第15話 僕は友達ができない その1
教師たちとの関係については話しました。では、同級生たちの関係はどうだったのでしょう。
「世の中には本当にはた迷惑な思い込みが多々ありますが、いわゆる青春とか云うものもその一つです。自分はこの青春というものをまったく信じていません。嘘っぱちだと思ってます。なので、この課題は非常に苦しいものでした。それで、どうしようか悩んで、胃が痛くなって、学校を休まざるを得なくて、それでも必死に頭をひねった結果、青春というものを真っ向から粉砕してやろうとそういう結論に達しました」
これは高校の授業で「青春」を題に書かされたスピーチの書き出しです。
「自分は人付き合いがうまくありません。内向的なのです。人見知りでもあります。青春という言葉から連想されるような友情、恋愛、部活といった華やかなものにはまったく興味が持てません。将来の夢もありません。それがこれから見つかるかどうかも分かりません。とにかく、青春ほど自分と縁遠いものもないということです」
それは偽らざる事実でした。東野と別れたのを最後に、わたしには友達が一人もいなくなってしまったのです。
休み時間のチャイムが鳴ると、教室にはどっと騒がしくなります。あちこちで席を立つ音が聞こえ、やがて友人同士のコミューンが教室のそこかしこで形成されるのです。
その流れに取り残される生徒はどこのクラスにも二人か三人はいるものだと思います。一年三組の場合、その一人がわたしでした。わたしは自分の席で大人しく文庫本でも開いているか、そうでなければ図書室に赴きやはり本を開いているのが常でした。
友達を作ろう、という意思はやはり感じませんでした。孤独は、世間で恐れられているほど辛いものではありませんでした。世間はとかくこの孤独というものを見渡す限り広がる不毛の砂漠や、吹雪に閉ざされた雪国のように想像しがちですが、住めば都と云いますか、いざ一人になってみると、それが思った以上に気楽で、自分にはふさわしい生活に思えたのです。砂漠は、わたしには住みよい場所でした。
たまに気を使った同級生が話しかけてきても、本から目も上げません。適当にやりとりをして、相手が去るのを待ちました。お前のことなど眼中にない、とそういうメッセージを込めたつもりでした。プライベートな空間に立ち入られるのは愉快ではなかったのです。一度、誕生日を訊かれたときなどはデタラメな日日を教えてやりました。わたしは自分一人で満ち足りていたのです。
それに、わたしには人との付き合い方というものをすっかり忘れてしまったのです。砂漠の生活を送るうちに「道化」の仮面を脱いだ自分がどれだけ不器用か思い知らされることになりました。
ある時期、クラスの男子内でオセロや将棋、麻雀等のゲームが流行ったことがありました。彼らは休み時間になるやいなや、あらかじめ申し合わせたように特定の友人の机に殺到し、そこでオセロならオセロ、将棋なら将棋の盤を開くのでした。その中には同じ中学校だったJも混ざっていました。彼が将棋を得意としていることを、わたしもよく知っていました。Jは決して快活な方ではなかったものの、将棋の腕を武器に彼らに溶け込んでいったようです。毎日のように、彼らに駒の動かし方や基本的な戦術について指南する声が聞こえてきたものでした。
そんなある日、将棋の駒が一つ紛失する事件が起こりました。
――教室内のどっかにあるやろ。
そう云って、彼らは机の周りを中心に床を探し始めました。
――誰かの鞄の中にでも落ちたんちゃう?
誰かが云いました。周辺の同級生に頼んで確認してもらっていきます。それがわたしのところに回ってくるまでそう時間はかかりませんでした。
――■■君は駒、知らへん?
