1-5:選択
「……………………」
私は、何も叫ばなかった。だってもう次に取る行動を決めてしまったから。
「ミサキ?」
ノアンが不安そうにこちらを伺ってくる。
私は聞こえないふりをして、助けを呼ぶ代わりに一言だけ呟いた。
「……ごめんなさい」
「どうしたノ? あ、諦めちゃ駄目ナノ。二人で助けを呼べばきっと」
それは違う。
ピンチになれば助けてもらえるなんて、現実でそんな単純なことは起きない。狼の鳴き声より
私はノアンみたいに勇敢にはなれない。
右手の力を、そっと抜いていく。
「え──きゃっ!」
小さな叫びが聞こえた。足場にしていた指が動いたことで、体勢を崩したからだろう。私は聞こえないふりをした。
「まさか……や、やめるノ、ミサキ!」
ひらこうとする右手が震える。すんでのところで私とノアンの距離を離さずにいる。けれど、それもすぐに終わらせなきゃいけない。
仲間たちにも私なんかにも優しくて、助けて助けて助け続けてくれたのに裏切られて、絶望するノアンなんてもう見たくない。
私は垂れ下がったツルだけをじっと見る。狼たちの恐ろしいうなり声を聞きながら、はち切れたようにパッと右手をひらいた。
「駄目……いやナノ、ミサキ! 助けてナノ! わたし、私はまだ死にたくないノ! いやっ、いやあああああああああああああああああああ!!」
風のおと。悲鳴。遠ざかっていくノアンの悲鳴。
悲鳴────……………………。
すっかり離れて届かなくなるまで、それはいつまでも闇の底から響き続けた。
私は
すぐに向かいの崖へ飛び移る。不思議と疲れは感じない。その場を観察しながら事前に思いえがいた動きで、素早くツルをたぐって地上へ体を持ち上げる。
平らな地面に両足をついて、ちらと背後を見る。立ち止まって吠えるだけの狼たちを認めてから、一気に前へ駆け出した。
足元はまっ暗だけれど気にしない。周りの様子も前すらもよく見えないけれど、気にかけられるはずがない。それでも助かりさえすればそれでいい。
助かるしかなかった。
助からなきゃいけなかった。
助からないことは許されなかった。
私が、ただ助かることだけを選んだから。
辿り着いたのは知らない洞穴だった。
目の前で奥行きが途切れているほどの、雨宿りくらいはできそうな石造りの穴。入り口周りは砂利と岩だらけで、天井ではコウモリが──私を気にかけない温厚な動物たちが、せわしく飛び回っている。
私は中へ入るなり倒れた。うつ伏せになって全身を冷たい砂利に当てて、目の前を自分自身の影で埋め尽くす。ゼエゼエと荒い呼吸がうるさく響く。
同時に、自分がしてしまったことをまざまざと思い返す。私は仲間を信頼するノアンを受け入れずに、見捨てて自分だけ助かることを選んだ。
「ごめんなさい……」
みじめな呟きがこぼれた。言葉では謝っているけれどあまりに小さくて、ノアンにも誰にも聞こえない弱音を繰り返す。
ごめんなさい、ノアン。殺してごめんなさい。許してください。だって、
私、これからどうすればいいか分からないの。
どこかも分からない森の中。誰も立ち入らない夜の中。出口があるかも分からずじまいなのに、私一人でどうやって生き延びろというのだろう。ノアンがいてくれなきゃとっくに死んでいたくせに。
そうだ、やっ
なんで生
『あーあ、言わんこっちゃない。もう心が折れちゃって。これじゃゲームどころじゃないよ』
洞穴でうずくまったままの私に、誰かが話しかけてきた。
──話しかけてきた、のかな。口調は一方的に放たれた独り言のようだったけれど、私へ向けられたセリフだろうなと何となく分かった。
『おーい、だーいじょうぶー? なーんてね。いやまあ、一応助けに来たワケだからわたしもそれっぽく振る舞いたいってだけだけれどね?』
私の顔をめがけて一直線に、声。やっぱり話しかけられているみたいだ。
ただ、なんだか違和感を感じる声だ。まるで電話機を通しているように、割れて聞こえる機械音声。それに、どこか聞き覚えがあるような──
『いや、そりゃそうでしょ。聞き覚えがあるどころかご本人なんだから』
思わずはっと顔を上げた。
いま、心を読まれた? 私はまだ何も言っていないはずなのに。思ったことを口に出さないよう気をつけることは、人並みには慣れているはずだから。
それなのに分かったかのように言葉を返された。おかしい。どうなっているの?
『あー、そういえば記憶がないんだった。面倒だなあ。どこから話せばいいものか』
思い出したように言われる。この人は、私に記憶がないことも知っている? この人は一体誰なんだろう。──頭が追いつかない。
『えっとねこういう時はね、要点をズバッと言って頭をリセットしてもらってから掻いつまんで説明すればいいの。でもこれ言っちゃって大丈夫かな、明らかに秘密事項だろうに。いやまあ、わたしが来ちゃった時点でほとんどバレてるようなものだし別にいいよね』
「え、えっと……」
不気味なくらい独り言が長い。それに、何の話をしているかさっぱりだ。
なにか訊こうか迷っている私をよそに、暗がりの中で一方的に語りかけられる。
『ごめんね、
「まっ──」
待ってくださいと、やっと口火を切りかけたところで、私は気づいた。
「────え?」
這いつくばったまま見上げる私に、
その人は私とまったく同じ顔をしていた。
じっと見つめてくる黒い瞳も、整いきらない黒髪も、隠しきれてない右頬のニキビすらも、どこかしこも私そのものだった。
『ここは
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