第8話

「お兄ちゃんの妹だから、お兄ちゃんのことをよく知ってるから、楓にはわかるの。お兄ちゃんはソラくんとお話をしてる。チヒロちゃんとの話も冗談や遊びじゃなくて、本当に思ってる。何でって言われても分かんないけど、分かるの」


女の勘。とは、観察力であると御厨は語った。


普通なら見過ごす相手の行動言動を観察し分類し、隠された真実を測る。それを全て無意識下で行うため、当人は結論の根拠を示すことができない。しかし実は複数の根拠があり、確信しているのだ。


御厨は妻のそれに追い詰められて嘘が綻んで、妻の信用を失いかけたため引退したという。楓も恐らく、女の勘で葵を追い詰めている。真実を確信している。葵は観念した。


「闇の声じゃなくてソラの声が俺を世界の救世主って言ってきたんだけど、信じるか」


数年前の戯言を繰り返す。心臓がひどく暴れて指先が冷たかった。葵の強張った表情に反して楓は微笑んでいる。


「前の時は違ったよね。でも、今は本当なの、わかるよ。信じる」


長く息を吐いた。ほっとしている。妙な安堵感だ。気にしてなどいないと思っていたが、妹に隠し事をしていた後ろめたさが実はあったのだなと葵は思い知った。

楓は本当にできた妹だ。兄のことをよく見て、よく理解している。葵も楓のことをよく見て、理解したいと思った。


たった一人の妹だ。

守ってやりたい、かわいくて優しい、たった一人の、


「お兄ちゃん、救世主やめたら」


妹は、楓は、心配げな顔で葵に告げた。突然の提案に葵は混乱した。


「……え、」


「だって大変でしょ? 楓がやるよ」


何を言いだすんだ。驚きながらも、葵は自分の知る情報ではそれが叶いにくい案であることは理解していた。


「選ばれるのはランダムだから、俺が辞めたところで必ずお前が選ばれるとは限らないんだぞ」


「チヒロちゃんにお願いして近所の猫ちゃんやわんちゃんたちと話してもらったら、誰が今やってるのかは分かるでしょ。説得して辞めてもらって、楓が選ばれるまで繰り返せばいいよ」


子供の頃に暮らしていた田畑と山しかない田舎ならともかく、今いるのは都市部とは言えないまでも普通に住宅の並ぶ町だ。どのくらい繰り返せば楓になるのかは見当がつかない。

もしかしたら次に選ばれるのがまさに楓かもしれないが、下手をすれば百人も二百人も挟んでようやく楓が選ばれるかもしれない。或いはずっと選ばれないかもしれない。

選別の基準は、あんなに敵のことにも救世主のことにも詳しい御厨ですら把握できていない。楓は選別対象外という可能性もある。不安材料を一つ一つ指摘するが、楓はゆるく首を振った。


「楓が頑張るから、だから大丈夫。今までだってお兄ちゃんよりも楓のほうが頑張ってきたもん」


小学生が何を、と思った葵は、しかし続いた楓の言葉に口を閉ざした。


「お母さんがいなくなって、ごはんも洗濯も掃除もする人がいなくなったでしょ。お父さんはお仕事が忙しいし、お兄ちゃんは学校でお友達とうまくいってなかったよね。二人とも大変だったの、楓は知ってるよ、だから頑張ったの。楓が頑張ればね、おうちの中はうまくいったの」


両親が離婚してから葵は葵なりに頑張ってきた。洗濯物を自分で畳んでタンスにしまうようになった。食材の買い出しと食後の皿洗いをするようになった。

しかし楓は洗濯物を洗って干して自分のぶんを畳んで、食材の買い出しをして食事を作ってくれていた。

掃除だって葵は自分の部屋しかしていない。風呂やリビングなど共有部分は楓がやってくれている。時間も手間も楓のほうが明らかに重かった。


「ソラくんはね、隣のクラスの子が学校の中でこっそり飼おうとしてたの。でも先生はダメっていうし、それにソラくんは小さくて、学校では暮らしていけなかったんだ。だから楓が頑張ったの。そうしたら隣のクラスの子も先生も怒ったり悲しがったりしなくてよくなって、学校もうまくいったの」


葵はソラを家に迎える際に、学校のお友達が飼えなくなって、ということだけ聞いた。学校で揉めていたなど全く知らなかった。葵が学校で友人関係や学業の進み具合に悩んでいる時に、楓も学校で悩んでいるかもしれないと思い至らなかった。楽しそうに登校して下校してくるのだから、楽しいだけなのだとばかり思っていた。


「楓が頑張れば世界はうまくいくの。だから、楓が頑張るよ。遊ぶ時間を減らしておうちのことしてて、寝る時間を減らしてソラくんのお世話してて、だからあとは食べる時間とか、学校の登下校を歩かないで走ったりとか、色んなこと少しづつ減らしたら大丈夫だよ。楓が救世主できるよ」


明るく元気に笑う、妹が恐ろしい。どうしてそのような思考に至ったのかが全く理解ができない。いや、感情が認めたくないだけで理解はできた。共感ができなかった。


葵はペットの猫のために人生を捧げる気にはなれない。ましてや見知らぬ犬や鳥やウサギなど、余裕があれば助けることもあるだろうが、自分を犠牲にしてまで救おうとは思えない。


葵が救いたいものは何か。妹だ。目の前で笑っている、恐ろしい、妹だ。


世界を救うなど大きなことを言うつもりはない。ただ妹を守りたい。しかし妹は守られてくれるつもりはないらしい。


「お兄ちゃん、ね、引退しよ。楓が救世主やるから。ソラくんのことも、お兄ちゃんのことも、楓が守ってあげる」



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毛玉をモフって世界を救え たかむら @tk_mr

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