1-6:『私』のチュートリアル
目の前がまっ白になる。
実際にそうなったのじゃなくて、比喩だと自覚してはいるけれど。時間が静止画のように止まる心地がした。
『あれ、聞こえなかったかな? あまり細かいところで時間を使われたくないのだけれど。もう一回言うとここは──』
「違うよ。そんなはずない」
急いで反対する言葉を
『うーん、分かっちゃいたけれどすごく拒絶されてる。じゃあまず警戒心を解くために素性でも明かしとこうかな。あ、それより謝る方が先か。ごめんね? 気を悪くさせて』
不意な流れで謝られた時、私は一言も返せなかった。
けれどそんなことは
『名乗らずに話しかけちゃってごめんね? わたしは
普通の人の自己紹介なら、まだ聞き入れられたかもしれないけれど。頭の中の疑問符はさらに増えた。
菜乃花 美咲は私の名前なのに。なんで、私が二人いるの。それに。
『正確に言うと、美咲の人格を
これが、私のコピー? 記憶を失う前の?
とてもそうは思えない。私にしては人前ですらすら喋っているし、おかしな状況なのににやにや笑っているから。
『わたしがここに来た理由はね、これからもゲームを続行するプレイヤーの案内をする為なの。今までは
訊きたいことなら山ほどあると、分かった上で『わたし』は尋ねてくる。この場の空気や混乱している側の気配りなんて、まったく考えられてない恐れすらある。
けれど、それ以前に。
「……待ってよ。プレイヤーとかプロローグとか、本当にこの世界がゲームみたいじゃん」
相手に伝えるようにというより、吐いて捨てるように愚痴を言う。
だって、作られた世界だなんてやっぱりおかしい。もし本当にそうだとしたら、今までこの森で起きた出来事は何だったんだって話になる。
それに、感覚があまりにリアルすぎる。体で触れている感触も、風が連れてくるにおいも、色感も音も痛みも、作り物の感覚とは思えなかったのに。
『そうそう、昨今のVR技術ってすごいんだよね。もはやどっちが現実なんだってくらい精密で』
違う。そんなわけない。いくら
だって、本当にゲームだとしたら、ノアンやカシマールたちは。
『あー、もちろんここで出てくる生き物はみんな架空の存在だよ。このゲーム専用で作られた登場キャラクターだね』
あっさり身もフタもないことを言われて、心の底から落胆する。
──なに、それ。
私にあんなに優しくしてくれたノアンたちは、あらかじめ用意されたデータでしかなかった?
本当に、これが私なの? 私はこんなにひどいことを、平気で言えるような人だったの?
『まあ信じてくれたかどうかは置いといて、つまりはそういうこと』
当たり前のように思考を読んでくる『わたし』。
察したように声を低くされたけれど、気をつかわせた罪悪感は薄らいできている。今はただ、得たばかりのどうしようもない喪失感を、黙ってやり過ごすことで精一杯だ。
『じゃあ、さっそく分からなくなってるミサキに最初のご案内!』
エンターテイナーみたく明るい声で仕切ろうとしている。よく分からない言葉が耳を通り抜ける。
『あなたにはこのまま続きをプレイしてもらって、無事にゲームクリアしていただきます。その条件は至極単純、たった一つの
意識が遠のくようだった。正解の結末なんて、いきなり言われたって何も分からない。何が正しいか間違ってるかの考えなんて、ついさっき打ち砕かれたばかりなのに。
けれど、何をすればいいかは分かった。
私はうつむいたまま口をひらく。
「……ここから出してください。今すぐに」
『うん? だからクリアしてもらえれば──』
「もうこんなゲームやめます」
お腹からにしては弱い声だけれど、ちゃんと言った。
そうだ、やめればいいだけだ。これはただのゲームなんだから。
所詮ただの作り物なら。答えが決められた出来レースなら。
