砂漠編
第24話 パーフェクトアローン その1
退学してからの生活はそれはもう自堕落なものでした。
尤も、在学していたときとそう変わるものではありません。昼過ぎに起きて、のろのろと朝食を口に運びながら新聞を読む。それが終わると、あとは日が落ちるまで読書。そうでなければ、電話帳で調べた住所を頼りに古本屋めぐりです。そして、すっかり日が沈んだ後はラジオ。アニメ。勉強の入り込む余地はまったくと云っていいほどありませんでした。
十八歳。その想念は絶えずわたしの年頭に浮かびました。十八歳まであと何ヶ月、何週間、何日、そのようなことを毎日のように計算せずにはいられないのでした。また、そうして焦燥を覚えるからこそ本を読まずにはいられませんでした。
タイムリミットは来年の二月――そんな思いが常にあったのです。それはたとえば、その一ヶ月前に控えたセンター試験などよりもよっぽど重みのあるものでした。目の前の受験よりも十八歳というタイムリミットの方がよっぽど切迫して思えました。それがいかに無意味で益体もつかない考えであるかなどとは考えもしませんでした。
焦燥は益体もつかない思考や習慣となって表れました。
新年度がはじまって一ヶ月も経つと、わたしはようやく意識改革に乗り出しました。十八歳まで残り九ヶ月。とうとう十ヶ月を切りました。このままではいけない、という思いがあったのです。そこまではよかったのですが、その改革があまりにも極端でした。
まず改めたのが睡眠時間でした。それまでのわたしは特に就寝時間を定めておらず、なじみのラジオやアニメが終わった後、床につく習慣でした。その時間が一時のこともあれば五時を回ることもありました。当然、起床時間もまちまちです。お昼前に目覚めることもあれば、すっかり陽が傾いてから目覚めることもありました。
そんな習慣を改める気になったのは、書店でたまたま見かけた三時間睡眠を推奨する本に衝撃を受けたからです。それまでの睡眠時間が一日八時間から九時間だとして、そこから三を引けば五時間から六時間になります。自分はそれだけの時間をどぶに捨ててきたのだと思うと目の前が暗くなるようでした。
改めた、と云いましたがわたしがしたのは精々目覚ましをセットすることだけでした。わたしは件の本をろくすっぽ読みもせず、立ち読みで概要をさらっただけで生活が改まるものだと愚かにも信じていたのです。もちろん、それでいきなり起きられるようになるはずがありません。たとえ成功したとしても日中はずっと眠気にさいなまれました。勉強も、読書も手につきません。そこですっぱりやめればよかったものを、すぐに慣れると自分を鼓舞したのがまたいけませんでした。
生活リズムはかえって混乱する一方でした。わたしはある日は三時間しか眠らなかったと思うと、その翌日には十時間以上眠ったり、一度は目覚ましの時間に起きるものの、夕方から夜にかけてうっかり居眠りしてしまうなど以前にもまして不規則な生活を送るようになりました。
三時間睡眠など最初から無理があったのだと気づくのはずっと後のことでした。わたしにはどうも数字の奴隷のようなところがあるようです。8-3=5という数式のインパクトがあまりにも強かったがために、それに思考が引きずられ硬直してしまったのでした。
そういう融通の利かなさは何も生活リズムに限った話ではありませんでした。
たとえば、受験生の本分である勉強においてもそうです。
スリランカの首都名をご存知でしょうか? スリジャヤワルダナプラコッテというのがそれです。
アメリカの第十四代大統領をご存知でしょうか? フランクリン・ピアースというのがその人です。
国連に加盟する国名、首都、各主要国の歴代大統領、国王の名前、百人一首、元素記号……いずれも、この時期に覚えたものです。わたしの学習法は決まって、この「丸暗記」に頼ったものでした。それも、入試の範囲から微妙に外れたものばかり。行き過ぎたものでは、新古今和歌集の全首暗記に挑んだこともあります(これはさすがに四分の一ほどで挫折しましたが)。
学校を辞める以前から人と話す機会が極端に少ないわたしでしたが、顎の筋肉だけはよく使いました。この頃のわたしの部屋を訪れてみれば四六時中、何かしらの語句を繰り返し唱えているのが聞こえたはずです。暗記はわたしにとって読書に次ぐ趣味のような物でした。なんらコストがかからず、また努力すれば確実に成果が見られるという点で、暗記は弱者にとってうってつけの趣味と云えました。
わたしの学習法、物の認知の仕方には融通の利かない一面がありました。その場に即した柔軟な思考というものが極端に苦手なのです。だからこその丸暗記でした。想定されるパターンをすべて覚えてしまえば、対応に困ることはありません。マニュアルを読みながら問題に当たるのと同じでした。
何かを学ぶということは、ある意味ではコミュニケーションの一種です。
たとえば、学校の授業が解りやすいでしょう。生徒たちは、教師の云ったことや黒板に書かれたことから知識を読み取り自分の中で消化します。また、一人で勉強するにしても同じことです。教科書のテキストは学生に知識を正確な形で伝えるためにかかれた物です。その意味を正しく読み取るにはやはり対人的なコミュニケーションに共通する能力が必要になってきます。
知識とはつまり人類全体に共有される思考体型です。それに触れることは他人との間接的な接触を意味します。ただ年号や元素記号を覚えただけでは、神経衰弱をやっているのと同じです。そのような知識は、テストのようなある特定の場面でしか発揮することができません。ただ単語の発音を覚えただけでは、意味のある言葉を喋れないのと同じです。
