶器も携帯中だ。
階段の前まできて、背後の足音がやんだのでもう一度うしろを見ると、男が水飲み場に左手を突きだしてひらひらさせていた。凶器は、右手にまとめられている。
「アンタかーい!」
男の意味不明な行動にはいまさら驚きもしないが、思わず離れた位置からツッコミをいれてしまう。おかげですっ転んだじゃないか、まったく。
なんて、悠長にコントしている場合じゃない。われに返り、あわてて階段を駆けおりた。それを見て、謎のルーティーン――かどうかは知らないけど――を終えた男が、どたどたと追いかけてくる。そこまで足が早いほうではないので、大人相手では追いつかれるのは時間の問題だろう。
一階は、二階の児童室とは異なりたくさんの人がいる。もちろん、司書の人も。だから、変な人が追いかけてくるから助けてとSOSを発信して大人の背後に隠れるのが賢明なところだろう。
僕は、でも五十メートル走の自己ベスト更新を目指して走っている人のようなフォームで一階を駆け、自動ドアをぬけて外にでた。
大人の力に頼って、身の安全を確保するのは簡単だ。
でも、それではいけないような気がした。自分で彼の世界に足を踏みいれたのだから、自分で解決する責任がある。
逃げだしておいてこんなことを思うなんて、矛盾もいいところだ。それでも、奇妙な使命感を抱えながら走り続けた。
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