第19話 リストカット事故 -goth その3-
リストカットは思いのほか力を必要とします。
母は血管がよく透いて見える体質の持ち主でした。その遺伝なのでしょう。わたしの腕や手の甲にも青い筋がはっきりと浮いて見えます。むかしから、医者に注射がしやすくて助かると云われたものでした。
そして、その体質はリストカットにおいても便利に作用しました。
わたしは再び携行し始めた「リトル・フレンド」を青い筋と交錯するように突き立て、そして「そのとき」が訪れるのを待ちます。そのまま一思いに血管を切り裂く勇気が訪れるときを。「リトル・フレンド」を持つ手に徐々に力を入れていき、その刃が腕に沈み込んでいくのをじっと眺めるのです。
しかし、「そのとき」はいつまで経っても訪れず、わたしはため息をついて、軽く刃を滑らせました。青い筋を横切るかたちで浮かび上がる赤い筋。しかし、時間が経てばすぐに消えてしまいます。その筋をなぞるように何度も引っかいてみても同じ。手首に傷が残ることはありません。わたしには力がありませんでした。崖の突端から自分をもう一押しする力が。この薄い皮膜を突き破る力が。
「そのとき」が訪れたのは、二学期の終わりも近い十二月のことでした。
わたしは教室で手首を切ったのです。
文化祭が終わると、次に持ち上がってきたのが修学旅行です。行き先は近年のわが校の例に倣って、海外。それが中国に決まったのは、まだ一年の頃でした。
行き先が発表された瞬間、わたしは冷笑をこらえるのに苦労しなければなりませんでした。学校側の意図があまりにも見え透いていたからです。
反戦教育。
何も平和を貴ぶ心をあざ笑うわけではありません。しかし、それを教師たちが唱えるとき、それは次第に胡散臭いものになります。あの「日教組」の思惑を感じずにはいられないのです。それを教師たちは「日教組」の「に」の字も出さずにしれっとしてるものですから、わたしにはおかしくてなりませんでした。これではまるで、お笑いです。
誰もが解りきってることを白々と述べるそのおとぼけぶり。「来るぞ来るぞ」という予感を裏切らない、吉本新喜劇的なお約束。それを、小学校のときの広島、中学校のときの沖縄、そして高校の中国と、まるで図ったように繰り返されれば、これはもう笑うしかありません。「天丼」もまた笑いの基本でした。
旅行の積立金もすべて合わせれば十万を超えます。
学校側の思惑にそんな大金を注ぐのは考えるだけでも不愉快でした。もとより旅行に興味のなかったわたしですが、修学旅行への不参加をはっきりと決めたのは行き先が発表されたその瞬間でした。
班決めや向こうでの学習テーマを考える時間には一人暇そうにしているか、不参加者だけで集められて退屈な課題のプリントに向き合ったりしていました。
やがて十一月の初旬がやってきます。その朝、同級生たちはわたしが目覚めるより早く飛行機で海の向こうへと渡ったはずです。プログラムは不参加者のわたしにも配布されていましたから、彼らがいまどのような行程にあるかはおおよそ把握することができました。そして、一方のわたしも家でのんきに休暇としゃれ込むわけにはいきませんでした。
修学旅行にも学習としての側面がある以上、不参加の生徒を遊ばせておくわけにもいかないのでしょう。われわれ不参加者に登校の義務が課せられるのもある意味では当然のことでした。
そこでわたしは修学旅行に勝るとも劣らない「有意義な」ことを学ぶことになります。
二年生の教室が並ぶ中央棟三階はがらんとしており、わたしたち修学旅行不参加者組は片手の指で数えられるほどしかいませんでした。学校も不参加者への課題にあまり熱心ではなかったようです。内心では、どうしてこいつらも海の向こうに渡ってくれなかったのかと舌打ちをしていたのではないでしょうか。課題を受ける部屋は通常の教室の半分ほどの広さしかなく、課題のプリントは、定められた時間の四分の一もあれば解けるものでした。残りの時間はというと、これまたやる気のない教師や生徒でゆるい雑談を交わすだけ。これでは本当に何のために登校したのか解りません。学校側にとっては「生徒を登校させた」という事実ほしさに講じたアリバイ作りに過ぎなかったのでしょうか。
