第9話 だから僕は、恋ができない。

 真田さんは、バスケットボール部に所属する女の子でした。背丈はどちらかと云えば小柄でしたが、敏捷な筋肉を持っているらしく、体育の時間では女子グループの中心となって活躍する一人でした。


 好きな人は誰か?――友人のTに訊かれたとき、わたしが答えたのは彼女の名前でした。



 わたしが恋愛の禁じられた家庭に育ったことはもう話しました。世の中で恋愛というものがいかにもてはやされ、推奨されているかを考えると、この禁則はとても厳しいものと云えるかもしれません。しかし、幼いわたしには未だその禁則の重みや不自由さというものがいまひとつ実感できませんでした。

 恋を知らない。それは十歳を過ぎたばかりの男の子にとっては何もおかしなことではありませんでした。むしろ下手に色気のある話題など持ち出そうものなら、「エロい」とからかわれるのが普通だったのです。


 それが変わったのはいつからでしょう。やがて、わたしの周囲にもあの忌々しい春が訪れました。


 わたしが親しくしていた友人で、恋愛の話題に最も熱心だったのがTでした。彼は五年生に上がってしばらくすると「好きな人ができた」とどこか誇らしげに吹聴するようになりました。それ以降は何かにつけて、恋、恋で、それはまるで、恋をしている自分がわれわれ友人よりも「進んでいる」のだと暗に主張しているようでした。また、誰もそれを「エロい」とは茶化しません。恋などという大人の真似事をして、背伸びをしているかのようでした(余談ですが、この大人になりたいという願望はついぞわたしには理解できない感覚でした)。


 やがて一人、二人と「大人」の仲間入りを果たす友人が現れました。そうでなくとも、当時流行していた恋愛ドラマの話題などを仲間内で交わすようになったのです。わたしにとって面白くない流れだったことは云うまでもありません。わたしは現実、虚構の別なく恋愛に興味を抱くことができませんでした。それよりもわたしは、当時流行っていたポケモンの情報でも交換していた方がよっぽど愉しかったのです。


 恋愛。それはわたしにとって一つの脅威でした。その語から連想される親密さ、裸の付き合いとでも云うべき明け透けな関係性が恐ろしくてならないのです。尤も、それは恋愛に限った話ではなく、家族や友人との関係においても同じことでした(だからこそ選んだ「道化」の道であることはもう述べました)。

 

 たとえば、名前という問題があります。気心の知れた友人というのはお互いを呼び捨てにしたり愛称をつけたりするものですが、わたしはそういう親密な呼び方を口にすることに素肌を重ね合わせるような恥ずかしさを覚えるのが常でした。


 わたしがこれまでに何度か名前を出したタカ君にしたってそうです。ここでは便宜上そのような呼び方をしていますが、わたしが現実に彼をそのように呼んだことは一度もありませんでした。それどころか「おまえ」とか「君」というような二人称の呼び方さえ、できないのです。では、どう呼ぶかというと、まるで物でも指すように「そっち」と、そう云うのがやっとでした。最も親しい友人でさえそうだったのです。当然、他の友達に対してもそうでした。


 それどころか、わたしは自分のことさえうまく呼ぶことができない始末なのです。周りの友達がみんな「俺、俺」と男の子らしい一人称を用いるのに対して、やはりわたしは自分を物のように「こっち」。そのように対象と距離を置かなければ、まともに話もできない始末だったのです。


 苦痛なのが作文でした。さすがに「そっち」だの「こっち」だのという言葉を使うわけにはありません。わたしは筆をつっかえつっかえさせながら、「僕」や「■■君」といった文字をつづるのでした。


 そして、何より恐ろしいのがそれを人に指摘されることでした。


 ――■■君って、人のこと名前で呼ばへんよな。


 そう云われるのがどれだけ恐ろしかったことか! その後の流れは毎度決まっていました。「そんなことないけど」と否定するわたし、「じゃあ、この場にいる友達を名前で呼んでみろ」とはやし立てる友人たち。わたしは、作文を書くときよりもさらに息苦しいものを感じながら一人一人その場で考えた適当な呼び方を鉛でも吐き出すように口にするのでした。


 他人と深く付き合うことができない。わたしのそのような性質には周りも気づいていたのでしょう。わたしの呼ばれ方もただの呼び捨てから「■■君」というどこか距離を置くようなそれに変わっていきました。わたしには「道化」の仮面を脱いだ付き合い、裸の付き合いというものがどうしてもできないようです。


