第13話 神さまのいない青春期 その2

 休み時間の教室で、放課後の美術室で、わたしたちは古今東西の殺人鬼の話題に花を咲かせました。東野としても趣味を共有できる仲間ができたことがうれしかったのでしょう。時に東野はその手のノンフィクションを持ち寄り、切り裂きジャックやゾディアック、サムの息子やアンドレイ・チカチーロといった有名な殺人鬼について解説してくれることもありました。わたしは東野を師匠に、殺人鬼たちの歴史にのめり込んでいったのです。


 それは思春期の少年にはありがちなことなのでしょう。他人とは一風変わった、いわゆる「尖った」趣味に浸る自分に溺れる、あの中二病というやつです。


 もちろん、ただそれだけとは云いません。そういう尖った趣味には自己陶酔の快楽とは別にある種の癒しの効果があるのもまた事実だと思います。云わば、鬱屈した感情の捌け口としての役割です。事実、そうして紙の上の殺人鬼たちに戯れることは、教団への不信から来る苛立ちや憎悪をいくらかやわらげてくれたように思います。


 東野もまた似たようなものだったのでしょう。彼は進路のことで親としょっちゅう衝突しているようでした。


 ――画家もダメ、警官もダメだってよ。


 東野の親は確か大学の教授をしていたと思います。子供には堅実な道を歩ませようという考えのようでした。


 ――■■の家はどうなん?


 ――別に何も……


 戒律だけを強いてあとは無関与、放任主義的というのがうちの流儀でした。


 ――ええなあ、それ。


 そんなことはないのだと、自分には自分の悩みがあるのだと云えればどれだけよかったでしょう。しかし、わたしは自分の気持ちを言葉として伝えることができませんでした。


 ――別に、そんなことないけど。


 その頃から話すようになった標準語でそう返すのが精一杯です。これがいつものことでした。わたしは聞き役に徹するばかりで、反対に自分の悩みを、親や教団の話を打ち明けることができませんでした。ありのままの自分をさらけ出す恐怖――「道化」の仮面を脱ぎ捨てても、この性質だけは変わらず残っていました。他人との間にどうしても壁を作ってしまうのです。


 壁。


 それを云うなら、東野だけの話ではありません。わたしは誰が相手であれ壁を隔てた付き合いしかできないのです。その壁がある限り本当の意味では人と交わることができないと云うなら、わたしの一生はきっと砂漠のように殺伐とした孤独の世界となるに違いありません。



 殺人鬼ウォッチャーのわれわれは退屈というものを知りませんでした。興味深い事件はいくらでも転がっていたのです。わたしたちにとって、その年――西暦二〇〇〇年とはその手の話題に事欠かない時代でした。


 二〇〇〇年の流行語に「キレる十七歳」という言葉があったことを覚えているでしょうか。あの年は十七歳前後の青少年がまるで何か悪い病にでも感染したように次々と凶行に走ったことで印象深い年でした。


 2ちゃんねるで「ネオむぎ茶」を名乗っていた少年によるバスジャック事件、「人を殺してみたかった」という特異な動機が世間に衝撃を与えた愛知県豊川市の主婦殺害事件、岡山で野球部の少年が母親をバットで殴り殺す事件もありました。わたしや東野には話題に尽きない年だったわけです。世間を震撼させる事件が次々と起こるというだけでなく、その犯人がみな揃いも揃って自分たちと同世代の少年だったのですから。これは興奮するなという方が無理な話です。わたしたちはまるでスターの言動でも追いかけるように、それぞれの家庭で取っている新聞を隅から隅まで読み込んだものです。


 ――俺らと何が違うんだろうな。


 ある日、東野がふと漏らした感慨は、自らの正常さに安心しているようでも、彼らのように世間に刃を向けることができない自分に失望しているようでもありました。


 ――なんかたまに馬鹿馬鹿しくなるわ。見てるだけしかできへんなんて。


 そのもどかしさはわたしにも充分理解できる感情でした。この世界の不条理、醜さを知りながらも、それに従属することでしか生きられない自分への苛立ち。青少年特有の何か大きな事をしでかしたいという功名心。「キレて」しまった彼らに、社会の向こう側へと踏み出した彼らに羨望とも嫉妬ともつかない感情を覚えたのはわたしたちだけではなかったはずです。あの年の若者はみな何らかの形で「キレ」た彼らから影響を受けていたのではないでしょうか。


 東野はつぶやきます。


 ――愛知の事件やないけど、やっぱり自分で一度やってみたいよな。

 

