第5話「頬につくものと落ちるもの」

 振り向くと、そこには男の姿があった。


 たまご型でやや大きめの顔は、特別に整っているわけでもなければ崩れているわけでもなく、どこにでもいそうな平凡な顔つきだ。さっぱりした丸刈りと、口もとや頬などに多くそり残した濃いめのひげが、なんだか野暮ったい。

 四十前後、だいたいアラフォーぐらいだろう。いい大人なのになぜかよく児童室に足を運んでいるらしく、僕も何度か見かけたことがあった。話したことはないけどね。

 

 座ったまま見上げると、男は僕のほうを見ていなかった。いや、正確にはわからないけど、彼の意識は僕以外の別のもののほうに向いているように見えた。少なくとも、こっちを凝視してはいなかったと思う。

 男は、ご機嫌でも不機嫌でもなさそうな、ちょっと感情の読みとれない顔をしていた。どうしてよいかわからず、とりあえず時間もないので机の上を片付けようと思い、彼に背を向けた。不思議と、怖いとか不気味だとかは思わなかった。


 赤ペンを筆箱にしまおうと手にとると、背後から手が伸びてきた。赤ペンを持った僕の手を力強くつかんでいる。

 再度振り向くと、彼はぐしゃっと顔をゆるめていた。その顔は、なんだか知らないけれどとても愉快そうだった。

 

 僕の持っている赤ペンを抜き取り、男はものすごい勢いで、僕の顔にとんでもない大きさの丸をぐしゃっと書いた。ペン先はとがっており、頬にぐさりと刺さって痛みが走る。


 その直後、僕は意識を失った。



 **



「……池下、池下!」


 顔をもたげると、目の前には都筑がいた。ほかにもクラスメイトが大勢、不安げな顔をして集まっている。

 ここは教室……? あれっ、僕は確か、図書館にいたはずだけど。ちょっと勉強して、帰ろうと思ったところで変な男がいることに気づいて、そしたらいきなり赤ペンで顔を……。

 左右の頬をさわって手のひらを見てみたが、赤いインクは少しもつかなかった。

 ということは、さっきのほうが夢だったのか。


「なにしてんだ? 顔になんもついてないぜ」

 都筑が不思議そうに言う。左手には、僕らのクラス用のボールを抱えていた。

「ヤバっ、試合は!?」

 ボールを見て、途端にわれに返った。

「もう終わったよ」

 教室の時計は、五時二十分を示している。


「しまった、寝過ごしたぁ」

 頭を抱えて言うと、みんなはどっと笑いだした。

「覚くんらしいね。しっかりしてるのに、いつもどこか抜けてる」

「ホントだよなぁ。まあ、池下らしいわ」

 山内さんと都筑が、顔を見合わせて笑っている。

「ごめん、ちょっと休んだら行くつもりだったけど、普通に爆睡してた」


「いいよいいよ。勉強のし過ぎで疲れてたんだろ?」

 都筑と仲の良い小林が、彼に似た爽やかなこわつきで答える。

「池下抜きでも、ちゃんと優勝したから気にすんなよ。ほら、どらやき食うか? 先生からの差し入れだけど、超美味いぜ」

 僕の机に、都筑がどらやきをひとつ置いた。

 

 個包装の袋には、うさぎのイラストがプリントされている。“うさぎや”のどらやきは前に一度食べたことがあるけど、確かにすごく美味しかった。


「ありがとう。ちょうど、おなかすいてたんだ」


 どらやきは甘くて、頬が落ちそうなほど身体にしみた。

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