 裸、と云いましたが、これは何も比喩の上だけの話ではありません。わたしにはヒトの裸というものがどうにも恐ろしく、グロテスクに思えてならないのです。あるいは、神の被造物の中で最も醜いのがこのヒトというもの、ホモ・サピエンスの身体なのではないかとひそかに疑っているくらいでした。


 そのことに気づいたのは、初めて女性の裸身を見たときだったと思います(友人のBの家にはいわゆる「エロ本」が山と積まれていたのです)。それからは自分の身体を洗うのも、やっとです(余談ですが、天使化の願望もこの頃に生まれたものでした)。もしも死後の天国を信じていなければ、その醜悪に絶望したかもしれません。わたしは、これはいわば仮の宿、天国の門をくぐるときには脱ぎ捨てるかりそめの身体に過ぎないのだと自分に云い聞かせることでなんとかヒトの醜悪に耐えることができたのです。

 

 わたしは心と身体のいずれにも常に衣服をまとっていなければ羞恥にもだえて死にそうになってしまう人間でした。たとえ教団が恋愛を禁じていなくても、わたしの人生に春が訪れることは決してなかったでしょう。わたしは、不毛の冬に閉ざされた生をこそ望んでいたのです。


 さて、そんなわたしですが、いくら恋愛に興味がないといってもそれがために友人に取り残されるのはやはり本意ではありませんでした。テレビのときと同じです。取り残される。漠然とした予感を感じ始めました。


 しかし、そんな心配は無用だったのです。親切なことに、友人たちは向こうから仲間入りの機会を与えてくれたのですから。


 あれは昼休みの清掃時間、わたしが教室で箒を掃いているときでした。


 ――なあ、■■君って誰が好きなん?


 ちりとりを構えるTが聞いてきました。わたしはそこにゴミを掃き入れながら、「またか」と内心でつぶやくのでした。こういう問いかけはそれまでにも一度ならずあったのです。わたしはそのたびに「いない」と答えるのですが、Tをはじめとする友人たちは決してそれを信用せず、「シャイやな」などと冷やかしてくるのでした。


 ――あーあ、■■君の好きな人、知りたいわー。


 Tが他の班員の同意を求めるように云います。


 ――俺の好きな人教えたら、教えてくれるん?


 いないものはいない――そう強く主張すればよかったのでしょう。しかしわたしは例によって弱腰でした。勢い込むTを前に消え入るような声で否定するのが精一杯だったのです。その態度が、Tに「このままなら押し切れる」という確信を与えたのかもしれません。


 ――じゃあ、教えるから耳貸して。


 わたしが拒む間もなく、Tはわたしの耳元に口を寄せ、そしてある名前を、彼の思い人の名前を囁きました。


 ――真田。


 このとき、わたしは特に驚きませんでした――彼は日常、何かにつけて彼女の名前を出し話題のタネにしていたからです。


 真田さんとは数度、話す機会があるきりでした。初めて話したときにはすでにTの口から幾度となくその名前を耳にしていたので、「へえ、これが」という気持ちもあり、少し気もそぞろだったのを覚えています。真田さんは短く切りそろえた髪から受ける活発な印象とは裏腹に、控えめな話し方をする女の子でした。顔立ちは整っている方でしょう。Tが惚れたのだとしてもおかしくはありません。しかし、わたしにとって彼女はただ、それだけの存在でした。Tがよく話題にする同級生。他の友人が話題に上げるゲームやアニメに対する興味と変わりません。一人の女の子として好意を持っているわけでは決してありませんでした。


 それなのに、どうしてわたしは彼女の名前を挙げてしまったのでしょうか。


 Tから真田さんの名前を聞かされたとき、わたしは断崖絶壁に立たされたような心持でした。わたしはもう名前を聞いてしまいました。それはTにとっては決して安易には口にできない情報――一種の弱みでした。それには当然、対価を支払わなくてはなりませんでした。ここでわたしがだんまりを決め込んだら、あるいは本心そのままに「いない」と答えれば、どうなるでしょう。理不尽ですが、契約不履行として友だちの反感を買うに違いありません。


 逃げ場などありようがなかったのです。


 どんな形であれ名前を差し出さなければならない――わたしはそう結論しました。好きな人をでっち上げ、それを告げてやるしかないのだと。ならば、問題は誰を選ぶか。それだけです。しかし、とっさに適当な名前が思い浮かばなかったわたしは思わずこう告げてしまったのです。