 人を殺す。


 その魅力的な考えが頭をよぎるようになったのはこの頃からでした。もちろん、それを実行に移すというのではありません。いくら破れかぶれとは云っても、失くして惜しい生活はわたしにもあったのです。しかし、そうして暗い考えを弄ぶことは、ささくれ立った心を少なからず癒してくれたものでした。


 イギリスに実在した毒殺魔グレアム・ヤングをご存知でしょうか。戦後のロンドンに生まれた彼は幼くして毒薬に興味を持ち、好奇心の赴くままに毒薬を収集、生き物を対象に実験を繰り返すようになりました。そして、人間よりも毒薬に親しんだ彼にとって、実験の対象が人体へと移行するのは当然の流れでした。


 彼は十四歳のときに義理の母親を劇薬でじわじわといたぶり死に追いやりました。その他の家族や友人にも毒を持っていたということです。彼はこの件で逮捕され、犯罪者を収容するブロードムア病院に放り込まれました(尤も、彼が有名になったのは退院後、職場の同僚を毒殺したからなのですが)。


 彼は毒薬アンチモンを詰めた小瓶を「リトル・フレンド」と呼んで持ち歩いたそうです。


 アンチモンがぼくに与えてくれた力が恋しい


 収容された病院で、彼はそのように口走ったと云います。ポケットの中の「リトル・フレンド」は、彼の心に特別な力を与えてくれたのでしょう。


 わたしが制服のポケットにカッターナイフを忍ばせるようになったのもおそらくは似たような心理によるものだったのだと思います。カッターナイフ。それがわたしの「リトル・フレンド」でした。そうして刃物を肌身離さず持ち歩いていると、何か不思議な力がわいてくるような気がしたものです。


 人間の身体など脆いものです。わたしがささやかな友人の力を借りて頚動脈を一閃すれば、それで最後。溢れ出す血を止める術はなく、ただ生命が流れ出していくのを見ているしかありません。人を殺す――「リトル・フレンド」がいれば、それがたやすくできるのです。その可能性を弄ぶことは、わたしに暗い悦びを与えました――自分は他人の生死の決定権を握っているのだと。


 わたしはしばしば教室でカッターの刃を出し入れするようになりました。カチカチと云う音は雑談にまぎれて誰かに聞こえることもありません。誰も自分が持つ力には気づかない――それがまたわたしの心に暗い愉悦を煽り立てました。


「リトル・フレンド」がわたしに与えた力とはつまり他者の生命を支配する優越、神の如き全能感でした。


 ここでまた信仰の問題について触れておかねばなりません。


 結局、わたしは信仰を失っても神を捨てることだけはついぞできませんでした。神のいない世界とはつまり、唯物主義の地獄です。。目に見えるものだけを信奉し、いま生きる人生の他になんら価値を認めず、ただ快楽原理にのみしたがって生きる……それではただの動物と一緒です。人間の尊厳というものがまるで感じられないではありませんか。信仰を失うことは、云わばそれまでの価値観を否定することでした。しかし、神を捨てることは、価値観と云う概念そのものを否定するようで恐ろしかったのです。それは云わば、宇宙空間の虚無に投げ出されるようなものでした。わたしには、神が必要だったのです。


 教団の神はデタラメでした。それでもなお神を望むなら、自分の神を自分で語りなおす必要があります。そこでわたしが選んだのは、云わば、きわめて個人的な分派でした。


 自分のための信仰。


 自分のための求道。


 自分のための神。


 それを追求し確立することがその後の人生の課題となったのです。たとえ、それがために自ら孤独を選ぶことになってもかまいませんでした。それが神に至る道だと云うなら、果てしなく広がる砂漠にだって喜んで足を踏み入れたでしょう。何もない宇宙に投げ出されるよりはよっぽどマシでした。


 求道は私刑というかたちから始まりました。


 わたしはしばしば気に入らない同級生の所持物をカッターで切りつけたものでした。それと同時に始めたのが、学校で禁じられている自転車登校をしている連中への制裁です。わたしは彼らが駐輪所として利用する場所――通学路にあるマンションの前や駐車場の傍らでした――に先回りし、制服に忍ばせていた錐を使ってタイヤに穴を開けていくのでした。そうして得られる私刑の充実感、破壊の痛快さが何よりの慰めだったのです。これが求道の第一歩となりました。


 自分に都合のいい倫理、世界の解釈をでっち上げ、神の使命とは名ばかりの憂さ晴らしに精を出す――いま考えれば、ネットで他人を炎上させて喜ぶ輩と何一つ変わらない、なんとも浅はかで愚かしい話ですが、教団の神を失ったわたしは、早急に自身の神を確立する必要があったのです。私刑は、破壊は、神の高みに近づくための登攀でした。祈りでした。それがどうしてやめられましょう。


 僕は新世界の神となる


 漫画『DEATH NOTE』の主人公、夜神月の台詞です。この作品を読んだのはこのずっと後のことでしたが、もしもあの時期に読んでいれば、独自の価値観で犯罪者を断罪していく月に自分と同じ求道者の姿を見たに違いありません。



 そんなわたしにとって想定外だったのは、「リトル・フレンド」に気づく人間がいたことでした。


 母です。


 ――何か辛いことがあるの?


