第1話 疑惑の王子様!?

「あれ、まだ王子来てないのー?」


 朝、登校するなり、隣のクラスで、小学校からの腐れ縁、仁科にしなゆいにつかまった。まだ教室の中は人もまばらで、校庭からは朝練中の野球部の声が聞こえてきていた。


「栗栖くんに何か用なの?」

「『栗栖くん』って……なんかもう新鮮だわ。亜子だけだよ、そんな風に呼んでんの」


 唯はベリーショートの黒髪を揺らし、カラカラと笑った。

 反論することもできず、確かに、と亜子は渋い表情を浮かべて自分の席へと向かった。

 衝撃的な自己紹介から、早二週間。

 栗栖シオン。もとい、ヴァンパイアの第十二王子は、着々と設定をクラスメイトに浸透させていき、今では皆、ノリノリで『王子』と呼ぶようになっていた。


「でもさ……別に、信じてるわけじゃないんでしょ?」席に座るなり、亜子はため息つきながら、唯に訊ねた。「栗栖くんのこと、本当にヴァンパイアだと思ってるわけ?」

「はあ? そんなこと気にしてんの? いいじゃん、イケメンだし」

「イケメンって……そんな問題!?」

「問題もなにも……誰にでもあるじゃん、そういう時期。私だって、幽霊見えるフリしてたときあったし。亜子だってさ、小学校のとき、魔女になりきってたじゃん。なんだっけ? 時を止める魔法? 『今、私、時止めたから』とかドヤ顔で……」

「ひぎゃあ」と、亜子は悲鳴に近い叫び声をあげていた。「やめて、やめて、ほんとやめて! もう忘れて!」

「王子もそんな感じでしょ。ノリで楽しんでりゃいいじゃん。なに、こだわってんの?」


 不思議そうに呟いてから、唯は「あ」と何かに気づいたように声を上げた。


「そっか! 亜子は王子の前の席だもんね。王子が本物だったら、いきなり、お腹が空いた王子に首筋をがぶり! なんて――」

「そんな心配するか!」


 威勢良く突っ込みをいれた、そのときだった。

 背後で歓声のようなものがあがって、「おはよう」とそこら中で猫なで声が飛び交った。

 それだけで分かる。『王子』のお出ましだ、と。

 「来た来た〜」と、例に漏れず、唯も頬を染め、ふらりと吸い寄せられるように『王子』のもとへと向かっていく。まるで、魔術だ。亜子はそのさまを恐ろしくさえ思った。

 愛想良く、品のある笑みを振りまき、群がる女子たちと慣れた様子で話すシオン。高校生離れした余裕と風格。確かに。どこぞの王子だ、と言われても納得できる。しかし。ヴァンパイアはないだろう、と亜子は理解に苦しみ、頭を悩ませるのだった。


   *   *   *


「国見さん」


 昼休み、パンを買いに購買へ行こうと教室を出たとき、そんなおずおずとした声に呼び止められた。

 振り返ると、見慣れぬ女子生徒が立っていた。セミロングの真っ直ぐな黒髪。縁無しメガネのレンズの奥で、自信無げに目がキョロキョロと泳いでいる。素朴というか、大人しそうな印象の子だ。


「え……と、誰でしょう?」

「あ、ごめんなさい。あの……隣のクラスの峯岸みねぎしクルミです」

「隣のクラスっていうと……唯と同じクラス?」

「そうです! 仁科さんから国見さんのこと聞いて……それで来たんです」


 亜子は「はあ」と生返事をして、眉をひそめた。


「唯から聞いたって、何を……」

「国見さんも、『王子』に怯えてるって」


 亜子はしばらくぽかんとしてから、


「は!? いや、それ、唯が勝手に……」

「国見さんだけなんです! 他の皆、『王子』『王子』って、すっかりヴァンパイアの虜になっちゃって……誰も信用できない! きっと、ヴァンパイアの魔術か何かにかかってしまってるんです。でも、国見さんだけは正気を保てているみたいだから、頼れると思って!」

「ええええ……」


 なんてことだ、と亜子は頭痛のようなものを感じて、ふらついた。シオンのキャラをおもしろがって『王子』『王子』ともて囃す奴らも奴らだが……これはこれで厄介だ。とりあえず、と亜子は深呼吸してから、じっとクルミを真剣な眼差しで見つめた。


「よく聞いて、峯岸さん。私は……」

「私、ヴァンパイアに襲われたんです!」

「いや、だから聞いてって……」


 言いかけ、亜子ははたりと言葉を切った。聞き間違いだろうか。そう信じたい、と祈るような思いで、「ごめん、今なんて?」と聞き返す。


「だから、私、栗栖シオンに血を吸われたんです!」

「はあ!? ちょっと……何言い出してんの!?」


 亜子は慌ててクルミの腕を掴むと、わらわらと行き交う生徒たちの間を縫うようにして廊下の隅へと引きずり込んだ。


「いくらなんでも、まずいでしょ! 悪ノリが過ぎるっていうか」

「一ヶ月前、部活の帰りでした。気付いたら、駅にいたんです。駅に向かって歩いてたはずなのに……途中から記憶がなくて。家に帰ってからも、頭がフラフラして、まるで貧血みたいで」

「いや、貧血だよね!? 栗栖くんとなんの関係があるの?」

「これ、見てください!」


 クルミは首元のリボンを引きちぎらん勢いでワイシャツの襟を引っ張り、首筋を亜子に見せつけてきた。大胆なクルミの行動にたじろぎつつも、「見ろってなにを……」と亜子はクルミの首筋を見やった。すると、そこには虫刺されの痕のような傷が二つ、平行に並んでいた。


「帰ってから、気づいたんです。そのときは蚊にでも刺されたのかな、て思ったんですけど、その一週間後くらいに栗栖シオンが転校してきて、ヴァンパイアの王子だって聞いて……そのとき、謎が解けたっていうか」


 亜子は「なるほど……」と渋い顔でつぶやいた。ようやく、話が見えた気がした。確かに、ヴァンパイアの噛みあとに見えないこともない……が。

 亜子はしばらく考えてから、仕方がない、と覚悟を決めて口を開いた。


「分かった。私から栗栖くんに話してみるよ」


 予想もしていなかった提案だったのだろうか、クルミはぎょっと目を見開いた。


「話すってなにを……」

「まだ決めてないけど」

「危ないですよ! 何をされるか……」

「いや、全然危なくないから。とにかく、峯岸さんはその話、他の人には言わないように。私がようく栗栖くんに注意するから」

「注意って、ヴァンパイアに一人で立ち向かうなんて――」

「ほんと大丈夫なんで。大丈夫」


 取り乱すクルミを引きつり笑みでいなし、亜子は「じゃ」と身を翻した。

 さて。そうは言っても、どうシオンに切り出したらいいものか。亜子はそれでなくても気難しく見える顔立ちを険しくしながら、購買へ向かった。

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