第23話 18―エイティーン その2

 高校の二年間は、坂を転げていくような二年間でした。結局治らなかったサボり癖、周囲とのズレ、教師との摩擦。そうして気が付けば退学という選択肢に追い込まれていたのです。


 いまでこそ、それは肥大した自意識が独り相撲をとっていただけだと解りますが、当時のわたしに自分を客観視する余裕などありませんでした。わたしの主観では、同級生たちは話の通じない低俗な群れであり、教師たちはやはり世の不条理を体現する存在でした。そんな彼らに囲まれた毎日はまさに地獄だったのです。


 その地獄の中にあって、心やすらぐ時期があるとすればそれは退学を決めてからの一ヶ月間に違いありませんでした。


 一月の下旬、わたしは再び学校に通い始めました。高卒認定試験で科目の免除を受けるために必要な単位を取得する必要があったのです。


 出席状況は、それまでにもましていい加減です。いえ、ある意味ではとても几帳面な計算が行き届いていたと云えるでしょうか。わたしは、科目免除に必要な授業とそうでない授業を完全に振り分け、前者の授業はきっちり受ける一方で、後者の授業はほとんどサボりました。国語、数学、生物、英語は前者で、最も苦にしていた体育の授業は云うまでもなく後者です。


 出席の義務から解放されたことで、わたしはそれまでになかった平穏を得ることができました。教師の目に怯えることもなく、匿名の手紙を書くこともなく、不意に襲ってくる孤独感に震えることもありませんでした。事件を受けて、教室ではそれまでにもまして浮いた存在になってしまいましたが、孤独はかえってわたしの心を癒しました。皮肉なことに、すべてが手遅れになってからようやっと学校に安息を覚えるようになったのです。


 退学後のことはあまり考えていませんでした。ただ、お金がかかることはあまりしたくないなあ、とぼんやりと思う程度。後はもう消去法です。大学はおそらく国公立を志望することになるでしょう。学部は高校での選択を踏襲して文系の何か。さらに付け加えるなら、自宅からあまり離れたキャンパスでは困ります。


 大学進学を目指すなら、いずれにせよ通らなければならないのが、高卒認定試験、センター試験、大学別の二次試験の三つの試験です。わたしは今年から来年にかけての予定表にその三つの試験を書き込みました。それ以降も、その間を埋めるスケジュールもまったくの空白です。オープンキャンパスや模試のシステムはよく解りませんでしたし、塾や予備校に通うような資金力はうちにはありませんでした。これでわたしの予定は完成です。


 将来のことは、大学に入ってから考えることにしました。すべては十八歳になってから。それまでは勉強に専念するのだと。


 学校でWの姿を見かけると、わたしは自分の決意を新たにしました。


「また留年さえしなければ、わたしは十九歳で卒業式を迎えるはずです」


 自分は留年などしない。この地獄には自ら別れを告げる。十九でようやっと大学受験ということにはならない。十八歳。その年で受験し、そこから新たな生活を始めるのだと。


 十八歳から。


 しかし、そんなのほほんとした心構えでいられたのもつかの間のことでした。


 いくら現実を無視したところで、その存在がなくなるわけではありません。時間の流れが止まってくれるわけではありません。気が付けば、三学期の期末テストが近づいており、わたしはいったん読書の手を休めて勉強にかからなければなりませんでした。そうしているうちにもうひとつ近づいてきたのが、十七回目の誕生日です。その日、二月■日が近づくにつれて、わたしは次第に焦りを覚え始めました。


 青春期特有の「何かを成したい」という漠然とした焦りには、誰しも覚えがあるのではないでしょうか。わたしが覚えた焦燥というのも煎じ詰めればそういうことでした。


 年若い作家たちの本はわたしに衝撃を与えました。内容はもちろんですが、改めて驚いたのが彼らの年齢でした。彼らのデビューはいずれも二十歳の前後。それどころか、そのうちの何人かは十代の頃にデビュー作を書き上げていたと云うのです。わたしが最初に熱中した乙一に至ってはなんと十六歳! わたしがようやっと『GOTH』を手に取った年齢の時には、すでにあの『夏と花火と私の死体』を書き上げていたのです。


 将来は相変わらず薄ぼんやりとした霧の向こうでした。芥川のように唯ぼんやりとした不安を覚えるには、まだ幼く、社会を知りませんでしたが、それでもこの年若い作家たちの存在はわたしに焦燥を与えました。


 わたしは十六歳でした。しかし、もう間もなく十七歳になります。それなのに、彼らのように何一つとして有意義なものを残せていません。その焦りがわたしを揺さぶりました。何かをしないではいられないのに、何をすればいいか分からない――そんな焦りです。


 それは将来への不安というよりも今この時間が無闇に空費されていくことへの恐怖でした。何かもっと有益なことに時間が使いたい。作家になりたいというわけではありませんが、小説を読むということは自分を高めてくれるような気がしました。とりあえず、その「有益なこと」が見つかるまでは小説を読んで時間をつなごう――そんな一心で活字の海に溺れていったのです。

 

