第5話 道化師と笑わない友。その1

「道化」という習慣はすっかり、自分の身体に染み付いたようでした。わたしはまるで息をするように冗談を云い、周囲が笑いに沸くのを見てはほっと安堵していたのです。のみならず、ひそかな充実感を覚えたほどでした。


 どんなかたちであれ他人の承認、好意的な評価というものは人の心をくすぐるものです。わたしもまたその例外ではありませんでした。


 自分のユーモアを認められる喜び、誇らしさ。それは次第に自信となっていきました。調子付いたわたしはますます積極的に冗談を飛ばし、休み時間のみならず授業中にでさえとぼけた発言をし、教室の笑いを誘うようになりました。


 道化。それはあくまで受け身のはずでした。飛来する言葉から身を守る盾。それがわたしにとっての「道化」だったのです。しかし、本当の意味での安心を得るには、他人の干渉から身を守るにはそれだけでは充分ではありませんでした。わたしは次第に悟るようになります。専守防衛では、相手の言葉が飛んできてからでは遅いのです。本気で自分のデリケートな部分を守ろうと思ったら、こちらから相手を攻め立てて攻撃の隙を与えないことが重要でした。先人はよく云ったものです。攻撃は最大の防御とはこの上ない真理でした。


 わたしの「道化」ぶりはますますエスカレートしていきました。誰に注目されているというわけでもないのに、変な帽子のかぶり方をしてみたり、教科書に落書きをして周囲のツッコミを待つようになりました。そのようにして常におどけ者でいることが、自分の本質から目をそらす何よりの方法だと、無意識に気づいていたのでしょう。本物の道化がそのメイクを落とさない限り人格ある存在とみなされないのと同じことでした。


 そのようにして、わたしはすっかりクラスのひょうきん者としての地位を固めていきました。顔には常に笑顔を張り付かせ、男女問わず人気を集めていた自分(尤も、恋愛的な好意とは無縁でしたが)。そんなことを云うと、なんだ、道化でも何でもそうやって周りに人が集まるのなら愉しかったに違いない、と、それまでの経緯はどうあれ決して不幸な人生でもあるまい、と、そう思われるかもしれませんが、しかし違うのです。


 いえ、確かにそれは愉しくて、幸福な時間でもあったことは認めますけれど、しかし、だからと云って何から何までが薔薇色な、天使のラッパでも聞こえてくるような、天国のような時間というわけでもなかったのです。


 わたしが当時、仲良くしていた同級生に江川さんという女の子がいました。江川さんは三年生の途中で転入してきた、それはもう人の目を引かないではいられない美少女で、やれ誰が江川さんに告白して振られただのなんだのという浮ついた話をよく聞いたものですが、母に飼いならされたのかすっかりおぼこく育ってしまったわたしにはあくまで気安い友人でした。


 彼女は、その美しさに由来するのか、それとも大阪の外からやってきたためか周りの女子とは少し違った雰囲気を漂わせていました。


 それはわたしとの距離のとり方にも現れていて、他の女子がわたしを「■■ちゃん■■ちゃん」と下の名前で呼び慕ってくるのに対して、彼女はあくまで「■■君」(わたしの苗字です)とクラスの女子でも珍しい、それゆえ少し他人行儀な感じさえする呼び方をするのでした。


 彼女はわたしが何か面白おかしいことを云ってみせても口の端を僅かにあげて微笑む程度で、どうにも心の底から笑っているというよりは、お愛想で笑いをくれてやっているといったよそよそしい印象を受けたものでした。


 わたしも本当なら、そんな彼女に苦手意識を持ってもよかったのでしょうが、そんな彼女のリアクションがどういうわけかかえって気安く感じられたのです。尤も、口数が多いわけでもない、表情が豊かだというのでもない、けれどクラスに自然と溶け込んでいる彼女を見ると、どうして自分はこうも必死で道化を演じなければならないのかと疑問を感じざるを得なかったのもまた事実ではありますが。彼女の整った、しかし表情のない顔を見ていると、自分のかぶっている仮面がいかにも大げさで、また空々しく思えたものでした。


 何も、本音を打ち明けられるような友達がいなかった、そのことを不幸だったと嘆くつもりではないのです。わたしにはむしろ、うわべだけの付き合い、冗談を云い合うだけの仲、同じゲームで遊ぶ友達という方がよっぽど気楽だったのですから。わたしの悩みはつまりもっと即物的で低次元のものでした。それでも、即物的だからこそ苦しいのには違いなく、ゆえにわたしは常に泣いてきました。みんなの前で見せる笑顔も、いくらかは本当の心持が混ざっていたとしても、やはり「道化」の仮面に過ぎませんでした。涙の垂れた道化の顔。わたしはその仮面の下で、本物の涙を流していたのでした。


 ここで時間は少し遡ります。


 わたしの通っていた小学校は隔年でクラス替えが行われていました。わたしは三年生に進級したとき、初めてのクラス替えを経験し、そこでKに出会ったのです。


 Kはわたしよりやや背が高めの、眼鏡をかけた細面の少年でした。表情の変化は余り豊かな方ではありませんでしたが、とにかく口数が多いので快活な少年として周囲にも認識されていたと思います。


 わたしとKの関係は共通する友人であるタカ君の仲介によって始まりました。仲介といってもそう大層なものではありませんん。それまでタカ君とわたしだけで遊んでいたところに、Kが加わるようになったというただそれだけのことです。当時のわたしはまだ「道化」としての地位を確立できておらず、また生来から人見知りをするタチだったので、この新しい友人とどう付き合うべきかしばらく頭を悩ませました。しかし、ああ。悩みがそれだけならどれだけよかったか。そのときはまさか、そのKがわたしを長年(これはあくまで小学生にとっての感覚ですが)にわたって搾取するとは思いもしなかったのです。

 

 この世には騙されやすい人間、脅威に屈しやすい人間、搾取されやすい人間がいます。獲物体質とでも呼びましょうか、そういう人間というのはどうやら独特の匂いを放っているらしいのです。


 たとえば、わたしの母などもそういう人物だったのではないかと思います。母は教団のみならず、知人のツテから様々な団体――それも決まってちょっと胡散臭いような――に接触を持っているようでした。それはたとえば■■■■■の■■■■の集まりだったり、某■■■メーカーの会員団体だったりしました。母はちょっと物珍しいもの、特に人生や健康に影響のあるものに弱いようでした。そもそも、あの教団に捕まったのも、おそらくはそういう匂いを――獲物の匂いを漂わせていたからではないでしょうか。そして、母の血を受けたわたしもその匂いを引き継いでしまったようなのです。


 獲物の匂い。Kのような人間――云わば捕食者たちにはそれがはっきりと嗅ぎ分けられるというのもまた事実であるようです。ですから、おそらくKは初対面の時点でわたしに狙いを定めていたに違いありません。あの眼鏡の奥をよくよく覗いてみれば、そこに捕食者の眼光が鋭く光っていたことでしょう。もしも、わたしに他人の目を見て話せるような資質が備わっていれば、彼の本質を見抜けたのでしょうか。

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