第3話 本物の王子様!?

「え……」と亜子が呆然とする間に、炎はやがて大きな鳥の形を成していく。紅蓮の鳥――鳳凰と呼ぶにふさわしいそれは、火の粉を散らしながら翼をはためかせ、突如として息を吹き込まれたかのように甲高い雄叫びをあげた。


「ヴァンパイアの気高き血に、ふたたび永劫のときを」


 宣誓でもするかのようにそう唱え、男は「フェニックス!」と声高らかに叫んだ。すると、彼の右手から炎を纏った鳳凰が飛び立ち、こちら目がけて矢のごとく突っ込んでくる。

 亜子は思わず――、


「ちょっと、待ったー!」


 両手を掲げて、そう声を張り上げていた。

 その瞬間、宵闇を駆ける鳳凰は美しい彫刻のごとく宙でぴたりと動きを止め、男も口を開けたまま凍ったように硬直した。遠くから聞こえてきていた街の喧騒も消え、真空にでもいるかのように物音ひとつしない世界の中で、亜子はふうっと息をひとつ吐き、


「フェニックスってなんだよ!」


 蝋人形同然に固まっている男に、怒鳴りつけた。


「なんなの、これ!? どうなってんの!? なんで手から炎出てんの? なんで――」

「やっぱり」


 ふと、そんな落ちついた声がして、亜子はぎょっとして振り返った。


「国見さんからは不思議な匂いがしてたから。普通の人間じゃないと思ったんだ」


 亜子は目を剥き、愕然とした。

 ありえない。ここは、亜子だけの世界のはずなのに。誰とも共有できない孤独な世界だったはずなのに。なぜ、シオンがいる?


「すごいね。時を止める魔法? 初めてだ」


 透き通るような瞳をキラキラと輝かせ、シオンは辺りを見回して言った。


「国見さんは妖怪かなにか?」

「魔女よ!」


 思わず、だった。妖怪呼ばわりされて、思わず、馬鹿正直に答えてしまった。まずい、と顔を赤らめ、視線を逸らす亜子に「へえ」とシオンは感心したように相槌打った。


「魔女か。日本にいるなんて知らなかった」

「昔、魔女狩りから逃れて出島に流れ着いた魔女の血筋だとか……よく知らないけど」


 ボソボソと早口で、まるで言い訳でもしているようだった。焦りなのか、照れなのか。すっかり動揺していた。どうしたらいいのか分からなかった。こんなこと、初めてだったから。

 幼い頃、『魔女であることを人に言ってはならない』という母からの言いつけを破り、亜子は自分が魔女であることを周りに言いふらしていた。皆、すごいすごい、と囃し立てたが、誰も信じていなかった。信じているフリして、バカにしていただけだった。それに気づいて、魔女だと証明しようとしても、できる魔法は、祖母から教わっていた『時を止める魔法』だけ。それも、自分が一歩動けば解けてしまう。時を止めた証拠も残せない、不完全な魔法だった。時を止めた世界で、亜子はいつも独りだった。やがて、亜子は魔女だと言うのをやめ、魔法を使うこともなくなっていた。


「なんで……栗栖くんは動けるの? 私以外の時間は止まってるはずなのに……」

「そりゃあ」と、シオンは亜子に背を向け、なんでもないかのように答えた。「僕は、ヴァンパイアの第十二王子だからね」


 悪ふざけにしか思えなかったその肩書きが、今は重く亜子の胸に響いた。

 宙に浮かぶ火の鳥に歩み寄り、「召喚魔術か」とまじまじと鑑賞を始めるシオン。やがて、満足したのか、ロウソクの火でも消すようにふうっと息を吹きかけ、不死鳥フェニックスを煙も残さず霧散させてしまった。

 その様をじっと眺め、亜子はようやく、理解しようとしていた。目の前の出来事。同じクラスの栗栖シオンは、本物なんだ、と。魔女である自分の魔法も通用しない、正真正銘のヴァンパイアの王子。

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