全部全部どうだっていい。ゲームとかクリアとか結末とか、馬鹿らしくって仕方がないよ。
『それはなに、死にたいってこと?』
「? ……なんで、そうなるの」
『
「…………はい。それで終われるなら、そうしてくださ」
『いいの? 本当に死んじゃうけれど』
「え────」
『さっき自分で言ってたじゃん、ここでの感覚が現実みたいだって。あれ、実は全然間違ったこと言ってないの。だから自信持っていいよ?』
なに。なんなの。何を話しているの。
『プラシーボ効果、だっけ? まあとにかく、それの影響でプレイヤーがゲーム内で死んだら現実でもショック死しちゃうよってこと。理解した?』
は、死ぬ? 本当に? ねえ冗談はやめてよ。
さっきゲームだって、現実じゃないって言ってたじゃん。
『あ、でも今タネ明かししちゃったから、気を強く持てば死なずに済むかもしれないね。じゃあ試しに死んでみる?』
そう言いながら『わたし』は、近くに落ちていた
もう嫌だよ。ワケが分からないよ。怖いよ。痛いよ。誰か助けてよ。
『……あー、ごめんっ! ごめんなさい。わたしってば、つい怖がらせちゃって』
大げさに目を丸くされて、わざとらしい大声をあげられる。
『そうだよね、不安だよね。当然だよね? もうしないからね。本当にごめんね?』
眉を下げて「参った参った」と言うように、『わたし』は両手を上げた。ごめんね、ごめんねと反復しながらパッとひらかれた右手から、小さな暗い影がすべり落ちた。
もう駄目だった。
言葉にならない叫びが響く。
音を立てて地に伏すその岩に、いなくなったばかりの命の恩人を重ねてしまったから。
『ね? せっかくここまで生きてきたのにね? 命からがら逃げ延びてきたのにね? こんなところで死ぬなんておかしいよね?』
甘やかな声で語りかけながら、ゆっくり歩み寄ってくる影。その時に故意か
『よくここまで生き残れたよね? 一歩間違えたら死んでたのにね? 正しい判断ができて良かったよね?』
膝をつく私の前で立ち止まる『わたし』。実際その言葉のとおりで、危険な瞬間は今までにいくらでもあった。その中で一歩でも間違えたら本当に死んでいた。
少しでも食い違えば、きっと殺されていた。私に切り捨てられたノアンみたいに。
『そう。そうだよ、そう。それでもミサキは、ここまで正しい選択をして来れたんだよ』
そう、私は生き延びた。死にたくないと訴えたノアンを犠牲にして。
『いざという時に自分をけんめいに守れたんだよ。都合の良すぎる正義感なんかに惑わされずに、最善の行動を選ぶことができたんだよ。ね? だからさあ!』
次に繰り出される言葉が分かってしまって、とっさに耳をふさぐ。けれどひどく高圧的に語られるそれは、頭の中に無理やり押しこまれて離れてくれない。
『そんなに自分を責める必要なんかないんだって! ミサキは全然間違ったことなんてしてないから! 他の人だって同じ境遇に立たされたら、何人かは同じ選択をしただろうからさあ!』
次の瞬間、『わたし』は私へ顔を向けたまま右足を振り抜いた。同時に、
駆け寄ろうとするより速く、『わたし』が欠片の飛んでいった先へ追いついた。地面を見ながらもう一度右足を上げる様子を、私は遠くからただ見ている。
ああ、分かってしまった。
彼女は紛れもなく菜乃花 美咲で、どうしようもなく私自身なんだと。
自分が正しいと思いたいばかりに、ノアンを殺してしまった私が。
彼女を「ただの作り物」と考えた私が。全部どうでもいいと考えてしまった
もう一度ノアンの思いを踏みにじろうとしている。
「やめてよ!」
私は岩へおおい被さろうと跳びかかった。
無意味だとか後でケガをするとか、そんな心配事は不思議なことに忘れていた。
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