たとえば、色という概念があります。誰かが「リンゴは赤い」と云ったとして、そのフレーズを覚えてくり返すだけでは意味がありません。それでは、トマトやポストなど、他の「赤」に出会ったとき、それを正しく説明することはできません。「リンゴは赤い」という言葉を、視覚情報としての「赤」と結び付けられてはじめて色という概念が理解できるのです。わたしの学習法は云わばその「リンゴは赤い」というフレーズを機械的に繰り返すだけのものでした。
五感によって得られる原初的な知覚だけでは、この複雑な人間社会を生きることはできません。そこからさらに発展して「知る」という技術を育てなくてはなりません。それが、教育の最たる目的と云っていいでしょう。そこに躓きがあると、その子供は学習とコミュニケーションの両面で苦労することになります。それはたとえば、わたしのようにです。
知ったかぶりを覚えたのは小学一年生の頃でした。物事を円滑に進めるには、知らない話題にもとりあえず頷いておくのが何より重要なのです。そしてその考え方は学習態度にも敷衍されました。
授業において解らないところがあっても決して質問はせず、ただ黒板の内容をノートに書き写す。テストでは、その内容をそのまま頭から引っ張ってきて書き写すだけ。
わたしはいつしか、テストで好成績を残すコツは、解らないことを深く追求しないことだと悟っていました。小学生が習う範囲、その未熟な思考力で考えることのできる範囲などたかが知れています。それなのに、世の中に転がる不思議をいちいち追いかけていたのでは、きりがありません。不毛です。先生が「リンゴは赤い」と云えば、それを鸚鵡返しにしていればいいのであって、テストで「リンゴは赤いか?」と問われれば素直に「赤い」と答えていればいいのです。リンゴはなぜ赤いのか? 赤とは何か? とテストに出そうもないことを深く考える必要はありません。
どうせすべてを知ることができないなら、テストにだけ専念すべきだ。それがわたしの考え方でした。読書がそうだったように、わたしにとって勉強とは、テストとは知恵の輪やその他のパズルゲームと同じでした。重要なのは、そのゲームでいかに高得点が獲得できるかと云う点であり、テストが本来問うているはずの理解力、「何かを知る」ということはいつも二の次でした。
このテスト本位とも云える考え方が、わたしの躓きの原因となったのでしょう。記憶力に恵まれていたわたしは、高い次元の成績を維持することができました。そして、それゆえに「知る」能力の未熟さは見過ごされてしまったのです。まさか、クラス一の秀才がその認知体系に問題を抱えているとは誰が思うでしょう。
小中学校では秀才ともてはやされながらも高校で凡人と成り下がる、なんていう話はよく聞きますが、思うに、そういうタイプの中にはわたしのような認知体系の持ち主が少なからずいるのでしょう。
記憶力頼りの勉強法。
小学校レベルの勉強ならそれでいいでしょう。範囲はたかが知れています。しかし、中学、高校と進学するにしたがって、学習の範囲は徐々に広く、暗記では対応ができないほどに広がっていきます。それをカバーするのが応用力や論理的な思考力なのでしょうが(ああ、論理! 語意に反して曖昧きわまるこの概念を理解するのにどれだけの時間を要したか)、あいにくとわたしにはその手の能力が致命的に欠けていました。
ですから、いっそう自分のやり方に固執します。独自のシステムを組み立て、物事をデジタルに分類し、自分の中では筋が通った、しかし他人にはまるで意味をなさないマニュアルを構築します。それはたとえば潔癖や吝嗇といったかたちで現れました。暗記や睡眠時間の削減へのこだわり、数字を絶対視する考え方もその産物と云えるでしょう。
融通が利かず、ゆえに躓き、そしていっそう自分の中で構築されたマニュアルに頼る。間違った努力の集積はやがてグロテスクな妄念の枝となってわたしの心を絡めとり、ぎゅうぎゅうに縛っていきました。こうなればもはや身動きは取れません。自由は利きません。およそ実用性のないこだわりでがんじがらめになって、わたしはマニュアルの外から一歩も外に出られなくなってしまったのです。それは云わば完璧主義の呪いでした。
他人との接し方が解らないわたしは「道化」の仮面をかぶりました。 わたしにとってコミュニケーションとは、その場に並んだ言葉のカードから冗談をひねり出す知的なゲームでした。
知ったかぶりはわたしに好成績を約束してくれました。だからこそ、解らないことは放置し、ただ教科書の内容だけを頭に刻み込んできました。わたしにとって勉強とは、自分の記憶力を試すゲームでした。
信仰を失ったわたしは個人的な神を探す旅に出ました。もう何度も述べた砂漠の旅です。グロテスクに歪んだ倫理観は、誰とも共有することを前提としないからこそ生まれたものでした。わたしにとって神とは人生のマニュアルでありルールでした。
砂漠の道連れとなったのは本だけでした。しかし、その読み方は玩具に戯れる子供も同然でした。そこに息づく他人の自我と対話を試みたことはほとんどありませんでした。わたしにとって小説とはギミックの集積で楽しませてくれる玩具でした。
ガラパゴス島の生き物たちが、その環境に適応して奇怪な進化を遂げたように、わたしの認知体系は砂漠という閉鎖的な環境下で見るに耐えない奇形と化してしまったのです。
孤独は人間だけでなく知識とのつながりさえ絶ってしまいます。誤解に誤解を重ねても、どれだけ道を誤っても、それを訂正できる他者の視点はありません。個人の中で完結した知識には、オカルトほどの実用性もありません。独学とは、コンパスのない旅路でした。
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