第18話 記述 -goth その2-

 少し前にスピーチの話はしたと思います。


 ――ああ云う意見も必要やと思うで。


 あの発表があった日の放課後、廊下を掃除していると、そんなフォローとも何ともつかないことを云ってきたのが石田さんという同じ班の女の子でした。彼女とはそれまでに何度か同じ班になったことがあり、その分、他の同級生よりは話す機会を持つことがありました。


 わたしはそれにうんともすんとも答えず、黙々と箒を動かしていただけでしたが、あの独りよがりなスピーチにもちゃんと耳を傾けている人がいたのだと思うと、少しだけ救われる気になりました。


 あれだけ本を読んでいながら、わたしは言葉の力というものをまるで信じていませんでした。 自分の悩みはあくまで自分のものだし、それを言葉にしたところで誰かに伝わるわけがないという諦念が常にあったのです。スピーチが独りよがりになるのも当然でした。書きながら、それが誰かに伝わるとは到底信じられなかったのですから。


 その壁をひょいと飛び越えてきたのが石田さんの言葉だったのです。


 あのスピーチも丸っきり独りよがりというわけでもなかったのだ。こうして、ちゃんと聞いてくれた人がいるのだから。そう思うと、言葉の力というものを少し信じてみたくなったものです。



 お盆が終わり、夏休みが明けると、わたしはまた休みがちながらも学校に出るようになりました。


 一度はもういいや、と投げ捨てた高校生活ですが、まだ卒業の望みがあるならとりあえず出席くらいはしておこうとまた学校に顔を出すようになったのです。何が何でも進級してやるという――そう云う気持ちがあったわけではありません。漠然と、何もしないことへの不安があったのです。


 将来は相変わらず霧の中でした。一度は抱いた漫画家という夢も、信仰の喪失というアイデンティティクライシスの渦中でいつの間にかぼんやりと薄れてしまったのです。


 先行きの見えない人生。


 霧のかかった未来。


 自殺という選択肢が頭に浮かぶようになったのは、夏休みの最中のことでした。絶望は教団においても最大の罪のひとつでしたが、わたしにはもはや関係ありません。その意思と状況さえ整っていれば、崖を飛び降りるのに迷うことはないでしょう。いまはまだ死なないにしても、モラトリアムの刻限が迫れば、自分はそれを実行することに躊躇いはないのではないかと思うようになりました。霧の晴れた先にあったのは断崖絶壁の突端でした。


 ならば問題は、どのようにして死ぬかだけです。どのように死にたいかだけです。


 時間は、容赦なく迫っていました。モラトリアムはそう長くありません。たとえ無事に進級、卒業し大学に進んだとしても、あと六年しかありません。それまでに、崖の突端に立たされる前に答えを見つけなくてはなりませんでした。



 しばらくすると、文化祭の準備が始まりました。他の学校がどうかは知りませんが、わが校の文化祭は、一般の参加者の目に耐えうるようなものではありませんでした。その年のプログラムを開いてみると、出店は茶道部の出展を含めて二つしかなく、後はおおよそ退屈な「展示」、「展示」の文字。その中で見れば、わたしたちのクラスはまだ華のある題目だったのでしょう。わたしたちのクラスはいつのまにかジブリ映画を混ぜこぜにしたパロディ劇をやることになっていました。


 云うまでもありませんが、わたしは裏方です。放課後に残って小道具を制作するのがその役目でした。


 わたしはこういう機会でもなければ活躍の場がない「リトル・フレンド」でダンボールをくりぬき、それを束ねて短剣を作ったり、背景のセットに色を塗る手伝いをさせられました。


 ――■■君、カッター貸してくれへん?


