完結編・隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

「健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、お互いを愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか?」

「誓います」

「誓います」


 ――五月の爽やかな初夏。

 私、藤井こずえ(旧姓・能登原のとはらこずえ)は、憧れていた大好きな人と結婚式を挙げました。

 天気にも恵まれ、教会のステンドグラスには快晴の光が差し込んで美しい色と模様を床に映している。

 隣には、夫となる男性――藤井スバルさんが微笑んでいる。

 結婚式の形式を日本風にするかキリスト教式にするか、ふたりで散々悩んだ結果、結局キリスト教式にした。

 純白のウェディングドレスはいつの時代も女の子の憧れである。

 そして隣のスバルさんの白タキシードのよく似合うこと。まあイケメンはたいてい何を着ても似合うんだけど。

 結婚式にはお互いの家族と、職場で仲のいい人たち、あとは社長であるスバルさんの懇意こんいにしている取引先の方々や会社の重役の方々まで来てくれた。緊張がすごい。


「それでは、誓いのキスを」


 神父の言葉で、スバルさんは私の頭にかかったベールをそっと持ち上げる。

 目を閉じて、触れるだけの優しいキスを受け入れた。

 グスッと鼻をすする音がして、目を向けると私の母がハンカチで目元をぬぐっている。

 父も、穏やかな笑みを浮かべてはいるが、内心寂しそうに見えた。

 ――今まで育ててくれて、ありがとう。

 そんな気持ちで、結婚式を済ませた。教会の鐘の音が私たちを祝福するように響き渡る。

 今回の式では、ブーケトスではなくフラワーシャワーの中を参加者みんなで風船を空に飛ばしてお祝いする。

 女性たちがブーケを奪い合うところはあまり見たくないというスバルさんの希望である。今までさんざん自分を奪い合う女たちを見てきましたもんね……。

 あとは、披露宴でケーキ入刀してみたり、お互いの両親に花束を贈ったり、いろいろ。

 ……正直、私はあがり症で緊張しいなのであんまり内容を覚えていないのだ。

 結婚式を挙げる前も、ウェディングドレスのレンタルやら式場の予約やら、結婚ってこんなお金かかるの!? と卒倒しそうになったものである。スバルさんがほとんど出してくれたけど。