 あのとき、わたしは正直に告げるべきだったのでしょうか。もう教会の教えは信じてはいないのだと。自分は自分の神を見つけ、それに従うことに決めたのだと。母の信じてきた教会はひどい嘘つきで、母が教会に貢いできた金は全部無駄なのだと、そう云えばよかったのでしょうか。そうして、古い神にはっきり別れを告げていればよかったのでしょうか。


 わたしは、ただ黙りこくっていました。また壁の内側に逃げ込んだのです。その壁を乗り越えることは、母にもできません。


 ――こういう物を持ってないと安心できないの?  


 思えば、あれはわたしの中で新旧の神が争った瞬間でもありました。前にも述べたように、わたしにとって母は神も同義でした。それまでその云いつけに逆らおうなどとは考えたこともなかったのです。


 それが、いまやどうでしょう。母はもはや自分の前に立ちはだかる間違った大人の一人にすぎませんでした。わたしの神ではありませんでした。いまや初老に近づき、髪を白髪染めで黒くした枯れ木のような中年女性。そこらのスーパーで特売品をカートに詰め込むおばさんたちと何も変わりませんでした。


 カッター。錐。ノミ。ドライバー。自分の「リトル・フレンド」たちが没収されるのを見ながら、わたしははっきりと自覚しました。もう、母を信じることもないだろう。教団を、古い神を信じることはないだろうと。自分は自分の神を見つけなければならない――そう強く決意した瞬間でした。



 やがて季節はめぐり、年は明け、そして新世紀がやって来ました。


 卒業文集の制作が始まりました。テーマは自由でした。小学生のときの「将来の夢」のように、悩むことはありませんでした。


 わたしは原稿用紙を渡されると、特に何も考えることなく、当時凝っていた天使の羽というモチーフ(尤も、第三者には鳥の羽と区別がつかないでしょうが)を描き、そしてあの一文を書き付けました。


 自分の三年間はしあわせだった。  


 あのときの心情はやはり霧の向こうです。



 卒業式は三月の半ばにありました。まだ肌寒い中にも、そこかしこに春の兆しが見えるような時期です。東野はすでに工業高校の受験を終え、わたしはその数日後の普通科公立高校の受験を控えていました。  


 当日の心境はありありと思い出すことができます。三年間を思えば、何らかの感慨くらいはあるものだろう――そのような予想を裏切るかのように、心は冬の空気のように乾き、冷え冷えとしていました。


 同級生たちの頬を流れる涙は嘘臭く、まるで下手なアイドルドラマを見ているような気分になったものです。


 笑ってしまうのが、不良グループの中にも目を赤くした面々がちらほらと見られたことでした。囚人のオーケストラの演奏に涙したという強制収容所の幹部の話を思い出し、気味の悪さを覚えたものです。


 式の後も、わたしの心は乾いたままでした。 特に友達と話しこむということもありません。いつも通り、東野と肩を並べて帰路に着きました。


 あのとき、わたしたちは何を話したのでしょう。何か、特別なことを話したとは思えません。そうであれば、最も親しかった友人との会話をこうして忘れることもなかったでしょうから。


 東野とはずっと一緒にいました。志望する高校は別々でした。そのことに関して話したことはあまりありません。あれだけ親しくしていたのに不思議といえば不思議ですが、わたしと東野はいつだって「いま限り」の関係でした。 この友人との間に張り巡らせた壁を取り払うことは、ついぞできなかったのです。


 やがて、幹線道路を束ねる交差点に出ました。東野はここを渡り、わたしは道路に沿って帰らねばなりません。これまで幾度となく、この交差点で別れの挨拶を交わしたものです。


 ――じゃあな。  


 というのがそれでした。「さよなら」でも「バイバイ」でも「また明日」でもなく、ただ「じゃあな」と。別れを告げるでもなく、再会を願うでもない、そんな曖昧な挨拶を、わたしたちはその日も繰り返しました。


 ――じゃあな。


 と別れて、それっきりでした。わたしは不毛の砂漠に足を踏み入れたのです。神と友人、その二つに別れを告げたわたしに残されたのは、求道、ただそれだけでした。

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