彼らの一人が笑みながら訊きました。それはわたしとの距離を測りかねるような笑みでした。わたしもまさか、自分に関係したことだとは思いませんから、
――まさか。
と答えました。
そう云ったときの彼らの反応。
――まさか。
そう繰り返すように云って、手を叩いて笑ったのです。Jも一緒になって笑っていました。
わたしはぞっとしました。自分の言動のどこがおかしかったのかまったく解らなかったのです。まるで小学校に入学したばかりのころに戻ったかのようでした。「道化」の術を忘れたわたしを待っていたのは、生来の「ズレ」がイヤでもあらわになる、むき出しのコミュニケーションだったのです。
後に、わたしの鞄に紛れ込んだ桂馬の駒を見つけても、彼らに返すことはできませんでした。
脱ぎ捨てた「道化」の仮面。しかし、それがもたらした悪癖だけはしっかりと身体に残っていました。「道化」と根を同じくする、あの奇行癖です。
同級生たちは、わたしの挙動にさぞ首をかしげたことでしょう。筆箱にストラップをジャラジャラとつけ、それを授業中に弄繰り回したり、あえてふらふらと歩いてみたり、わたしはそうしたことをあえて人に見せるようにして行いました。
先述の通り、これは自分に変人というラベルを貼ってもらうためでした。そういう分かりやすいラベリングが、自分の本質から他人の目をそらすのに有効であることをすでに知っていたのです。どうせ変人と思われるなら、自分からそういう方向に印象を誘導してしまえ――そのような気持ちも多分に働きました。その作戦はそれなりに功を奏していたと思います。同級生はいつしか、腫れ物を扱うようにしてわたしに接するようになりました。そうだ、そうやってそっとしてくれればいい――それが、わたしの望みだったのです。
「それなのにドラマだの漫画だのは、誰も彼も青春青春……いい加減に気づきませんか。青春なんて嘘っぱちです。それを真似て楽しむのは勝手ですけど、誰もがそういうごっこ遊びを楽しめるわけではないってことにいい加減気づいてください。はっきり云って、迷惑なんです」
総合学習の授業として、スピーチの課題に取り組むことになったのは、三学期が始まって間もない頃でした。
青春。
スピーチの課題が発表された瞬間、わたしはつまらない冗談を耳にしたような薄ら寒さを感じました。
青春という、その言葉のうそ臭さに思わず嘲笑したくなります。これもまたサンタと同じ。嘘っぱち。商業主義の都合から作られた張りぼての幸福モデルに過ぎないのです。当時のわたしにとって、青春とは唾棄すべき幻想、愚か者がすがる茶番でした。クリスマスツリーのてっぺんでぴかぴか光る星も同然のけばけばしくて安っぽい代物だったのです。
しかし、だからこそ、この課題はわたしにとって難敵でした。それはいつだったか、「夢」というテーマに苦しめられたときと同じでした。夢も青春も、わたしにはのっぺりとした張りぼてのようにリアリティがなかったのです。それを、自分の言葉で語れと云う、その困難。
「何も書けないなら、書けないことを書け」というのが教師の常套句ですが、それは真っ向からテーマに挑むよりもよっぽど難しいアプローチだと思います。事実、わたしは苦しみました。
「自分は一人でいたいんです。部屋に閉じこもって本でも読んでいればそれで満足なのです。それを無理に外に引っ張り出さないでください。みんながみんな、幸せになりたいと思っているなんて勘違いはさっさと捨ててください。人には、幸福を拒む権利があってもいいはずです」
その逆に、真っ向からのアプローチはやはり易しいものでした。課題が発表されたその翌週には、すでに多くの同級生が原稿を完成させ、発表を始めたのです。
そこで語られるのはたとえば部活動。たとえばあの忌まわしき将来の夢というやつでした。希望に満ち溢れたその内容を、同級生たちは顔を輝かせながら読み上げたものです。何か、自分がドラマのセットにでも紛れ込んだかのような強い違和感を覚えたのをよく覚えています。自分だけがその脚本をもらい損ねたのではないか。この教室も、ドアの外に出れば、どこかのスタジオなのではないか……
このとき、わたしははじめてもう一つの困難に気づきました。この課題が単なる作文ではなくスピーチである以上、教室の全員に自分の原稿を読んで聞かせなくてはならないのです。崖の前に立たされて、そこから飛び降りろと脅されるような絶望を覚えました。自分の声を聞かれることも苦痛なら、書いた内容を知られるのも苦痛。どうすればいいのだろう、と胃が痛む思いでした。
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