第12話 神さまのいない青春期 その1
ここでまた文集を開きましょう。
自分の三年間はしあわせだった。
今のわたしはそれを見て首をひねります。自分はいったい何を思ってこんなことを書いたのだろうと。なにせ、これを書いた当時の自分は、疑いようもなく人生で最も不幸な境遇に置かれていたのですから。
人生は人生は地獄よりも地獄的である。
薔薇色だった二年間の話はもうしました。
これから始まるのは地獄の話です。
不毛の砂漠を彷徨う求道の話です。
それがどのように起こったか説明するのは簡単ではありません。
不信。
それがいつわたしの胸に忍び込んだのか、そのきっかけを探ることは今となっては困難を極めます。それは気がついたときにはすでにわたしの中で増殖し胸を蝕んでいたのですから。
ええ、そうです。わたしは教団の教えというものがすっかり信じられなくなってしまったのです。
そして、この不信こそが、わたしの人生を薔薇色から地獄へと一変させたのでした。
毎週、嬉々として参加していた礼拝。説教は空しく聞こえてならず、自分がその場にいる理由が皆目見当つかなくなりました。家に飾られた教祖の写真。その顔はただの老人にしか見えませんでした。教団の先輩からかかってくる電話。恐ろしくて仕方がありませんでした。
それまで信仰に支えられていた日常、生活ががらがらと崩れ去っていくようでした。
思えば、わたしが電話というものを恐れるようになったのもあの頃からでした。
教団には、学生会(学校で云う生徒会のようなものです)と呼ばれる高校生たちがその他の中高生に電話し礼拝の出欠を確認する制度がありました。
わたしを担当するのは、二年年上のYという高校生でした。身長はわたしより低かったのですが、隙あらば喉元に噛み付いてきそうな好戦的な雰囲気を持っており、実際、わたしも何度か意地悪な言葉をかけられたものでした。わたしにとっては苦手な相手に違いありませんでしたが、その先輩も学生会に入ったのを期に変身を遂げていました。昔、わたしをからかったのと同じ声で、いかにも理解のある先輩であるかのような言葉を囁いてくるのです。その気味悪さ。ああ、今でも思い出します。わたしは電話を受けるたび、受話器の向こうから噛み付かれるのではないかという不安を覚えたものでした。
――今週は礼拝来れる?
毎週毎週、投げかけられる質問。わたしはそのたびにやんわりと欠席の意を伝えなければなりませんでした。
――えっと、勉強があるのでちょっと……
都合のいいことに、わたしは中学三年生であり受験を理由に礼拝を欠席してもなんら不信がられることはありませんでした。それでも、相手の誘いを断ることは過大な負担に違いありませんでした。わたしはそれまで人の意志を無碍に断ることなど一度も経験したことがなかったのですから。
そうして毎週末にかかってくる電話を恐れるうちに、電話の着信音そのものに底知れぬ恐怖を感じるようになったのでした。
毎週の電話も苦痛でしたが、何よりも苦しかったのは自分が今後何を支えに生きていけばいいか解らなくなったことでした。
わたしはずっと、教団の教えを信じて生きてきました。教団の教えが絶対だと思って生きてきました。■■■である教祖の教えに従うことが唯一、地上に楽園をもたらす方法なのだと。人類を救う方法なのだと。そう信じて生きてきました。なのに、それが全部嘘っぱちだとしたら――
恋愛。
同級生が見ていたテレビ番組。
わたしがこれまで守ってきたこと。我慢してきたこと。それらすべてに意味がなかったとしたら――
わたしが背負ってきたそれらの不自由が、自己満足のやせ我慢にすぎなかったとしたら――
いったい、自分は何をよりどころに生きていけばいいのだろう――深い絶望がわたしを襲いました。
この時期、もう一つ劇的な変化がありました。それは、同級生たちと仲良くしよう、明るく朗らかでいようという意志をまったく感じなくなってしまったことです。
三年生に上がるときのクラス替えで、わたしは市川をはじめとする仲のいいグループと離れ離れになってしまいました。そのほか少数の友だちとも別々になり、教室では常に一人でいるようになりました。
