1-9

「うっそ、マジで!?」


「すげえ、なにコレ」


 颯太がヘルメットを次の生徒に渡した時、シミュレータの向こうから歓声めいたどよめきが上がった。

 何事かとそちらに目を向けると、一台のシミュレータの周りに十人ほどの男女が集まっているのが見えた。誰かが高得点をたたき出したらしい。


――誰だろう?


 目を凝らして注視していると、その人物がヘルメットに手をかけた。ヘルメットを持ち上げるにつれて中からサラサラとこぼれ落ちる、絹糸のような茶色い髪……。


――黒沢、琉生。


 颯太はごくりと唾を呑みこんだ。


「すっげえなあ黒沢。あっという間にステージⅢクリアして」


「しかも誤射ゼロ! 誤射ゼロでステージⅢクリアなんて前代未聞だよね」


 男も女も興奮さめやらぬ様子で次々と琉生に話しかける。琉生は笑顔でそれに応えながら、手にしていたヘルメットを次の生徒に渡した。と、自分を見つめる颯太の視線に気づいたのだろう、琉生が颯太に視線を投げた。必然的に目があってしまい、颯太はドキリとして呼吸を止める。

 颯太の反応を見て、琉生がわずかに口の端を上げた時だった。


「黒沢、俺と勝負しろよ」


 野太い声が教室の空気を低く震わせて響き渡った。

 いやな予感にゾッとした颯太が慌てて声のした方に目を向けると、案の定そこには、腕を組んで傲然と上方から琉生を見下ろす緋本の姿があった。


「……勝負?」


 琉生が繰り返すと、緋本はニヤニヤしながら頷いた。


「このマシン、対戦モードに切り替えられんだよ」


「へえ……そんなこともできるんだ、知らなかった。一台いったいいくらするんだろうねこのオモチャ」


 琉生は微かに眉根を寄せると、眼前にそびえ立つ灰色のシューティングマシンを見上げた。


「んなこと知るかよ俺には関係ねーし。そんなことより勝負すんのかしねえのか、どっちなんだよ」


 琉生は小さくため息をついてから、少しあきれたように肩をすくめた。


「……いいよ、別に」



 対戦モードはネット回線で各機をつないで行う。シミュレーションルームには全部で一〇台のマシンがあるが、その全てをつないで対戦することも可能だ。ただ、対戦モードで行う活動は二年に進級してから行われるもので、一年の彼らはもっぱら個人の技量を高めるための一人用モードが中心となる。そのため、一年生の多くは対戦モードの存在を知らない。颯太はたまたま緑川の兄がこの学校の出身だった関係で、その話を伝え聞いていたのだが。

 

――どうして緋本は対戦モードの存在を知っていたんだろう。


 疑念を抱えつつ、颯太は人垣の隙間からスクリーンを見やった。ちょうど二人がそれぞれのマシンの前に立ったところだった。


「モードはパワーストラグル。二十カ所ある拠点をより多く制圧した方が勝ちだ。いいな」


「了解。始めていいよ」


 琉生が普段と全く変わりない落ち着いた調子で答えを返す。緋本は鼻白んだように動きを止めてから、気を取り直したように自分の画面に向き直ると、ショットガンを構えた。


「始め!」


 対戦が始まった。

 周囲に集まった十数人の生徒たちが食い入るように画面を見つめる。初めは拠点の数も多いので、各々別のエリアから順当に陣地を制圧していった。

 緋本はこのクラスで一番最初にステージⅢをクリアした。ステージⅣのクリアに手間取って一ヵ月近く足止めを食っているとはいえ、反射神経も動体視力も飛び抜けているのが戦い方を見ると一目瞭然だ。颯太が全く気づけなかった場所に潜んでいる敵も素早く見つけ出し、即座に撃ちぬく。こんなにうまければ確かにこの時間が楽しみにもなるだろうと、颯太は羨ましいような気持ちでショットガンを操る緋本の背中を眺めた。ただ、彼は誤射に関してはあまり気に留めていないらしく、もう既に三人の一般市民を撃ち殺している。そのせいで、倒した敵の数は琉生を上回っているが、総合点ではわずかに琉生が上回っていた。

 一方の琉生は戦略的に制圧地点を選んでいるようだった。潜伏する敵の数が少なく制圧しやすい場所や、先に制圧すると戦況がよくなる地点を選び、最小限の労力で勢力を広げていく。実際に銃撃する機会こそ少ないが、飛び出してくる一般人はどうしてだか的確に見分けているらしく、今のところ一般人の誤射はゼロだ。琉生の視点からなら一般人が撃たれるシーンを見なくて済みそうだったので、颯太は琉生視点でゲームを見ることにした。

 制圧した地点はそれぞれが八地点となった。残り四地点のうち三地点を先に制圧した方が勝ちだ。残り少ない拠点のうち、緋本から離れた地点を制圧しようと琉生がそちらに向かいかけた時だった。

 いきなり琉生の背後から、「琉生を狙って」緋本が銃撃を浴びせかけてきたのだ。

 琉生は即座に木の陰に飛び込んで身を隠したが、緋本はすぐ隣に制圧すべき拠点があるにもかかわらず、明らかに琉生の方に向かってくる。


――殺る気、なのか?


