第2話 放課後の王子様!?

 あれやこれやと頭を悩まし、『ヴァンパイアだなんて嘘はもうやめたほうがいい』――単刀直入にそう言おうと亜子は決意した。

 しかし、その一言がなかなか重い。

 シオンは亜子の後ろの席。振り返れば、そこにいるのだが。プリントを回すついでに切り出せるような話でもない。そもそも、今までまともに会話をしたこともないのだ。どう話しかけたらいいのかも亜子には分からなかった。常にシオンの周りには取り巻きのような女子生徒たちが集まってくるし、学校でシオンが一人でいることなど皆無に近かった。

 だからとはいえ。


「まるでストーカーみたいだ」


 こそこそとシオンのあとをつけて夜道を歩く自分の姿に情けなくなって、亜子はがっくりと頭を垂らした。

 放課後も、親衛隊のごとき取り巻きたちがシオンをがっちり囲い、そのままカラオケやらゲーセンやら、制服姿で校則違反三昧。ヴァンパイアの王子は高校生活を大胆不敵に満喫していた。そうして、ようやくシオンが一人になったのは日が落ちてからだった。

 空には薄い雲がかかり、満月が羽衣でも纏っているかのようにうっすらと浮かんでいた。そんなおぼろげな月明かりの中、点々と並ぶ街灯がシオンの小さな背中を暗い路地に浮かび上がらせていた。

 賑やかな駅前から離れた住宅街の裏路地で、辺りに人気はなく、不気味なほどに静まり返っている。ここなら……と、亜子は気合を入れて、大きく息を吸った。


「栗栖くん!」


 夜道に裏返った亜子の声が響く。

 ぴたりと立ち止まり、「国見さん」と振り返ったシオンの顔には、ふわりとやわらかな笑みが浮んでいた。そこに驚きなどなく、まるで亜子がそこにいるのを知っていたかのよう。胸騒ぎにも似た違和感を覚えながらも、亜子はシオンのもとへ駆け寄った。


「あの……話があって」

「なに?」


 目の前にすると、あらためてシオンの現実離れした存在感に圧倒される。亜子は思わず、「えっと……」と言葉を詰まらせた。

 愛苦しくも麗しい中性的な顔立ちに、全てを見透かしているような落ちついた眼差し。悠然とした佇まいは気品に満ちて、同い年とは思えない。ヴァンパイアの王子なんて突拍子もない肩書きに、皆がノリノリになるのも仕方ない。

 しかし。


「唐突なんだけど」意を決して、亜子は口を開いた。「なんで、ヴァンパイアなんて言いだしたの?」

「なんで、て?」

「皆さ……本気にしてないんだよ」


 その一言を発するだけで、罪悪感に身が焼かれるようだった。それでも、心を鬼にして亜子は続ける。


「王子、て呼んでる人たちも、栗栖くんのことヴァンパイアだなんて信じてない。おもしろがってるだけ。馬鹿にしてる人もいると思う。それで栗栖くんはいいのかな、て……」

「別にいいよ。この世界にはいろんな人がいるんだから」


 亜子の心配をよそに、シオンは間髪入れずにケロリとそう言った。


「でも……栗栖くんがヴァンパイアだって本気で信じて、栗栖くんに血を吸われた、て思い込んじゃってる子もいるし。栗栖くんだって、そんなの困るでしょ?」

「それは誤解だよ。僕は人の血を吸ったことなんてない」

「知ってるよ! だから、ヴァンパイアだなんて嘘はやめたほうがいい、て――」

「僕らヴァンパイアは、もう四百年以上も人の血は吸ってない。僕の先祖……四百年前のヴァンパイアの王が、人との共存を選んだんだ。それでなくても争いの多いこの世界で、人の血を吸って余計な対立を生むことはない、て。当時は、ヴァンパイアハンターなんてのもいたからね。彼らと和解して、ヴァンパイアという種の存続を確固たるものにしたかったんだと思う」


 亜子はぱちくりと目を瞬かせた。


「何言ってんの?」

「もちろん、すべてのヴァンパイアが納得してるわけじゃない。人の血を吸わなくても、僕らは生きていけるけど、永遠じゃないから。僕らにとって、人の血を吸うことは、命を吸い取るということ。人の血を吸えば吸うほど若さを取り戻し、寿命が延びるんだ。ただ、それだけなんだけど……一部のヴァンパイアにとっては、魅力的みたいで――」そこまで言って、シオンはちらりと視線を亜子の背後へずらした。「ルールを破って、ヴァンパイア全体の安寧を脅かす『反逆者』が現れるんだ」

「急に、何の話……」


 言いかけた亜子の言葉を「栗栖シオンだな」と低い声が遮った。

 振り返ると、三メートルほど先に男の姿があった。三十代半ばだろうか、すらりと長身の痩せた男。暗闇の中、ギラついた目でこちらを睨みつけている。風に揺れる茶色がかった長めの髪に、細長く顎の尖った輪郭はどこか狐を思わせる。


「栗栖くんの知り合い?」


 おずおずと訊ねる亜子に、「『反逆者』」とシオンは冗談っぽくさらりと答えた。


「自ら投降してくるとは思わなかったよ。捜す手間が省けた」

「王子のお手を煩わせるわけにはいきませんから」


 こちらに歩み寄りながら、にっと笑った男の犬歯が闇夜に鋭い光を放つ。まるで獣のそれのように研ぎ覚まされた鋭利な牙。ぞっとして、亜子は思わず後退っていた。


「あの、話が全然分からないんだけど……」

「この辺で人の血を吸うヴァンパイアがいる、て報告があってね。そういう『反逆者』が現れたときは、王族の誰かが対処することになってるんだ。おとしまえ、て言うんだっけ? だから、今回はこうして第十二王子である僕が呼ばれた、てわけ。母の故郷を訪れるいい機会にもなるだろう、て」

「ええっと……つまり?」

「僕の母は日本人なんだ。仕事の関係でマカオに移って、ヴァンパイアの王である父と出会って第八王妃に……」

「いや、そこじゃなくて!」


 亜子が怒鳴ったその瞬間、ぼう、と何かが暗闇に灯った。はっとして見つめたその先で、男の右手に轟々と真っ赤な炎が火柱となって燃え盛っていた。

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