第6話「勉強場所」
夜、リビングで母さんが観ている安っぽい刑事ドラマをBGMに、図書室で借りた江國香織の『つめたいよるに』を読みながらふと考える(残念なことにわが家には自室というものがないので、勉強机もリビングに置かれている)。
夕方みた夢に出てきた男のことは、よく覚えている。
忘れようがなかった。彼には、実際に会ったことがある。しかも二度だ。
十一月の終わりまで、僕の放課後の勉強場所は、夢に出てきた市の図書館だった。火曜日と金曜日は塾があるから、それ以外の平日の三日間。
あまり思いだしたくはないのだけれど、二度目に会った時、あの男に頭突きされた。それも三連発。それが軽いトラウマになって、僕は図書館通いをやめた。
「試験来週だけど、勉強してる?」
ドラマがコマーシャルに入り、母さんが僕の方をふり向いて言った。
「うん。苦手な算数も克服して、塾の先生からも大丈夫だろうって言われてる」
「そう。まあ、頑張ってね。家でやりにくかったら、駅前のカフェとかでやってもいいよ。お金、出してあげるから」
駅前のカフェ。どこにでもあるチェーン店で、よく高校生や大学生が勉強している。図書館に行かなくなってから何度か行っていて、二百円ちょっとでドリンク――コーヒーは苦手なので、いつも紅茶かオレンジジュースだ――を頼めば二、三時間いても怒られないから、結構使える場所だ。それに小学生がカフェで勉強なんて、だいぶ異端な気がするけどなんかカッコいい。
「うん、ありがとう」
小説は、あまり頭に入ってこない。母さんが観ているテレビのせいだけではなかった。
単に勉強場所ということなら、学校の図書室でよかった。わざわざ、お金を使ってカフェに行く必要なんてない。土日はともかくとしても。
平日は六時までいられるから、帰る前のひと勉強としては十分だ。実際、図書室に自習しに行く日が、最近でも週に一回ぐらいはある。橘さんは例のアラフォーらしくない笑顔で、しつこくない程度に気づかって声をかけてくれるし、今日みたくほかにだれもいない時は、ときどきこっそりお菓子をくれたりもする。
僕は勉強が嫌いじゃない。むしろ、わりと好きなほうだと思う。
中学受験もお母さんからの提案があったとはいえ、決めたのは自分。将来なにになりたいかなんてまだわからないけど、それを見つけるためにもより良い環境で勉強したいと思った。すごく偏差値の高い難関校ではないものの、秋ごろ見学に行ったらとても綺麗な学校だったし――図書室も、小学校の倍以上の広さだった――、先生も生徒も温かい雰囲気で、ここで勉強してみたいと感じた。
でも、なんだかしっくりこない。
家に自分の部屋がないとか、図書館に変な男がいたとか、もしくはカフェで勉強するのがちょっとカッコよくみえるからとか、そんなのは言い訳でしかないような気がする。なんとなく学校から距離をおきたくなるのは、もっと別の理由がありそうな感じがした。
母さんと話し終えてから数分たつのに、同じページの同じ行ばかりをくり返し目で追いかけていることに気づいて、僕は小説をとじた。
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