第4話 それが道化の処世術

 わたしが『人間失格』を読んだのはもう二十にも近い年の頃でした。太宰の分身とも云える一青年の孤独と絶望をつづって現在でも広範な読者を獲得している作品ですが、わたしもまたご多分に漏れず「この主人公は自分だ」と心中で叫んでしまった読者の一人でした。尤も、そのようなことを云うと、ある程度文学に通じた人からは冷笑を買うのが常でしたが。


 たしかにその生活史だけを見れば、大庭葉蔵とそっくりそのまま重なる人などまずいないでしょう。現代社会に生きるいったい誰が行きずりの女と心中を図ったり、また精神が壊れるまで追い詰められたりするでしょう。


 それでも多くの読者が葉蔵の中に自分の分身を見るのは、ひとえにあの作品の持つ深みが人間の普遍的な部分に訴えるからでしょう。


 わたしがあの作品の中で最も印象に残っているのは次の一文です。


 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。


 作中の主人公、大庭葉蔵はそう述べます。これはわたしが繰り返し述べてきた「ズレ」の感覚とも通じる感慨ではないでしょうか。わたしもまた人間の生活のあり方に戸惑い、翻弄され生きてきました。


 そして興味深いことに、葉蔵がその「見当つかない」人間の生活に参加するため、選んだのは「道化」という生き様でした。これもまたわたしの人生にぴったりと当てはまるのです。



 安心感と云う言葉があります。それはたとえば、赤ん坊が母親の腕の中で覚える安らかな気持ち。仲のいい友人と過ごしているときに覚える穏やかな気持ち――


 安心感。その本質をあえて端的に述べるなら、自分はこの世界に受け入れられているのだと云う感覚と云えるのではないでしょうか。云い換えるなら、外部の承認によって得られる穏やかな気持ちです。


 それはわたしの学校生活にはついぞ得られなかった感覚でした。


 学校生活において、わたしが常に緊張状態に晒されてきたのはすでに述べたとおりです。何か失敗をやらかすのではないかという恐怖。また友達から仲間はずれにされるのではないかという恐怖。わたしにとって学校とは決して心休まる場所ではありませんでした。


 わたしはもともと内気で大人しい性分でした。幼稚園の頃から自分を主張することが余りなく、仲のいい誰かの後ろを「金魚の糞のように」(実際、何度そう云われたことか)ついていくような子供だったのです。それはおそらく生来的な資質だったのでしょう。人と人とのつながりが何よりもものを云うこの現代社会において、そういう資質は不利なものに違いありませんでした。


 内向的な性分に加えて、わたしの社会生活を困難にした要素に、人間への根深い不信と恐怖がありました。云うまでもありませんが、これは生来的な資質とは逆に、後天的に染み付いた素養です。それは先生に叱られるたび、友だちに仲間外れにされるたびに枝を伸ばし、いつしかわたしの心をすっかり絡め取ってしまったのです。


 人間。


 後年、わたしが激しい憎悪を燃やすことになるその存在も、当時のわたしにとっては恐怖と不信の対象でした。


 憎悪という高度な感情を得るには幼すぎたのです。わたしはただ怯え、逃げ回っているのが常でした(逃げ癖。思えば、これもわたしの社会的不適応性のひとつでした)。


 あれはおそらく二年生のときだったと思います。


 その日はクラスで発表会がありました。何の発表会か、というところまではあいにくと思い出すことが出来ません。何か特定の教科における学習の一環だったのか、レクリエーション的な企画だったのか。それさえも判然としないのです。ただ、発表会というくらいですから、その前の時間から何がしかの準備があったのでしょう。尤も、わたしにはそれさえも断言することが出来ません。なぜなら、その準備があった頃に病気か何かで学校を休んでいたからです。


 発表会。それはその日、登校したわたしにとって寝耳に水でした。欠席していたわたしには、そのような準備が行われていることさえ知る由がなかったのです。発表の時間が来ると、特別に組まれたグループが次々と黒板の前に立ち、「発表」を始めました。困ったことに、発表会でのグループはいつもの班とはまったく別に結成されているようでした。これが班での発表なら、わたしは隣の生徒にでもその内容を聞くことが出来たでしょう。しかし、グループ作りの当日にいなかったわたしは誰に何を聞けばいいのかも解らなかったのです。


 わたしはただ、同級生たちの発表に耳を傾けていました。何が起こっているのかも解らない。自分だけが何もしていない。という認識は強い不安をもたらしました。こうして何もせずに座っていていいのだろうか。なぜ、お前だけがサボっているのかと先生に怒られないだろうか。そう考えると恐ろしくてしょうがなかったのです。


 いま思えば、それが杞憂であることくらいは解るでしょう。事実、その日先生の叱責を受けることはありませんでした。しかし、先生の理不尽にすっかり慣らされてしまった当時のわたしには、どんな理由で叱られてもおかしくないという認識があったのです。


 わたしは人間を恐れていました。そして、その恐怖は自分をさらけ出すことへの恐怖ともつながりました。


 わたしは家族、友人、教師、その他どんな人間に対してであれ「相談」というものをしたことがありませんでした。自分の悩みはすべて自分で抱え、たとえそれが独力で解決できない問題だとしても決して人に打ち明けはしなかったのです。それがために人に迷惑をかけることも少なくありませんでした。なぜもっと早く云わなかったのかと云われることも多々ありました。けれど、わたしには他人に対する信頼感や、あるいは自分をさらけ出す勇気といったものが致命的なまでに欠けていたのです。他人の意図を汲み取る能力に問題があったのは先述の通りですが、わたしには自分の意志を主張する能力にも欠陥があったということになります。