 ――同じ。


 ただ、「同じ」と。


 こうして、わたしも「大人」の仲間入りに成功しました。Tが「あーあ、片思いってつらいよな」と云えば、適当に頷き、真田さんがこんなことを云っただの、云わなかっただのという話に耳を傾けました。みんなが一日も早く恋愛ごっこに飽きて、ポケモンの話題に戻ってくるのを待ちながら。そして、それは望外に早く実現しました。


 ――俺、真田のこと好きなのやめたわ。


 Tがそう宣言したのはいつのことでしたでしょうか。好きなのをやめる。恋愛とはゲームから抜けるみたいにやめられるものなのかと驚いたものです。


 その後の展開は恋愛ブームが来たときとまるで同じでした。先導役だったTが旗をたたんだことで、誰もが沈没する船から別の船へと避難するようにして、恋愛の終結を宣言したのです。そうして、友だちは次第にポケモンに戻ってきました。皮肉なことに、避難のタイミングを逸し沈没する船に残されたのはわたしだけでした。


 ――■■君、片思いで可愛そうやな。


 そんなことを定期的に云われるのは鬱陶しいものでしたが、否定するのも面倒くさく、そのままにしていました。あのたった一度の嘘がここまで引っ張られるとは誰が思うでしょう。これもまた皮肉なことに、わたしは仲間内で最も「一途」というイメージを付されてしまいました。 



 ちなみに、この話には後日談があります。


 ある日の放課後でした。委員会関係の所用がある友達を待って、Iとともに学校に残っていると、真田さんを含めた女子が何人かと顔を合わせました。どうやら、彼女らも友達を待っているようでした。退屈を持て余した子供が集まれば、何が始まるかは決まっていました。暇つぶし。誰かが「バレー(当時、バレーのトスを回す遊びが流行っていたのです)でもしない?」と云い出したとき、反対の声は上がりませんでした。

 

 思わぬ提案がなされたのは、わたしたちが輪を作るように散らばってからでした。


 ――じゃあ、最初に落とした人が好きな人云うことな。


 わたしは一瞬ぎょっとしましたけれど、いくらなんでも自分がボールを落とすような不運に見舞われることはあるまいと、そんな気楽な考えでこの遊びに乗じたのでした。それに、わたしが真田さんを好きなことになっているのはTを中心としたグループの中だけで、その情報はIの耳には入っていないはずだという事実も大きかったと思います。Tのときとは違って、落としたところで「いない」と云い張れば無理強いされることもあるまい――わたしには、そんな見通しがあったのです。


 ――行くで。


 云い出しっぺの子がボールをあげました。


 ここまで云えばもうお解かりでしょう。最初にボールを落としたのはわたしでした。


 受け損なったボールが地面にバウンドするのを見たとき、ああ面倒だなという思いが頭をよぎりました。


 ――■■ちゃん、罰ゲームー。


 女の子たちがきゃっきゃと騒ぎます。こうなれば、いよいよ面倒です。ここで「いない」などと云えば、場が白けるのは明白です。わたしはこの場に至って初めて、自分の判断の浅はかさに気づきました。


 そうして黙り込んでいると、何を勘違いしたのかIがわたしの方に手をかけ、物陰へと誘いました。


 ――なあ、誰なん?


 物陰に着くなり、Iは訊きました。わたしも相手がI一人なので、いくらか気安く、


 ――いないって。


 ――嘘やろ。Tからいるって聞いたで。


 このときほど、Tを忌々しく思ったことはありません。わたしがなおも黙り込んでいると、Iは鎌をかけ始めました。クラスの女子の名前を一人ひとり挙げ始めたのです。そして――ああ、わたしはくだらない冗談は云えてもこういう類の嘘が苦手でした。Iが「真田」と云ったときも、おそらく表情になんらかの変化があったのでしょう。Iがそれを図星を突き当てたと解釈したことは云うまでもありません。


 ――マジで?


 Iは喜色満面といった笑みでわたしを一瞥すると王の伝令を仰せつかった臣下のように校庭へと駆けていきました。こうなっては止めるべくもありません。物陰から覗くと、Iはすでに真田さんたちのグループを相手に伝令の任を果たしているところでした。


 その後、真田さんを顔を合わせるたびに気まずい思いをするようになったのは云うまでもありません。

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