第7話「複雑な気持ち」

「じゃあな池下!  明日の受験頑張れよ!」

 金曜日。都筑がいつもどおりのテンションで僕にエールを送る。

「そっか、いよいよ明日かー。バッチリ受かってこいよな!」

 彼の横でボールを抱えた小林が続けて鼓舞すると、教室にいたほかの生徒たちも遠くや近くから応援の言葉をくれた。


「うん、頑張るよ。サンキュー!」

 みんなの声援から、ほんの少しの間を置いて答えた僕の肩をポンとたたいて、都筑が小林たちと廊下に出た。 


 クラスのなかで、一人だけ私立の中学を受験するなんてどこか利口ぶっているようで、人によっては気にくわないと感じてしまいそうだし、場合によっては仲間はずれにされてもおかしくないと思う。日本人は周りに合わせて行動することに安心して、スタンドプレーを嫌う傾向があるからね。母さんや父さんの話をきく限り、どうやらそれは大人でも同じらしい。

 それなのに僕のクラスメイトはみんな優しくて、嬉しいような苦しいような、もしくはむずがゆいような複雑な感情が僕の頭のなかを駆けめぐっていく。ふと、秋に家庭科の調理実習で作った菜の花の天ぷらを思いだした。口のなかがむずがゆくなるような、苦くて馴染めない味だったっけ。


「覚くん。明日だよね、受験」

 席に座ったままぼうっとしていたら、山内さんが教室に戻ってきた。彼女は今日は日直で、職員室に学級日誌を出しに行っていたみたいだ。

「あっ、うん」

「いつも一生懸命勉強してる覚くんに、今さら頑張ってなんて言いにくいけど……ファイトっ」

 そう言ってはにかむ姿に、僕は胸はじわりじわりと高鳴っていった。

 可愛いというより綺麗というほうが似合う顔立ちだけど、今日の山内さんはとても可愛い。

「えっと……ありがとう。頑張るよ」

 なにか気のきいた返しをする余裕も技量も、いまの僕にはなかった。


「今日は金曜だから、これから塾?」

「ううん。今日は休講なんだ。でも、ちょっと図書室寄っていくかな」

「そっか。じゃあ、また来週ね」

 こういうとき山内さんは、じゃあ私も一緒に行くとか、終わるまで待ってるとか、そういうことを軽々しく言ってこない。

「うん、また来週」

「えっと……その……、寒いから、暖かくして寝てね」

 きまり悪そうに微笑んで、日直の仕事の続き――クリーナーにかけた黒板消しで、黒板全体を綺麗にする作業――をする。

 

 廊下を歩きながら、さっき山内さんはなにを考えていたのだろうと、僕は思いめぐらす。クリーナーのやかましい音が、別の教室からも響いてきた。

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