第3話 電波的な彼ら

 わたしが小学校に進学して何より驚いたのは、テレビというものが思った以上に市民権を得ていることでした。


 わたしの家はテレビが一つしかなく、また見られる番組も母によって厳格に管理されていました。NHKの教育番組、一部の牧歌的なアニメ、ドキュメンタリー、動物番組。それらはいずれもきわめて「安全」な番組でした。この場合の安全とはつまり、教団の教えに反するような生々しい暴力や恋愛が入り込む余地のない番組だということです。


 恋愛。


 それは教団が禁じたことの一つでした。わたしもまた恋愛など何か解りようもない子供の頃から、しつこいくらいに云いつけられたものでした。それはたとえば、ブラウン管の男女が必要以上に身体を触れ合わせたとき、マンションの郵便受けに入っていたピンク色のチラシを目にしてしまったとき。


 ――これは悪魔の誘惑よ。


 普段は穏やかな母が怖い顔をして云うものですから、わたしは男女が仲睦まじくすることはよっぽど罪深いことなのだと思うようになりました。それこそただ一度犯すだけで地獄に叩き落される恐ろしい罪業なのだと(わたしは常にこの死後の裁きというものを恐れていました)。


 母の監督のもと、あるアニメを見ていたときのことです。わたしは恐ろしい時間を経験しました。母がちょっと目を離した間に、シーンが切り替わったのです。そのシーンとは、若い女性たちが更衣室で着替えるシーン、下着姿で談笑しているシーンでした。ああ、そのときにわたしが感じた恐怖をどうすれば表現できるでしょう。これが母に見られたらどういうことになるか。そう考えたときの恐怖を。


 わたしがすぐに思ったのは、これを母の目に見せるわけにはいかない。何とかして隠さなければならないということでした。チャンネルを切り替えれば、あるいはテレビの電源を落とせば済む話です。しかし、そのときのわたしにはそんな単純な選択肢させ浮かびませんでした。おそらく軽いパニックに陥っていたのでしょう。罪深い裸身を母から隠す。そのためにわたしが取った方法とは、手元にあったタオルで画面を覆い隠すというものでした。


 もちろん、そんな小細工はすぐに母に露見しました。居間に戻ってきた母はタオルを取り上げ、ブラウン管に映ったもの、あの罪深き肌色を目にしたのです。その後、わたしが受けた説教については述べる必要がないでしょう。


「悪魔の誘惑」は日常いたるところに潜んでいる――それが母の、わたしの認識でした。


 わたしは視聴する番組を管理されることに何の疑問も持ったことがありませんでした。わたしにとってテレビとは一時の暇つぶし以外の何物でもなく、見逃して惜しいと思うような番組もなければ、録画してまで見ようという番組もありませんでした。例外があるとすれば、母がレンタルビデオ店で借りてくるジブリやディズニーのアニメ映画くらいのものでしょう。そういう意味では、母が用意する食事と変わりません。わたしはただ差し出された番組を見るだけ。自分から何かを見たいと主張したことは一度もありませんでした。


 それが、小学校の同級生たちはまったく違うというのです。


 バラエティ、ドラマ……いずれもわたしには聞いたことのないような番組名が休み時間の教室を飛び交いました。それは、わたしが仲良くするようになったグループでも似たようなものでした。わたしはただ早くテレビの話題が終わらないかなと待つばかりで、会話そのものにはまったく参加することができませんでした。その当時のわたしが最も恐れていたのは、友だちの誰かが「昨日の■■見た?」と尋ねてくることでした。そう訊かれたところでわたしには「見ていない」としか答えようがないのですから。そのときの友だちの失望したというような表情。「何で見てないの?」と攻めるような声。わたしが「八時には寝てるから」と云ったとき、それが周囲をどれだけ驚かせたことでしょう。


 ――八時? ご飯食べてすぐじゃん。


 お前は仲間ではないと云われているようでとても恐ろしかったのを覚えています。


 もちろん、わたしとしてもいつまでもテレビに無関心ではいられませんでした。云うまでもなく、このままでは仲間はずれにされ孤立してしまうという恐怖があったからです。友だちからその番組の話を聞き、新聞のテレビ欄で放送時間を確かめるところまでは何度もしたのです。しかし、それを母に云うことはどうしても出来ませんでした。わたしはそれまで自発的にテレビのスイッチを入れたことがほとんどありませんでした。お風呂から出たらすぐに布団にもぐる生活を送っていたのです。その習慣を変えることは、とうてい無理なことのように思えました。いつだってそうです。決まりきった流れに逆らうことは、わたしに強い負担を強いました。それが対人的な接触を必要とする事柄ならなおさらです。