 披露宴で私が唯一意識を保っていられたのは、仲人のスピーチくらいだろうか。

 スバルさんが仲人に指名したのは、カードゲーム仲間の男性社員だった。社員旅行のバスの中でも私と会話した、あの男の人だ。

 会社の重役ではなく、実際に私やスバルさんと仲のいい平社員を選ぶのはスバルさんの英断と言わざるを得ない。

「新郎と新婦は、趣味を通じて知り合い、そのまま意気投合して交際を始め、本日結婚に至りました……」

 そのスピーチを聞きながら、私はスバルさんとの出会いに思いを馳せる。

 小学校高学年になって女子からも男子からも変わり者扱いされ、誰にもかえりみられなくなった私。

 就職活動の社長面接でスバルさんに初めて出会い、あがり症な私が必死に自分をアピールして入社した藤井コーポレーション。

 三年目にしてやっと花開き、実った恋。

 思えばスバルさんとの急接近のきっかけは、『ダンガンロボッツ』のプラモデルだった。

 あの日偶然、プラモの部品を会社で落とさなければ、この瞬間は訪れなかった。合縁奇縁あいえんきえんとはよく言ったものである。

 ありがとうダンガンロボッツ。ありがとうアンゴルモア。

 私は、この趣味を隠してでも続けていて、本当に良かったと思う。

 こうして、スバルさんと、がれ続けた大好きな人と結ばれたのだから。


 その日の夜、ふたりの自宅にて。

「写真、キレイにできましたね~。さすがプロのカメラマン使うと写真映りいいわ~」

 結婚式を終えて、スバルさんと私が並んだ写真を眺める。

 ウェディングドレスの私と、白タキシードのスバルさん。これは家宝にしよう。

「ウェディングドレスのこずえさん、すごくキレイでした……」

 スバルさんはまだ夢心地らしく、うっとりした目で回想しているようだ。

「スバルさんもタキシードかっこよかったですよ」

「そうですか……ありがとうございます」

 そして、スバルさんは写真を眺めている私の背後から二人羽織のように抱きしめてくる。

「あの、こずえさん……今夜は結婚初夜ということになるのですが……」

 そう改めて言われるとドキドキする。

「え、えっと……ちょっと写真置かせてくださいね、写真入れ割れたら困るんで……」

 結婚記念の写真を棚の上に置いて、二人羽織の状態でベッドまで移動すると、あとは雪崩込なだれこむようだった。

「優しくしますから……ね」

 仰向あおむけになった私の上から私の顔をのぞき込むスバルさんの顔が近づいて……。

 そんな感じで初夜は更けていった。


 ***


 結婚してそこそこに、私とスバルさんは長めの休暇をとって新婚旅行に出かけた。

 旅行先もふたりでうんうん悩んだものだが、結果的に北海道に行くことにした。パスポートを取らなくていいのは便利である。

 飛行機で降り立った場所は北海道の某所。

 北海道は五月でもまだ少し風が涼しい。

 桜前線が到着し始めた頃らしく、公園などにはまだ桜が咲いている。なんだか季節感が不思議な感覚だ。

「どちらにまいりましょうか」

 レンタカーを運転しながら、スバルさんは助手席の私に訊ねる。

「そうですねえ……とりあえず腹ごしらえしたいですよね」

「では、以前おっしゃっていた海鮮丼のある店を探してみましょうか」

「あ、覚えててくれてたんですね」

 新婚旅行、どこに行こうか話してたときに「海鮮丼食べたいなあ」みたいなことを私が言ってた気がする。言った本人がうろ覚えなんだけど。

「わたくしがこずえさんの発言を忘れるわけがございません。一言一句いちごんいっくきちんと覚えておりますよ」

「あ、そ、そうですか……」

 スバルさんは妙に記憶力がいい。自分の会社の社員全員の顔と名前を覚えているくらいである。そこそこ大きな企業なのに。

 そうしているうちに「海鮮丼」と書かれた旗の置かれた大衆食堂にたどり着いた。土地勘がなくてこの広い大地を走れるだろうかという不安はあったが、レンタカーにカーナビがついててよかった。まあ最近はカーナビがなくてもスマホひとつでなんとかなる時代ではあるが。

「うう……海鮮丼おいしい……」

 私は魚介の美味しさに舌鼓したつづみを打つというかもう悶絶もんぜつしていた。とろとろのマグロやサーモンの刺し身が口の中で溶けるようだ。上に乗っている醤油漬けのイクラもプチプチしていて口の中で味がはじける。

 北海道、食べ物美味しすぎてヤバいな。

「――で、スバルさんはなんでカメラをこちらに向けてるんですか……?」

 スバルさんは旅行に向けて最近買ったという最新式のデジタルカメラをこちらに向けている。連写しないでほしい。

「こずえさん、わたくしは気づいてしまったのです。そういえば今までこずえさんと写真撮ったことなかったな、と」

「あー……そういえばそうですね」

「わたくしは随分もったいないことをしたと後悔したのです。こずえさんのあんな姿やこんな姿を形として残せなかった……そんな悔いがあります」

「言い方もうちょっとどうにかなりません?」

「こずえさんのその美味しいものを食べているときのとろけたような顔、すごくいいです。今回の旅行はたくさん想い出を残しましょうね」

「いいからスバルさんも早く食べてください」

 スバルさんのぶんの海鮮丼が所在なさげに放ったらかされている。可哀想だから早く食べてあげてほしい。

「こずえさん、食べさせてください」

「スバルさんは赤ちゃんですか?」

 私は呆れたようなジト目をスバルさんに向ける。

「あの、こういう場所でイチャイチャするの私はどうかと思うんですよ」

 大衆食堂だし個室でもないので人の目があるし、恥ずかしい。

「いいじゃないですか。わたくしたちはもう夫婦……でしょう?」

 スバルさんはほほを染めて上目遣いで私を見る。私がこの表情に弱いのを熟知している。そういうテクニックをどこで覚えてくるんだ、この人は。

「くっ……しょ、しょうがないですね……」

 私は結局折れた。私の旦那可愛すぎか?

 スバルさんは満足げに微笑む。いいようにもてあそばれている気がして腹立たしい。

「……ああ、本当に美味しいですね。こずえさんが食べさせてくださっていると思うとますます美味しいです」

 私のはしで刺し身を口にねじ込まれながらスバルさんは恍惚こうこつとした表情を浮かべる。

 本当に溺愛できあいという言葉がふさわしい。愛されすぎて怖い。しかしこの人はすでに私の夫である。

「このあと、どこ行きます?」

 私たちが新婚旅行について話していたときは海鮮丼とかお寿司とか食べたいな~くらいであとはほぼノープランである。

「いっそ知床半島しれとこはんとうまで逃避行とうひこうでもしましょうか?」

「ははは、ご冗談を。車で何日かかると思ってるんですか?」

 スバルさんの冗談なのか本気なのかよくわからない発言に、私は硬い笑顔を返す。

 北海道のスケールの大きさを侮ってはいけない。私たちのいる北海道の南にある街から札幌まで行くのに片道五時間はゆうにかかる。そこから北海道の北の果てまで行くとしたら、何日は言いすぎかもしれないが確実に移動するだけで休暇が終わってしまう。もう帰りの飛行機のチケットも取っているのであまり遠くまでは行けない。