 作品の読解を解説に頼る傾向、云わば「解説病」は悪化の一途を辿るばかりでした。次第に本格ミステリを離れ、海外のクライムノベルや日本の純文学(この純文学という概念を理解するのにも長い時間を必要としました)にその手を伸ばしたわたしは、出会う本出会う本に戸惑いを覚えました。全てがそうだったわけではありませんが、そのまま読んだのではどこが面白いのか見当がつかないのです。やはり、わたしは自分に近しい人間以外のことには興味も持てなければ、理解もできないようです(いまのわたしは、他人への興味や好意も突き詰めれば自己愛の延長線上にあるものだと考えますが、わたしは云わばその射程が極端に短いということになりそうです)。


 解説に触れる頻度はますます多くなっていきました。本編を読む前にまず一回。本編を読んでいるさなかに数回。読み終わった後にも数回。そうして解説に頼りきっていると、解答を横に広げながらテストの問題を解いているような気分になりました。


 尤も、解説が何から何までを教えてくれるわけがなく、その助けを得られない場合のわたしは森に迷い込んだヘンゼルとグレーテルの気分でした。小説というものは依然謎の多い代物であり、わたしは頭の固い読み手でした(純文学に限って云えば、その中でもなんとか興味深く読めたのは遠藤周作くらいのものです)。


 いまにして思えばもったいない話です。あの時期に読んだ本の真価をわたしはまるで解っていませんでした。有意義と信じて投げ打った時間はほとんど無駄だったのです。



 時間は無駄に捨てた分だけ前に進みます。


 二月の末、わたしは十七歳の誕生日を迎えました。


 いまごろ教室ではWが去年のように誕生日を祝われているのだろうか――そんなことを考えもしましたが、わたしの胸に去年感じたような孤独はありませんでした。あるのはただ焦燥。その後、誕生日を迎えるたびに、年を一つ重ねるたびに覚えることになる焦燥でした。せめて来年になるまでは、カウンターがまた一つ回るまでには何かを残したい。あるいはその取っ掛かりだけでも作っておきたい。そんな思いでいっぱいでした。


 そしてその焦燥は、ある出来事をきっかけによりはっきりとした形でわたしの心を急き立てることになります。

 

 それは学校に退学届けを出しに行ったときのことでした。三学期の授業は三月の上旬にはあらかた終わってしまい、終業式を前にして云わばプレ春休みの様相を呈していました。久しぶりにくぐる門。人気のない校舎。体育会系の部活動で賑わう校庭を横目に、体育館二階にある体育教官室へと向かいました。それはわたしにとって、敵の本拠地であり鬼門に違いありませんでした。恐る恐る入室し、Q先生を呼び出しました。


 Q先生はわたしの天敵とも云うべき体育教諭の一人でした。尤も、その気性は彼らの中でも比較的穏やかな方だったと思います。仮に牙を隠して持っていたとしても、わたしにそれを見抜く機械はありませんでした。担任ではあるものの、体育の授業は別の教師が担当していたため彼の授業を受ける機会は総合の時間くらいしかなかったのです。わたしにとっては敵なのか味方なのか、いまいち判断に困る教師だったと云っていいでしょう。


 体育教官室の入り口に立っていると、奥の席でQ先生が立ち上がりました。そうすると、体育教師らしいがっちりとした体格がよく解ります。巨体が近づいてくるにつれて、そのてっぺんに乗った大入道のような禿頭もはっきりと見えてきました。上背はあるものの肋骨が浮かぶほどに貧相な体つきのわたしには、それだけでも脅威に思えたものです。先に部屋を出て、彼の巨体が体育教官室からぬっと現れるのを見ると、なるたけ早く用件を済ませたいものだという気持ちを新たにしました。


 しかし、現実はやはりままならないものです。わたしが退学届けを渡すと、Q先生はそれを一通りチェックし、「ちょっと話ええか」と切り出してきたのです。

 

 ――色々、気づいてやれんくてすまんな。


 リストカットのことを云っているのだということはすぐに解りました。誤解が、またもわたしとQ先生の間を隔てていました。わたしはいつものだんまりです。壁を崩す気はついぞ起きませんでした。


 退学はもはや逃れえない流れでした。それを覆す方法もなければ、メリットもありませんでした。また、これが唯一無二の親友というならともかく、今日以降もう会うこともないであろう人間を相手に自分の本音を訴えたところで意味があるとは思えませんでした。今日を最後に、わたしたちはまったく無関係の他人になるのです。


 ――作家になるにしてもなんにしても大学にはちゃんと通うんやで。


 Q先生はそんな、鋭い観察ともまったくの見当違いともつかぬことを云います。わたしが作家に影響されていたのは事実ですが、それを自分の将来として考えたことは一度もありませんでした。またも誤解。Q先生はいったいわたしをどのように見ていたのでしょう。そのイメージに一つでも本当のことがあったでしょうか。


 どうでもいい。心の底からそう思いました。


 以降、体育教官室の前で話したこと――といっても、Q先生が一方的に喋るだけでしたが――はほとんど覚えていません。それどころか、わたしにはQ先生の顔さえもうぼんやりと薄れて思い出せない始末なのです。記憶に残っていることがあるとすれば、それはQ先生が最後に投げかけてきた質問だけでした。


 ――何歳までに、自分のやりたいことを見つけるかって考えてるか?


 後々のことを考えれば安易極まりないことに、わたしはほとんど反射的に答えていました。それが自分を焼き尽くす焦燥の炎となるとは知りもせず。


 ――十八歳までに。

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