 颯太はごくりと唾を呑みこんだ。

 設定上は対戦相手ももちろん攻撃できるし、対戦相手を殺してゆっくり拠点を制圧するもの一つの戦略ではある。だからといって、本当に級友に銃口を向ける生徒はそう多くはないだろう。いったいどうして緋本はこんな戦略に出たのか……混乱しながら点数に目を向け、その理由がわかった。既に緋本と琉生の得点にはかなりの開きがある。このままでは、たとえ残り三地点を制圧しても、点数で琉生に勝てないのだ。ここで彼を殺し、さらに残り四地点全てを得ることで、完全な勝利を手に入れるつもりなのだ。


 チラリと、銃を構える緋本に目を向ける。ヘルメットに隠されて目元は見えなかったが、垣間見える口元は奇妙に歪んで、どこか笑っているようにも見えた。もちろんこれはシミュレーションだから相手が本当に死ぬわけではない。しょせんはバーチャルと割り切ってしまえばそれだけの話だ。だが、颯太にとっては、口元を歪めて琉生を撃ちにかかる緋本の感覚が、何かひどく歪んだものに思えてならなかった。


 琉生は自分に向かってくる緋本をじっと見ているようだったが、引き金にかけられた指が微かに動くのを見て、颯太は心臓が凍りつくような感覚に襲われた。


――引き金を引くんだろうか。級友に向けて引き金をひくんだろうか。こんな勝負に勝つために。


 颯太は思わず顔を背けて目を瞑った。これ以上見ていられなかった。


 と、固唾かたずをのんで事態を見守っていた生徒たちから低いどよめきが沸き起こった。勝負がついたのだろうか。颯太は恐る恐る目を開き、画面に目を向けた。

 琉生視点の画面では相変わらず緋本のキャラがさきほどと同じように立ちはだかっているだけだったが、緋本視点の画面に目線を移した瞬間、颯太の思考は凍り付いた。


――え?


 琉生のキャラが身を隠していた茂みから出て、緋本のキャラの方へ自分から歩み寄っているのだ。

 思いがけない展開に、緋本も呑まれているようだった。無防備に立ち尽くす琉生に狙いをつけた姿勢で完全に凍り付いている。琉生のキャラは火元のキャラの目の前まで来ると、手にしていたショットガンを放り捨て、両手を上げて降伏の意を示した。その瞬間、ゲーム終了の音楽が鳴り、緋本のキャラの画面に「YOU WIN!」という文字が躍る。状況が理解できずに銃を構えて固まっている緋本に向かって、ヘルメットを外した琉生はにこやかにほほえみかけた。


「降参だよ、緋本くん。キミの勝ちだ」


「え……」


 そのあまりにもあっさりとした降伏宣言に、緋本も、周囲で見守っていた生徒たちも、しばらくはキツネにつままれたように固まっていたが、緋本とつるんでいた男子生徒が感極まったように「やったぜ緋本!」と叫んだのを皮切りに、教室は驚きと興奮のどよめきで満たされた。


 勝者である緋本の周囲には大勢の生徒たちが寄り集まり、彼の正確な射撃の腕や反射神経の鋭さをほめたたえる。ヘルメットをとった緋本は照れたように笑いながら彼らの称賛に応えていたが、ヘルメットを抱えた琉生が歩み寄ってきたのに気づき、彼の方に体を向けた。


「完敗だよ緋本くん。すごい腕だね。もしかして、三年前に特進をとったっていう緋本哲哉って、キミの……」


 琉生の言葉に、周囲にいた生徒たちがハッと息を呑んで緋本を見る。緋本は恥ずかしそうに鼻の下を擦りながら小さく頷いた。


「よく知ってんな、そんな名前……そうだよ、そいつは俺の自慢の兄貴だ。兄貴みたいに特進をとって軍に入るのが俺の夢なんだよ」


 生徒たちが大きくどよめく。「すげえ」「マジかよ」などという称賛と羨望せんぼうの呟きがそこかしこから聞こえてくる中で、緋本は琉生に改めて向き直った。


「つか、おまえもかなりやるな。正直、俺も勝てるかどうか相当ヤバいところだった。おまえが降伏してくれなきゃ、俺は勝つために多分おまえのキャラを撃ってた。そしたら、いくら俺でもさすがに気分が悪かったと思う。降伏してくれて、サンキュな」


 颯太は思わず耳を疑った。


――サンキュ、だって?


 ゆるゆると視点を琉生に移す。琉生は悠然とほほえみながら小さくかぶりを振った。

 

「とんでもない。勝てないと思ったから降伏したまでで。そんな風に思ってもらってありがたいよ」


 さっきまで二人を取り巻いていた一触即発の緊張感がウソのように消え去り、彼らの周囲を明るく暖かな雰囲気が包み込んでいる。すっかり打ち解けた様子で笑顔をかわしあう緋本と琉生を、人垣から離れたところに立つ颯太は信じられない思いで見つめていた。

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たんぽぽ にゃ @nyakuso

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