これが去年までなら新しい友だちを作ろうとはりきったことでしょう。しかし、その時のわたしは深く疲れていました。友だち。そんなものに囲まれたところで何の意味があるだろう。そんな思いが胸を満たしていたのです。
これもまた、不意に気づいた世界の空しさでした。あのときの虚無感と云ったら、まるで信仰だけでなくあらゆる観念に価値を見出せなくなってしまったかのようでした。
学校に行くのが億劫になり始めたのもこの頃です。一学期には最上評価と云ってもよかった内申点も、二学期以降にはぼろぼろになってしまいました。信仰だけでなく、交友も成績も進路も投げ打って、それらのもたらす煩わしさから解放されたかったのです。
後先のことは、考えませんでした。受験生という立場は、わたしが立ち直る支えにはなりえず、かえって居直りの決意を与えただけでした。ちゃんとしなければならない――周りにそういう空気があったからこそ、わたしはそれにはっきりと、きわめて意識的に「ノー」を突きつけることができたのです。
やぶれかぶれ――あのときのわたしを表すのにそれ以上の表現はないでしょう。信仰の崩壊をきっかけに、わたしは坂を転げ落ちるようにして社会から逸脱していくことになります。
そんな中でも変わらず親しく付き合っていたのが東野という男でした。彼は市川と同じ剣道部に所属していたため、そのつながりでわたしとも話すようになったのでした――尤も、彼は二年に上がってすぐ退部し、美術部に移ってしまったのですが。
ええ、彼は絵がとてもうまかったのです。それはもうわたしとは比べ物にならないほどに。何を描くにしてもモデルや資料を必要とするわたしと違って、彼はまるでマジシャンが何もないところから鳩やトランプを取り出すように、繊細な人物画や銃火器、スポーツカーや植物のイラストを描くことができました。
絵という共通の趣味も手伝ってか、わたしたちはすぐに意気投合しました。三年のクラス替えでは彼とも離れ離れになってしまいましたが、東野は休み時間の度にわたしの教室を訪れてくれたので距離を感じることもなく、また放課後は美術室でともに気ままな制作に取り組み(わたしは美術部の幽霊部員でした)、帰りは道が分かれるまで一緒に下校するのでした。中学校の三年間を見渡しても、わたしが最も親しくしたのはこの東野と云えるでしょう。
さて、東野には絵のほかにもう一つ趣味がありました。わたしはそのことも述べておかなければなりません。
――これ、誰?
ある日のことでした。東野がノートの片隅に描いたピエロが目に留まったのです。わたしはてっきり漫画のキャラクターだと思って訊いたのですが、帰ってきたのは意外な回答でした。
――ジョン・ウェイン・ゲイシー。殺人ピエロ。知らん?
わたしが首を振ると、東野はこの連続殺人鬼の犯行とその生涯について嬉々と語り始めるのでした。その胸糞悪い話の内容もさることながら、それを平然と、映画や漫画のストーリーのように語る東野に対しても少し薄ら寒いものを感じたのを覚えています。
東野の趣味とはつまり古今東西の猟奇的な殺人事件に親しむことだったのです。
しかし、そうして二度三度と話に付き合っているうちに、わたしの心には奇妙な感情が芽生え始めたのでした。それは云わば禁忌と背徳を覗く愉悦――
東野の話には、聞いてはいけないと思いながらも耳を傾けずにはいられない何かがありました。東野がプリントの隅にこっそりと描く凄惨なイラストには、見てはいけないと思いながらも、目を釘付けにしてやまない何かがありました。
醜悪。
罪業。
苦痛。
それらがときに、深刻な芸術の主題たりうることに初めて気づいたのです。それまで、人や神の崇高さを謳うことこそが芸術の使命だと思っていたわたしには、これも目が覚めるような衝撃でした。東野はわたしの前にまったく新しい道を開いて見せたのです。
わたしは、暗がりから伸びる腕に誘われるようにして、その陰惨な森に足を踏み入れていきました。東野が語る救いようもなく残酷なストーリーにすっかり引き込まれていたのです。
東野もまさか、彼の手を離れたわたしがその森の深みに迷い込もうとは思いもしなかったでしょう。
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