そういう理不尽な気持ちも手伝ったのでしょう。わたしは英語を担当する教師のYと衝突しました。
きっかけはYの無神経な言葉でした。われわれ生徒が課題を終え、暇そうにしていると、この中年太りの浅黒い男性教諭は、わたしに声をかけてきたのです。内容はまたも、わたしの悪評。サボり癖でした。
――出席日数足らんかったら、進級できんぞ。どうするんや。
そんなことを――数は少ないとはいえ――他の生徒の前でする教師がいるでしょうか。わたしはこのデリカシーに欠ける教師にむっとしながら、適当に受け答えしました。
Yは続けて問います。
――修学旅行は何で行かんかったんや。
これもやはりデリカシーに欠けた質問でした。不参加者のうち、半数は留年した生徒でした。修学旅行には去年参加しているため、今年の不参加は当然と云えます。ですから、修学旅行を端からキャンセルしたわたしに対する疑問も解らないではありません。しかし、Yはその理由が家庭の金銭苦だった場合を考えなかったのでしょうか。そんなことを他人の耳もあるこの場所で訊いてくるその無神経。これは、お前のことだから、どうせ特に理由もなくサボったのだろう、という決め付けの元に発せられた質問なのです。わたしはカエルのようなYの顔に心底嫌悪感を覚えました。
――中国だから。
わたしはそっけなく答えます。しかし、Yもさすが訓練された「日教組」でした。わたしの口調に何か「特別なニュアンス」を感じたのでしょう。途端に食いかかってきたのです。
――日本のやったことはナチスと同じや。靖国に参拝するのやって中韓が起こるのは当然やで。
発想の飛躍もはなはだしいこの台詞にわたしは面食らってしまいました。そこから始まったのがお得意の自虐史観の披露です。専門外の教科のことをよくもまあこうも得意げに話せるものだと呆れるばかりでした。
なるほど。有意義な勉強でした。修学旅行のプログラムには■■■■■■■の見学も含まれていました。きっと修学旅行に参加していても、向こうで同じような「お勉強」をさせられたに違いありません。それを日本にいながらにして学習できたのですから、わたしは自分の幸運を喜ぶべきなのでしょう。Y先生の熱心さに感謝すべきなのでしょう。
しかし、そんな「有意義さ」などクソ食らえです。
「私は貴様ら教師を許さない。今に見ていろ。いずれその傲慢な頭蓋に裁きの雷を落とすであろう」
抽斗に眠っていた手紙を投函したのは、その直後でした。
わたしはその後、数度にわたって匿名の手紙を送ることになります。文面は毎度似たようなものでした。具体的な暴力の行使をほのめかすでもなく、ただ宗教的抽象の高みから教師を嘲笑しその愚かさを攻め立てるだけ。何もそこから発展して事件を起こそうというのではありません。ただ、そうやって殺人鬼の真似事をするのが、わたしにはスポーツで一汗流すような気晴らしになったのです。
在校生の他愛ない悪戯として処理されたのでしょうか。手紙に関して、学校側からは何のリアクションもありませんでした。
あの手紙に影響を受けた人間がいるとすれば、それは書いた当人であるわたしくらいのものでしょう。わたしはあの手紙によって泥沼へと引きずられ始めていたのです。それは云わば自縄自縛の独り相撲。ありもしない「返信」を勝手に読み取って陥る泥沼でした。
――なんで、ワーク出さへんの。
ある日、現代文を担当しているZ先生から久々にお小言をもらいました。遅刻、欠席を屁とも思っていないわたしですが、テストや課題の提出においては手を抜いたことがないため、連続して提出しなかったことを不審に思ったのでしょう。ただでさえサボりで評定を落としているお前にそんな余裕があるのか、という意味合いもあったと思います。