 ある日、同じ小道具係の石田さんに話しかけられたことがありました。


 わたしは黙って刃を納めた「リトル・フレンド」を渡します。


 ――ありがとな。


 石田さんは八重歯を見せて笑い、「リトル・フレンド」の刃をダンボールに突き立てます。わたしが自分の作業に戻り、背景の木に絵の具を塗り始めると石田さんの短い悲鳴が聞こえました。


 ――痛っ。


 おそらく「リトル・フレンド」で指を切ったのでしょう。見ると、石田さんが指を口に含んでいました。「大丈夫?」と心配する友人に「平気平気」と答えながら、石田さんはポケットから水色のハンカチを取り出しました。しかし、


 ――あ、これあかんわ。


 と云うと、すぐに戻してしまい、友達にティッシュを借りました。


 返ってきた「リトル・フレンド」はみたところ綺麗そのものでしたが、石田さんには「血、つけてごめん」と謝られました。妄想の中では幾度も人の血を吸ってきた「リトル・フレンド」ですが、実際に誰かに傷を負わせるのはそれが初めてでした。わたしも「そうだ、こいつも実際に人を切れるのだ」と新鮮な驚きを覚えたものです。奇妙な話ですが、妄想をたくましくするうちに「リトル・フレンド」の刃物としての実際性をすっかり忘れ、玩具の変身ベルトのように現実に干渉する力がない代物だと思い込んでいたのです。これをきっかけに、わたしは「リトル・フレンド」に対して畏敬のようなものを覚え始めます。



 自殺という想念を弄ぶときに浮かぶようになったのが、それまでに触れてきた殺人事件の数々でした。西鉄のバスジャック犯の絶望でした。


 自分一人犠牲になって、それで終わりにしていいのか。世間の不条理にあっさりと膝をついてしまっていいのか……


 ただ死ぬと云うのでは、物足りませんでした。この世界に敗れ去ってそれで終わりというのではあまりにも惨めでした。憎いこの世界に何の仕返しもできないまま消えていくというのではあまりに悔しすぎました。


 自分も社会に対して何らかのメッセージを発したい。これまでに受けた仕打ち、理不尽をそのまま連中に返してやりたい。長年に渡って募らせてきた憎悪が復讐心となって激しく燃え上がりました。


 そうだ、殺せばいい。道連れだ。この世界を道連れに逝ってやる。


 それはたとえばコロンバイン校を襲った二人の少年のように、集落の住人を血祭りに上げた末自殺した都井睦雄のように、自身の命を燃やして咲かせる壮大な花火……それが、自分の散り際としてふさわしいものに思えたのです。


 拡大自殺。


 当時はまだその言葉を知らなかったものの、わたしが夢想したのはまさにその可能性に違いありませんでした。その未来において流血は必至です。「リトル・フレンド」が石田さんの指を切ったのは、その未来を先取りしたように思えて、心強かったのです。



 教室だけでなく、学校全体の雰囲気がどこか浮き足立っているように思えました。いつものように図書室に出入りしていると、文芸部の編集会議に出くわしたのもこの頃でした。文芸部は文化祭にあわせて特別な部誌を発行する予定だったようです。図書室には備え付けのパソコンが四台あり、受付に記帳すれば誰でもつかえることになっていたのですが、その時期は文芸部が執筆のため占有する形となっていました。身の回りがあわただしく動いていると、人は自分も何かせねばという焦燥感に駆られるものです。執筆にいそしむ彼らを尻目に図書室をうろうろしていると、「自分はいったい何をやっているんだろう」と気が咎めるのを禁じ得ませんでした。


 その結果としてわたしは自らも筆を執ることになります。


 もしも、自分も彼らのように何か創作に打ち込んでいたら――あの頃を思い出すとき、そのようなifが頭をよぎることがあります。


 あのスピーチから一歩前進して、鬱屈した感情を作品に昇華できていれば、あのようなかたちで感情を爆発させることもなかったのかもしれないと。


 何かやらねばという焦燥の中、わたしはたしかに「表現」の道に足を踏み出しました。しかし、それは他人との共有を前提としない、きわめて自己完結的なものだったのです。


 それは学校に匿名の手紙を送ることでした。

 


