第21話 こうして僕は学校を辞めることにした その2

 学級への不適応。教師たちとの摩擦。学校生活はわたしには辛いものでした(少なくとも主観の上ではそうでした)。それでも、これまでなんとか食らいついてきたのは、ひとえに社会に出る恐怖があったからにすぎません。


 社会に出るまでの猶予期間を限界まで伸ばそうと思ったら、大学への進学は必須です。高校には、その資格を得るために通っていただけでした。大学へと至る道が他にもあるなら、高校などすぐにでもやめたに違いないのです。


 ですから、退学という可能性が浮上してからそれを決断するのに時間はかかりませんでした。

 

 尤も、これがもし母や教師の反対にでもあっていれば、あるいは違った結果が待っていたのかもしれません。いえ、人との衝突を厭うわたしならきっと留年することになっても学校にしがみついたことでしょう。


 しかし、現実にはそうはなりませんでした。大人たちはむしろわたしを退学というレールの上に乗せたがっていたのです。


 わたしが沈黙している間にも、退学後の進路についての資料が次々と集まってきました。その勢いはまるで、資料の奔流でわたしを退学という選択へと押し流そうとしているかのようでした。事実として、退学を前提とした資料を読み込むうちに、わたしの頭からは退学以外の選択肢がすっかり押し流されてしまったのです。その流れに逆らおうとは思いませんでした。逆らう必要性も感じませんでした。


 資料を読み込んだ結果、退学を選ぶのが一番楽であり、なおかつ誰にとっても最善の選択だと思うようになったからです。


 高校卒業程度認定試験とはかつて大学入学資格検定と呼ばれていた試験のことです。試験は毎年八月と十一月に行われ、それに合格すると文字通り「高校卒業程度の学力」が認められるという建前になっています。尤も、それにどの程度の実効性があるかは怪しく、わたしを含め受験者の大半が目的とするのは大学入試の受験資格を得ることに違いありませんが。


 受験科目は、受験者が高校で取得した単位によって免除される仕組みでした。二年生の三学期が終わったとき、わたしが取りこぼした単位は体育を含めて僅か四教科。残りは何とか単位を取得することができました。結果として、大部分の科目が試験から免除されることになります。


 自分が受けなければならない科目を知ったときは目を疑ったものです。それはわずかに二つ。世界史と日本史だけでした。


 たったそれだけ。


 それが率直な感想でした。たったそれだけで、残り一年間、学校に通い続けるのと同等の資格が得られる、というその衝撃。驚愕。そして後悔。


 なぜ、この制度をもっと早く知っていなかったのか。そうすれば学校生活であんなに苦しむこともなかったのに……


 自分が阿鼻叫喚で潜り抜けてきたあの毎日はいったいなんだったのかと、馬鹿らしくなる思いでした。そんなことをしなくても、この試験さえ受ければ大学への扉は開いたのに、と。二年間の学費だって安くはありません。それを払わせてしまった両親に――そのときばっかりは――申し訳ない気持ちになりました。


 精神的にも経済的にも、退学が最もクレバーな判断に思えました。退学届けにサインするのに、躊躇などあろうはずがありません。


 こうしてわたしは学校を辞めることにしました。

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