 意思の送受信――その両方に弱点を抱えているのがわたしという人間でした。何もそのすべてを社会や家庭のせいにしようというのではありません。他ならぬ自分のことなのですから、わたしにも少なからず(あるいはおおいに)責任があるのでしょう。わたしがもうちょっと勇気を出して人と関わっていれば、もう少し状況は改善されたかもしれないのです。ええ、その自覚はあります。しかし、わたしは臆病でした。社会的、対人的な摩擦に真っ向から対処するだけの勇気がなかったのです。


 意思の送受信の欠陥。その上でなおこの人間社会とのつながりを維持するにはどうすればいいか。その答えが「道化」だったのです。


 道化。


 それは具体的にはひょうきん者の仮面をかぶることでした。友だちの目の前でわざと変な動きをしたり、話の途中で面白おかしく茶々を入れることでした。わたしがこのような発想に至ったのは、大阪という風土の影響が少なからずあるのでしょう。


 大阪という土地にはお笑い原理主義とでも云うような極端な空気がありました。その空気を端的に説明するなら、誰も彼もが笑いのために身を捧げなければならないという強迫観念にも似た無意識の義務感でした。わたしが育った街、大阪では誰かが即興で寸劇を始めれば、それに乗っからなくてはならないのであり、指で作った拳銃に撃たれれば面白いリアクションを取って倒れなければなりませんでした。それができない子供は「つまらない奴」、「ノリの悪い奴」として疎外されるのです(実際、わたしは「ギャグがつまらない」というただそれだけでいじめられた同級生を何人か見てきました)。


 まるで、誰も彼もがバラエティ番組のタレントであることを強いられているようでした。タレントが過激な罰ゲームやドッキリに掛けられても文句が云えないように、笑いのために行使される暴力や残酷さもある程度許容しなければなりませんでした。わたしはそういう空気を心底息苦しいものだと感じていたのですが(そして、それは誰もが心のうちで思っていたことでしょうが)、周りに溶け込むためにはそうも云ってはいられませんでした。この空気に従うことに決めたのです。


 わたしは基本的な返しやツッコミのパターンをひそかに勉強し、何とか彼らに合わせられるようになりました。次第に会話の流れでちょっとした冗談を差し挟めるようにもなり(いま思えばそれはフレーズの力に頼りきった芸のないしろものでしたが)、「あいつは面白い」、「ユーモア」があると評されるようになりました。


 笑いのためには手段を選ばないという姿勢、態度、思想。それは裏を返せば、笑いへの畏敬を意味していました。子供たちの間のみならず先生たちの間でも、ユーモアのある生徒、笑いを取れる生徒というのは一目置かれていたのです。そして、わたしは彼らの畏敬を勝ち取ることに成功したのです。


 道化。その何よりの利点は自分の本心を晒さないですむという点にありました。学校に行く以上、そこで他人と会話が生まれるのは必然であり、会話をする以上はいやおうなしに自己を晒すことになります。しかし、その会話の時間をすべて「道化」で流してしまえばどうでしょう。


 暖簾に腕押しという言葉がありますが、わたしのスタンスはまさにそれでした。わたしは真面目なやり取りにも積極的に茶々を入れることでその場の空気を緩め、友だちと本音でぶつかることを避けるようになったのです。そうしてのらりくらりと逃げ回るのがわたしの精一杯の処世術でした。


 学校とは単に勉強を教えるだけでなく、社会的な規範を教える場所でもあるのは云うまでもありません。


 適応。


 それが学校が課した宿題でした。わたしもまた学校生活を送るにつれて徐々に世間というものが解るようになってきました。「ズレ」に対する違和感、抵抗は消えなかったものの、そんな本音はぐっと飲み込み周囲に話を合わせられるようになりました。道化の仮面をかぶることで、学級という小さなコミュニティにおける承認を得ることにも成功しました。適応という課題は見事クリアしたかのように見えました。


 けれど、それはおそらく歪んだ成長でした。友達の課題を丸写しにするような、卑怯な適応でした。


 表面上はみんなと同じように適応し、学級に溶け込んではいても、道化の仮面をはげば、一度真剣な場所に引きずり出せば、わたしはきっと黙りこくってしまうに違いありませんでした。社会的にどうしようもなく無力な側面を晒してしまうに違いありませんでした。わたしはそうなる場面を恐れればこそ、「道化」を演じ続けなければならなかったのです。


 わたしはそうして、真面目な話題をかわす術ばかりに磨きをかけていきました。人との摩擦を避け、社会との摩擦を避け、自分の本音、根っこの部分は誰にも晒しませんでした。わたしの心は、太陽の光を浴びずに育ったひょろっこくて弱々しいもやしも同然だったのです。


 それで、表面上はあたかも健やかに育った朝顔のような笑みを浮かべているのですから、タチが悪いのです。先生たちはわたしの提出した課題に、「適応」という課題に喜んではなまるをつけたことでしょう。事実、学期末に帰ってくる通信簿の評定は学業の面も含めて年を経るごとによくなり、最終的にはほぼ満点に近い評定になったほどです。


 ああ、誰がこんなことを予想できたでしょう。


 わたしはいつの間にか周囲を欺くのがとても巧くなっていました。

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