K氏の二週間

@koheimaniax

K氏の二週間

昔々、あるところにKという男が居た。


俳優志望の男であり、一つの劇団に数年所属した。

その劇団は小さく、有り体に言えば場末の劇団だった。


だがこの男、自主性がなく怠惰極まりなく、努力というものをあまりしなかった。


故に伸びず、劇団でも居るんだか居ないんだか、よくわからない男だった。

ひとまず劇団の月謝を支払い、試験的な公演のたびに端役に回される。

それ故に、この男は日の目を浴びるということがなかった。

場末の劇団でさえも、この男を重用するということがなかった。

しかし、月々の劇団費支払って居たので、首になることもなかった。


そして、この男は結局劇団をやめることにした。

それから、今度は声優としての方向性を模索した。

この男は、自分の声はモノになるという自負心を持っていた。

いくつかの養成所の門を叩き、安くもない入所料金を支払った。

ワークショップにも通った。ボイストレーニングを受けた。


そして、それにも無残に失敗した。


志は萎え、そろそろ諦める頃合いだろうかという時に、Kは友人から誘いを受けた。


「プロの劇団で一緒にやって見ないか?ここはプロが集まる場所だ」


Kは行くあてもなかったため、その話に飛びついた。

そのことを後悔する事になるのは、もっと後の話だ。


一週間後、荻窪の飲み屋で顔合わせが行われた。


ほぼ全員が、当時流行のSNSだったmixiで集められた人間だった。

そしてほぼ全員が若く、経験の浅い役者だった。

いや、役者としての経験が全くないものも居た。


この時点で、Kは疑うべきだった。


「プロの集まる場所と違うじゃないか」と、友人を問い詰めるべきだった。

しかし、Kは怠惰な男であり、友人を問い詰めるような勇気も持っていなかった。


それから、稽古が始まった。期間は二週間。

その短期間に役作りを終えて舞台に立つ。


確かにスケジュールはプロ並みだ、Kはそんな風に考えていた。

浅草のテナントを改造した小さな稽古場に全員が集まり、台本を渡された。


台本の舞台は戦時中、事故などの理由で帰還した特攻隊の隊員を収容する「振武寮」を舞台にした人間模様を描くものだ。内容としては非常に右寄りの内容だった。


本読みが始まり、そして配役が決定された。

Kの役は、振武寮の監督を勤めて居た倉沢清忠という最悪の男の役だった。


そして、その劇団の代表は「すぐにセリフを覚えてくるように」と言った。

その翌日、演出家の様子が変貌した。


セリフを覚えて来ない役者の頬を、演出家や容赦無く張り飛ばした。

それだけでなく、竹の杖で打ち据えた。


「演劇の世界は厳しい、これがプロの現場か」


愚かにも、Kはそのように納得してしまった。

その日はまだ。


さらに翌日の稽古が始まる。

全員が暴力を受けたくないばかりにセリフを覚えてくる。

Kも例外なくそうしていた、だがセリフの間違いがあれば容赦無く罵声が飛ぶ。


そこまでは良かったが、その演出家はそこまでにとどまらなかった。


女優に対しては性的な言葉を容赦無く浴びせた。

それから、意味もなくエアガンを乱射し始めた。


この時点で、ようやくKも他の役者も「この劇団は異常だ」と悟り始めた。

しかし、こんな劇団にも居着く人間は居るものだ。


実際、友人は何度かの公演を乗り越えていた。

友人はいわゆる先輩だったし、他に3名ほど常駐の役者がいた。


しかし奇妙な事に、女優の一人だけにだけは、暴力を振るわなかった。

仕組みとしてはこうだ、その女優はスタッフの紹介で入ってきた人間だった。


特に照明係は重要であり、彼らがいなければ公演が打てない。


そう言った死活問題があったため、スタッフ経由の紹介で入ってきた女優だけは安全で、そうでないものは軒並み演出家の暴力の対象だった。


しかし不思議な事に、先輩の劇団員はその演出家に心酔していた。

これはどう言う仕組みかと言えば、暴力を振るう人間は、時に優しい顔を見せるのだ。そうすれば、暴力を振るわれていた人間は「この人は優しい人なのだ」と思い込んんでしまう。


Kは、そう言ったいびつな信頼関係がどのように形成されるかを目の当たりにした。


役者の一人を厳しく叱責し、さあ殴るぞ、今殴るぞと言う雰囲気を消した上で部屋の照明を消し、ラジカセからボブ・マーリーの「Happy BerthDAY」を流しながら、誕生日ケーキを持ってくる、と言うことがあった。


まるでコントのような出来事だが、誕生日を祝われた人間はそれを期に劇団に残ってしまったのである。


しかし、演出家は自分に背く人間を許さなかった。


劇団の異常さに耐えられなくなった10代の役者は、劇を降りようとした。

しかし、演出家は舞台に入る前に、その役者と契約書を交わしていたのだ。


劇を降りれば法外な額の請求をすると、その役者を脅した。

結局、その場にいた全員で若い役者をなだめ、稽古を続ける事にした。


その頃には、全員の筋肉は恐怖と緊張でカチカチになっていた。

他ならぬKもその一人である。


その頃には舞台まで一週間を切っており、全員がここを抜け出したいと言う一心で稽古に取り組んでいた。早く終われ、早く終われ、全員がそう願っていた。


そして、幕は上がり。

2日間の公演を経て、芝居は終わった。


奇妙な事に、その演出家は出来上がった舞台を一切見ていなかったと言う。

それも当然だ、あんな環境で演じられる劇がいいものになる筈がない。


おそらく、かの演出家は文化庁から支給される支援金を目当てにあの劇団をやっていたのだろうと思われる。だからこそ、できた作品に興味などなかったのだ。


幕は降り、ほぼ全員がその劇団から去った。

愚かなKは、その後数ヶ月間悪夢を見続けた。


今その劇団はどうなったのかと言うと、既にない。

おそらく、スタッフも劇団員も付き合いきれなくなったのだろうと思われる。


しかし、Kはたまに考える。

なぜあのような集団が何年間も維持できたのか。


おそらくそれは、暴力を振るう親と子、もしくは暴力的なパートナーの如き、暴力を前提にした擬似的共生関係が形成されていたのが原因であろう。


だが、Kにとってそのようなことはどうでも良かった。

あの劇団がもうなくなっている。

その一事のみが、重要だったのだ。


そして、Kとはこの文章を書いている、私自身に他ならない。





































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