エピローグ

 数週間後、ゴール王国とブリトン王国との間で和平交渉が開かれた。その結果、この戦いの発端となっていた公爵領の扱いについては、結局据え置かれることとなり、それで互いに手打ちとして、両国の間に平和が訪れることとなった。ブリトン王国としては、せっかく支配下に収めたゴール王国の領地を手放すことになったわけで、その点では悔しい思いもあるが、それでも、一時的とはいえ、相手に苦しみを与えてやれたのは、溜飲が下がることにはなって、また、結局のところ、元の状態に戻ったのだから、結果としてはそれほど悪い事ではなかった。ゴール王国にとっても、領内を蹂躙されたと言うのは、なんとも屈辱ではあるものの、最終的には、公爵領を除く領土の全てを取り戻すことができたわけで、これもまた、悪い結果ではなかった。

 こうして、平和は取り戻されたわけだが、得てして、壊れるときと言うのは突然やってくるものだ。それは、和平交渉が行われた一年後の事だった。ブリトン王国が、ヴォルガ王国からの侵略を受けたとの知らせが入ったのだ。ヴォルガ王国は、ブリトン王国、ゴール王国とそれぞれ国境を接していて、ゴール王国の二倍の面積を有し、工業を中心とした、国も国民も極めて好戦的な軍事国家だ。それ故、両国ともその動向には注意していたが、かの国とは互いに不可侵であるとの約束を交わしていたから、当然、相手国への侵略などというのは行われないだろうと考えていた。だから、この知らせを聞いたとき、ゴール王国の為政者たちや国民も、皆、大いに動揺を覚えた。とはいえ、ゴール王国と長く戦争をしてきたブリトン王国も、それなりには軍事力を有していたから、そうそう容易くは、征服などされないだろうと思っていたし、うまくいけば、撃退してくれるかもしれないとも考えていた。

 開戦から一月ほどのちのこと、虚しくも、そうした人々の思いは打ち砕かれた。ブリトン王国が、ヴォルガ王国の支配下に入ったとの報告が入ったのだ。知らせを受けて人々は、次は自分たちの番だと恐れ慄いた。中には逃げ出す準備を始める者さえいたほどだ。そんな折も折、ヴォルガ王国の使者がやってきた。彼はセルゲイ王からの親書を携えていた。親書、と銘打ってはいるが、その中身は、降伏勧告であった。ブリトン王国の征服が完了し、次はお前たちの番だと、そう言っているのだ。ブリトン王国としては当然、降伏など受け入れるわけがないから、国王は使者を追い返して、すぐさま、官僚と各領主を呼び集めた。

 集まった面々は、皆、まさにこの世の終わりとでもいうような、深刻な表情を浮かべていた。それも当然だ。相手は既に二国を併合しており、山をも飲み込みそうなほどの、大津波のような勢いがあるのだ。とても、太刀打ちできるような相手とは思えなかった。誰もが、口を閉じ、渋面に顔を歪めるばかりだった。やがて、国王は、はっとした顔で言った。

「そうだ。彼だ。ジャンにやらせよう。彼ならなんとかできるに違いない」

 怪訝な顔つきの面々の中、ユベールが、やれやれと頭を振って言った。

「陛下。彼は既に死んでいるのですぞ。どうやって、彼にやらせるのです?」

「ああ、そうだった」と王は一旦、肩を落としたが、たったいま気が付いたと言うように顔を上げて続けた「では、ポールではどうだ? 彼になら兵を動かせる。そうだろう?」

 ポールは困惑の顔つきでユベールを見つめた。

 ユベールは頷き返して言った。

「彼の領地はヴォルガ王国と国境を接しています。山々がそれを隔てているとはいえ、ヴォルガの事ですから、山を越えてこないとも限りません。もし、そこを落とされてしまったら、万が一の時に、避難する場所を失います。そうなったら、今度こそ本当に、我が国は滅びてしまうでしょう。故に、彼には、領地の防衛に専念してもらうべきでしょう」

「では、他の者達ではどうだ? 皆でかかれば、なんとかなるだろう」

 王はそう言って、面々をそれぞれ眺めたが、皆、王とは視線を合わせようとはしなかった。

「そなたら……」王の唇が震えた。「私を見捨てるつもりか? 私は、そなたらの王なのだぞ」

「人から奪ったものではありませんか」

 さらりと、ユベールは言った。

「なに!」王は狐のように目を吊り上げた。「貴様の父親が力を貸したのではないか!」

「ええ。ですから、私もあなたから奪うとしましょう」

 ユベールがそう言って合図を送ると、広間の扉が開いて、見慣れぬ姿の兵士が数名入ってきた。

「なんだ! この者どもは!」

「陛下は、ヴォルガの兵士をご覧になるのは初めてですか?」

「ヴォルガだと!」王はこれまでかというほどに大きく目を見開いた。そして吠えるように言った。「貴様っ! 降伏するつもりかっ!」

「戦えば、我が王国はブリトンのようになってしまいます。それを避けたくはありませんか?」

「ヴォルガの属国に成り下がるなど、考えられんことだ!」国王は拳で玉座の手摺を力一杯叩いた。ドン、と鈍い音がした。「この国は私のものだ! どうするかは私が決める! お前の勝手にして良いことではない!」

「ですから、あなたには玉座を降りていただきます。あなたの首と引き換えに、我が王国の自治は保たれるのです。ご安心ください。これより先は、私がうまく治めて見せますから」

「それは……それは、簒奪ではないか……」

 震える声で国王は言った。

「他人のことを言えますか? それはそもそも、あなたの父上が奪った玉座です。私はただ、あなたの父上と同じことをするだけです」

「貴様っ……!」

 王は怒鳴って、奥歯を噛みしめ、ぎりぎりと歯ぎしりした。

「話し合いはついたか?」

 様子を黙って見ていたヴォルガ兵が、呆れているかのような表情を浮かべて、静かな口振りで言った。彼らは皆、真っ赤な甲冑を身に着けている。まるで血に染まったようで、相当な威圧感を持っていた。

「はい。もう十分です。かねての計画通り、引渡しいたします。あとは自由になさってください」

 隊長と思しき兵士が合図した。カチャカチャと言わせて兵士たちが歩み寄る。

「ユベール!」

 王は最後の望みとばかりに叫んだ。が、ヴォルガ兵に脇を固められて、それはただ虚しく聞こえただけだった。

 王は兵士に連れられて行く。項垂れて、抵抗する気力も失っていた。隊長と思しき兵士にユベールが言った。

「くれぐれも、約束を違わぬようにと、セルゲイ王にお伝えください」

 兵士は立ち止まって振り向いた。が、否とも応とも答えず、じっとユベールを見据えたのち、去って行った。

 ユベールは、失礼な物言いだっただろうかと、わずかに不安を覗かせた。が、兵士というのは大概、武骨で不愛想だから、きっとそれだろうと結論付けて安堵した。彼は立ち上がると、玉座の方へと歩いて行って、その豪勢な椅子に腰かけた。クッションのその弾力は素晴らしくて座り心地がよく、手すりの木材もすべすべとして手触りがよい。なにより、眼前に、下々の者を見下ろすと言うのは心地が良い。その下々の目が、一斉に自分を見つめている。これからはここが自分の場所だ。そう思うと、気分が高揚して、まさに、天にも昇るような気持ちだった。

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憂国の薔薇 藤吉郎 @SK5155

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