 ましてや、母が相手では……


 母はいわばわたしにとって神様のような存在でした。教会の教えは、神様の教えはいつも母の口から聞かされたのです。神様の言葉はすなわち母の言葉でした。その母に自分の意志や意見を進言することなどどうしてできるでしょう。それも、いかにも「不健全」で「危険」で「有害」な、そんなくだらないテレビ番組が見たいなどとどうして云えるでしょう。同級生に失望されるのもそれは辛いものでしたが、母に失望されるのはもっと恐ろしく思われました。だから、わたしはテレビを諦めました。夜八時に終わる生活を続けました。


 友だちもわたしに訊き続けました。


 ――どうして見てないの? ねえ。


 ――お母さんが見せてくれないし……


 ――ええー、それって絶対変だよ。あんなにおもしろいのに。意味解んない。


 わたしにはその友だちの方がよっぽど解りませんでした。けれど、もちろんそんなことは云えたためしがありませんでした。わたしは歯を食いしばって屈辱に耐えました。おかしいのは自分ではなく、同級生たちの方なのだと。恋愛ドラマだとか、他人をいじめるしか能がないバラエティ、暴力的なアニメに夢中になってる方が「汚れて」いて「不健全」なのだと思うようになりました。それでも、友達を失うことには漠然とした恐怖を覚えていたのは事実ですが。


 わたしが陥ったジレンマにいったい誰が気づけたでしょう。友だちはわたしを否定する一方で、母はわたしの苦悩など知る由もありませんでした。


 悩んだわたしが行き着いたのは、知ったかぶりをすることでした。あたかもみんなと同じテレビっ子であるかのように振舞うことを決めたのです。


 尤も、悲しいことにわたしは嘘が得意ではありませんでした。


 わたしが自発的に嘘をつく機会はそう多くありませんでしたが、友達の悪ふざけに付き合ってちょっとした嘘に加担したときも相手にすぐに見破られるのがオチでした。わたし自身もそうした自分の性質には気づきつつありましたが、もう知ったかをする以外に道はありません。わたしは破れかぶれの気持ちで知ったかぶりに身を落としました。


 もちろん、手の込んだ嘘がつけるわけではありません。「見た?」という問いに「見た」と答えるのが精々でした。あとは他の友だちから横聞きした情報を必要最低限垂れ流すだけ。友だちが本当にわたしの知ったかぶりを鵜呑みにしたのかどうかは解りません。しかし、露骨に嫌な顔をされることもなくなりました。それはあるいは知ったかをしてでも彼らの輪に入ろうという努力が認められたからかもしれません。テレビの話題は相変わらずわたしには苦痛でしたが、仲間はずれにされるという恐怖から解放されたのは事実でした。そうして、わたしは嘘というものを覚えていったのです。それが後に、自分の足をすくうことになるとは思いもせず……


 わたしの学校生活はこうして始まりました。教師と同級生。その両方から絶えず緊張に晒され、心休まることのない場所。入学当初は何度も登校を渋り、母を困らせたものでした。


 何かが「ズレ」ている。


 そんな意識はますます強くなっていきました。わたしの側に欠陥があるというばかりではありません。わたしが感じた世界との齟齬、ズレは、何もわたしだけの責任ではない。他ならぬこの世界こそが馬鹿げた間違いの上に立脚しているのではないか――そんな疑問を覚え始めたのです。


 思えば、わたしは母の――神様の云いつけを守ってまっとうに生きているだけなのに、それにいつも理不尽な理由でケチがついてきました。同級生も教師も誰も彼もが「ズレ」ている――


 母はこの世界は「汚れている」と云いました。それをきれいに洗浄するのが自分たちの役割だと云いました。「ズレ」た人たち、母の言葉を借りるなら「汚れた」人たちを正しき道に導くこと。この地上に楽園を実現すること。それがわたしたち信徒に課せられた使命なのだと。


 正直、わたしにはそんな大事を成し遂げる自信はありませんでした。頭の悪いテレビ番組に毒されたあの人たちにどうすれば正しい教えを与えることが出来るというのか。そう考えると、自分がとても無力は存在に思えたものです。


 そんな自分に慰めがあるとすれば、それは自分は自分は彼らとは違う、ワンステージ上の存在なのだという認識、ある種の選民思想でした。自分は神の言葉に導かれた子供なのだと。生まれながらにして原罪を許された高潔な存在なのだと。そう考えると、世界に対する怒りや理不尽な気持ちは少しだけやわらぎました。わたしは選ばれた存在なのだ。それがわたしのすがる自信の根拠でした。わたしは神の言葉を、母の言葉を信じそれを疑おうともしなかったのです。

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