「今回の旅行は、この街の観光か、せいぜい近くの街まで行って終わりですね」

「そうですか、残念です……。まあまた次の機会にいたしましょうか」

「そういえばこの近くに大きな公園があって、桜並木がキレイみたいですよ」

 私はショルダーバッグから観光ガイドを取り出してページをめくる。

「駐車場もあるみたいですね」

「では、そちらに向かってみましょうか」

 その公園は、本当に車で移動するほどでもないくらい店の近くにあった。

 レンタカーを駐車場に停めて、私たちは公園内に入った。

「うわ、すごい……」

 そんな声がれてしまうほど絶景だった。

 公園の真ん中に城郭じょうかくの跡があり、その周りを堀がぐるりと囲んでいるのだが、さらにその周りに桜がキレイに整列している。おそらくこの桜たちはきちんと公園の管理者によって手入れがされているのだろうとわかる。堀には水が張られていて、散った桜の花びらが花いかだを作っていて美しい。

 桜の樹の数がまたかなりの本数である。桜の花で埋め尽くされていて数え切れないほどだ。花見客がその桜の樹の下で焼き肉……ではなくジンギスカンを焼いている。

 とりあえず桜並木を通って堀にかかった橋を渡り、公園の中心部へ行ってみることにした。

 橋を渡ると中心部の入り口に藤棚が設置されていて、天井から藤の花が垂れ下がっている。

 藤の花を眺めているとまたスバルさんがカメラを構えた。だから連写はやめてほしい。というかそんなに撮ってどうするつもりだ。

「こずえさんは花がお似合いですね……美しい……」

「そうですね、花は美しいですね」

 そう言って軽く流す。恋は盲目もうもくとはよく言ったものだが、スバルさんには私が何に映ってるんだろうか。

 公園の中心部に入ると、城郭の跡地や歴史資料館などがあるくらいで、あとは普通の公園である。滑り台やブランコもある。しかし大砲が置いてあるのは驚いた。これはレプリカ……なんだろうか? 雨ざらしだもんな。

 ソフトクリーム屋さんがあったので、少し歩いて暑さを感じていた私たちはソフトクリームを買った。私は紫色のラベンダー味、スバルさんはメロン味、だけどオレンジ色だ。北海道のメロンは中身がオレンジ色のものがあるらしい。

「こずえさんのソフトクリーム、どんな味がするのか気になりますね。ひと口いただいても?」

「じゃあ私もスバルさんのやつ食べたいです」

 そう言って、ふたりでソフトクリームを差し出し合ってお互いのものをひと口いただく。

 ……ん? なんかナチュラルにいちゃついてしまったような。

「ラベンダー味ってなかなか食べられないので新鮮ですね。結構おいしいですし」

 意識してしまった私をよそに、スバルさんは口の端についたクリームをぺろりと舌なめずりするようにすくい取る。この顔がまた色っぽい。

「……こずえさん? ぼーっとしてると溶けますよ?」

「あっ、す、すみません」

 思わず見とれていた。ソフトクリームは溶けるのが早い。慌てて口に入れるがどんどん液状になっていく。

「ほら、もうこんなに手に付いてるじゃないですか」

 スバルさんは私の手をとって、指をめ……ッ!?

「ちょ、ちょちょちょ……!」

「ほら、早く食べて」

 スバルさんは既に自分の分を食べ終えたらしい。コーンについていた包み紙しか持っていない。

 私は必死にコーンにかぶりついて、なんとか完食した。

「手、手洗ってきます……!」

 溶けたクリームとスバルさんの唾液だえきでベトベトの手を公衆トイレの手洗い場で洗う。

 っていうか、舐めるんじゃなくてハンカチとか使ってくれればいいのに……!

 また公共の場でイチャイチャしてしまった、と軽く悔やむ。

 個人的にバカップルみたいになるのが嫌なのに、いつの間にかスバルさんのペースに乗せられてしまう自分が悔しい。

 洗った手を拭きながら、ふと自分の左手を見る。――それは、婚約指輪から結婚指輪にランクアップした銀色のリングだった。

 そうか、私とスバルさんは、本当に夫婦になったのか。

 今更ながら実感する。

 スバルさんのもとに戻った私は、自分からスバルさんの手を取り、恋人繋ぎなどというものをやってみる。

 私からすることなんて滅多にないから、驚いて目を丸くするスバルさんに、ざまあみろと笑ってやる。

 ――夫婦なんだから、このくらいしてもバチは当たらないだろう。

 北の大地の空の下、私たちは駐車場のレンタカーに向かって歩いていく。

 私はきっと、この人とずっと一緒に生きていく。

 健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも。

 結婚したときの誓いの言葉を思い出しながら、私とスバルさんは北海道での新婚旅行を満喫し、そして東京のふたりの我が家に――スバルさんとの楽しい日常に帰っていくのである。


〈完〉

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隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される 永久保セツナ @0922

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