わたしの成績には大きな穴が開いていました。欠席という穴です。それを提出物の点で塞げないのは痛手に違いありませんでしたが、これは仕方のないことでした。わたしのワークは「呪われて」しまったのですから。
当時のわたしは「書き物」に熱中していました。手紙とは別に、チラシの裏やルーズリーフに教師たちへの呪詛を思いつく限りの言葉を尽くして書き込むのが何よりの気晴らしだったのです。それは自分の中で完結した魔法。自分の呪詛を吸い取る儀式でした。しかし、うっかりしたことに、ある日それを課題である現代文のワークの上で書いてしまったのです。呪詛を込めると否が応でも力が入るため、筆圧は相当強いものでした。ワークの表紙に「死」だの「殺」だのと云った字が移ってしまうのも当然でした。
こんな文字が残ったものを提出したら、あの手紙と自分を結び付けてしまうかもしれない――そんな恐怖を覚えたのはあのときが初めてでした。のみならず、手紙の主としてすでに疑われているかもしれないという可能性に気づいたのです。
それからはもう疑心暗鬼でした。教師たちの目、ひとつひとつがまるで自分をじっと観察しているように思え、そうなればもう疑念の虜、Z先生に追いかけられていたときよりもよっぽど落ち着かない思いをする羽目になってしまいました。学校に、ますますいづらくなってしまったのです。
だから、ということも少しはあったのかもしれません。
教室で手首を切ったのはちょうどその頃でした。
期末テストも終わり、終業式を目前に控えた十二月。英語の時間でした。教壇に立つのはあのY。
何か明白なきっかけがあったわけではありません。わたしが手首を切った理由を一言で表すなら、それは退屈のためでした。
もともと、わたしは一人で時間を潰す才能に恵まれていました。これはおそらく、自由に使えるお小遣いや一緒に遊ぶ友人が少なかったことから身についたことなのでしょう。そして、それは砂漠の生活を経てますます磨きがかかっていたのです。
わたしはそこにあるものでいくらでも時間の潰し方を考えることができました。世界史の教科書さえあれば、アメリカの歴代大統領の暗記に熱中したでしょうし、紙とペンさえあればいつまでも絵を描き続けるでしょう。休みの日に、終日漢和辞典をめくりながら気に入りの漢字をピックアップするという作業に従事したときは充実感が得られたものです。好きな漫画の一話ごとのサブタイトルを書き写してリストにしてみたり、言葉遊びめいた人名を考えて遊ぶのは時間も忘れるほど熱中できることでした。
孤独は、娯楽がどこにでも転がっていることを教えてくれました。幼い子供が何の変哲もない石を収集するように、わたしは何の価値もないものに自ら価値を与える達人だったのです(そうでなければ、あのような手紙を送ることも、なかったでしょう)。シャツの裾から覗く左手首が目に入ったとき、とっさにリストカットという「遊び」を連想したのも自然と云えば自然な発想でした。
そんな気楽なリストカッターですから、やむにやまれぬ衝動に駆られて手首を切っている方々には少し申し訳ないくらいです。
それまで、リストカットは何度か試みたことがありました。しかし、じんわりと血がにじむのが精々、一度として後々まで傷が残るような深い切り方はできなかったのです。ですから、そのときのわたしにもどうせ切れはしない。自分にそれだけの力はないと、軽く侮る気持ちがあったのでしょう。思い付きを実行に移すのに躊躇はありませんでした。わたしは左腕の袖をまくり、右手に握った「リトル・フレンド」の刃を押し当てました。
血でも滲めば愉快だぞ。それで呪いの言葉でもつづれば、なお愉快に違いない。血文字の呪いだ。そんなひらめきがわたしをますます高揚させます。新しい玩具を買い与えられた子供のようにワクワクする自分がいました。
リストカットは思いのほか力を必要とします。ですから、わたしは「そのとき」を待ちました。崖から飛び降りる勇気が沸く瞬間を。右手に力を込めるると、刃を突きたてたところからじわりと血が滲み始めます。そのまま刃を手前に引けば、そのまま肌を裂くことができるでしょう。
引け!