「劇場型」と呼ばれる殺人事件の犯人たちはしばしば、警察やメディアに犯行声明文とも云うべき手紙を送りつけたものでした。この手の犯罪の祖とも云うべき切り裂きジャック。西海岸を恐怖のどん底に陥れたゾディアック。最近の日本では宮崎勤や、酒鬼薔薇聖斗、てるくはのるがそうでした。また手紙以外にも彼ら犯罪者が独自につけていた日記を本で目にすることも少なくありません。わたしはそれら殺人犯が書いた文章に熱中し、それを何度も復唱して頭に刻み込んだり、その文体を真似た日記を書いたりしました。それがわたしにとっての感情のはけ口。創作の代わりだったのです。匿名の手紙を書くというアイディアもその延長線上にあったものでした。自分の怒りと憎悪を教師たちにぶつけるのです。わたしは自らの思いつきに高揚し、勢いに任せるままいくつかの文案を練りました。


「私は神の遣い。死の天使。神の炎。そして、貴様らの恐怖だ」


「貴様らの重ねた罪はもはや許されることはない」


「私は貴様ら教師を許さない。今に見ていろ。いずれその傲慢な頭蓋に裁きの雷を落とすであろう」


「御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか(黙示録だ。貴様らの中に教養ある者がいればいいが)」

 

 やがて文面を完成させると、わたしはそれを便箋に書き写し始めました(実際の文面は手紙が手元にないので解りません)。文字を書くときは、酒鬼薔薇の例に倣って定規を使い、指紋を残さないように注意を払いました。やがて書き終えると、それを学校の住所を書いた封筒に入れ、机に眠っていた八十円切手をのりで貼り付けました。作業には思った以上に時間がかかりました。しかし、それだけにそれを封をしたときには、放課後の教室でマジックを握っているときとは比べ物にならないほどの充実感がありました。自分も歴代の殺人者に肩を並べたような誇らしさがあったのです。


 わたしらしいのはそこからでした。


 それで満足してしまったのでしょう。わたしは急に夢から覚めたような気分になり、結局手紙は抽斗の奥にしまいました。わたしの気晴らしはいつだって自己完結的なものでした。

 

 あの頃の自分を客観的に振り返ってみると、孤独というものがいかに益体もない思考を生むかよく解ります。


 他人との共有を前提としない言葉とは云わば壊れたコンパスでした。物事の本質から人を遠ざけ、不毛の砂漠へと誘い込む。言葉はただ、妄想の上に妄想を積み重ね、砂上の楼閣を築くばかり。他人にも理解されないばかりか、自分のことさえ見失ってしまうような、危険な代物だったのです。



 文化祭の前日、放課後の体育館で舞台の最後の練習がありました。あのジブリ映画をバラバラに刻んで一緒くたに煮込んだようなパロディ劇です。わたしは小道具係としてすでに役目を終えていたので一刻も早く学校を出たかったのですが、何やらクラス全員で観劇しなければならない空気が出来上がっていたので黙って残り、客席として並べられたパイプ椅子の一つに腰を下ろしました。


 劇を通して見るのはそれが初めてでした。ジブリ映画には自分も幼い頃から親しんでいたので、細かなところにちりばめられたネタまですべて把握できたと思います。ストーリーにも一応の筋は通っていたでしょう。自分の作った短剣が実際に舞台で振るわれるのを見ると、それなりの感慨があったものでした。しかし、それだけでした。ネタの集積がかろうじてストーリーとしてまとまっているという以上の価値は見出せませんでした。それでも、観客を意識している分、わたしの手紙などよりはよほどましだったのでしょう。しかし、当時のわたしにはそんなことは解ろうはずもありませんでした。


 劇がご都合主義の大団円を迎えると、客席からいっせいに拍手が起こりました。わたしも一応は手を叩き合わせながらも、心中ではこの劇は軽蔑し嘲笑していました。


 発表から解放され、教室から出ようとしたところで、また石田さんに話しかけられました。


 ――■■君も明日は楽しもな。


 あの八重歯を見せる笑み。わたしは曖昧な返事をして体育館を後にしました。


 翌日、翌々日と催された文化祭、わたしは家で過ごしました。

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