そう強く念じていると、不意に「そのとき」が訪れました。それはパワーの爆発というよりも、まったくの真空――頭を満たしていた躊躇いがふっと消える瞬間でした。そうなれば後は限界まで引かれた矢が放たれるだけ。「リトル・フレンド」が赤い裂け目を作りながら皮膚の上を滑っていくのが見えました。
溢れる鮮血。制服がにぽたぽたと落ちる赤。朝起きたら、パンツが湿っていたときと同じ戸惑い。自分の体が、自分の意のままにならない。その制御をはずれて、取り返しようもなく現実に干渉していく感覚。
混乱。
リストカットには力が必要? 確かに本気で動脈を切り裂こうとすればそうでしょう。しかし、ただ血を流すだけというならそこまでの力は必要なかったのです。紙を切るのと、そう変わるものではありませんでした。
混乱に陥ったわたしですが、居直るのもまた早いものでした。これはにわか雨に打たれてずぶ濡れになった人がそれ以上濡れることをいとわないのと同じです。わたしは流れる血もそのままに、右手の人差し指でその血をすくいとりました。後は当初の予定通りです。水よりは少し粘土のあるその液体をノートへとこすり付けていきます。世界への呪詛をつづるために。「死ネ」、「殺ス」、「滅ベ」……
騒ぎになったのはそのすぐ後でした。
――ちょっ、血出てるやん。
誰かが声を上げました。そこからは堰を切ったようなざわめき。Yまでもがおろおろし始める始末です。しかし、当事者のわたしはというと、自分の平静をアピールするように血文字をつづり続けていました。
そこから最初に動いたのは、斜め前の席だった石田さんでした。わたしの席まで歩み寄ると、左腕を取り上げ、そこにハンカチを押し当てて止血したのです。そういえば、石田さんはあのスピーチで看護婦になるのが夢だと語っていました。
――これ、今日はまだ使ってないから。
「このハンカチは清潔だ」と云っていることに気づくまでひどく時間がかかりました。わたしはさすがに血文字を中断し、石田さんに代わってハンカチを押さえました。あっという間に赤く染まっていくハンカチを見ていると、若干の申し訳なさを感じました。
――さ、保健室行くで。
わたしは保健委員の男子生徒に付き添われながら保健室へと連れて行かれました。そこであらためて傷を見てもらうと、静脈を浅く切っただけだそうで、包帯を巻いてもらうとそのままベッドに寝かされました。傷は残るらしいですが病院に行く必要は特にないそうです。
担任のQ先生が保健室に姿を現れたのはその数十分後のことです。母に連絡したので今日はもう帰るようにとのことでした。強面の先生ですが、そのときは気味が悪いくらい穏やかな口調だったのをよく覚えています。一人で大丈夫かと問う先生にただ「大丈夫」とだけ答え、教室から鞄を持ってきてもらうとそのまま学校を後にしました。
制服を着てしまえば、包帯の巻かれた腕は見えません。傍目には、わたしはどこにでもいる健康な高校生にしか見えなかったでしょう。
そうではない、と声高に主張したい気分でした。袖をまくりあげ、包帯の巻かれた腕を高くかざしたい気分でした。教室で手首を切ったというその事実が、わたしを興奮させていたのです。手紙を投函したときでもこれほどの興奮は得られませんでした。自分は大それたことをやりおおせたのだという達成感がエネルギーとなって体中にほとばしっているようでした。これは、やがて打ち上げられるべき花火、捧げられるべき流血の前触れなのだと。
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