オウゴントビラダッシュ

小早敷 彰良

第1話

僕の背中で荷物が、がしゃがしゃと鳴っている。夕暮れの長い影が、部活帰りの疲れた高校生二年生が、大荷物を背負っているのを写していた。

すぐにでも家で夕御飯を食べたいところだけれど、今日はやらなければならないことがある。

大荷物の理由の半分を占める掃除道具を、叔父さんの家に届ける。それさえやれば、ご飯が待っているのだから、疲れた身体を鞭打って歩き続けるしかない。

こういう時、現実逃避の思考が捗るのは、誰しもが体験するはずだ。

例えば、異世界のこととか。叔父さんみたいに、大学で研究までいかなくとも、考える人は多いのではないだろうか。

異世界、違う世界、異文化。古今東西、様々な文献で、違う世界というのは示唆されている。

アトランティス、アガルタ、ロストワールド、ムー大陸などなど。

それはきっと、異文化との遭遇をわかりやすく書いたものが大半だ。

この国だって、昔は黄金の国ジパングと呼ばれて、異世界扱いされてたくらいだ。

そんな異世界や異文化の冒険譚というのは、扉の向こうには大概、冒険と夢が広がっていて、金銀財宝や絆を持って帰る。そんな夢物語が大半だ。

でも本当に?

異世界に憧れる気持ちはある。しかし、実際に行きたいかは別だ。

その向こうは本当に素晴らしい世界なのか?

部室で聞いたこともある。異世界とはそんなにも素晴らしいものなのだろうか、と。

素晴らしいに決まっている!、と答えたのは、親戚の叔父さんと僕の友人の一人だけだった。

あとのみんなは、困った顔で顔を見合わせるのが大半。いや、一人は酷いものだとしたり顔をして見せたか。

したり顔をした彼、四方は、その直後頭を叩かれていた。

頭を叩いたのは、異世界が素晴らしいと言った友人だ。

彼女は確か、駕篭といったか。近所で見かけたこともある、おそらくはご近所さんの同じ部活の同級生。

「あんたまたそんな気の利かない、朴念仁、だから下手なんだよ色々と!」

「具体的に言えよ暴言なら。いや、具体的に言われても腹が立って仕方ないから良い!」

「言える訳ないでしょ。葛葉の家庭事情よ、個人情報よ。」

「そう言ってる時点で言ってるも同然だし、言わなくて良いって言ったろ!」

駕篭はご近所さんだから、きっと事情を知っているのだろう。気遣いをさせて申し訳ないものだ。



目的の家のチャイムを、形式的に鳴らす。

駕篭のように、感づいている近所の方はいらっしゃるだろうが、少しでも身内の恥は隠しておきたい。

チャイムの返答を待たず、預かってきた合鍵で玄関の戸を開ける。

引き戸を開けると、長い間誰も入っていなかっただけあって、淀んだ空気が流れ出てくる。

「入るよ、叔父さん。」

返答は期待していない。

玄関先に荷物を下ろす。これは全てこの家のための掃除道具だ。母さんが週末にこれらを使って、家の整理をするのだという。

叔父さんが失踪してから、もう半年になる。

叔父さんは、叔父さんの両親、つまり僕のおじいちゃんとおばあちゃんが亡くなってから、一人でこの家に住んでいた。

近所には僕ら家族が住んでいて、よく遊びに来ていた。

大人の機微がわからない頃に僕は、一緒に住もうと強請っては、困らせていたことを覚えている。

彼はずっと大学で難しい研究をしていたのだと、両親は言う。

叔父さん本人も、研究についてはこう話していた。

「葛葉、違う世界の存在について、どう思う?」

大好きな叔父さんの突然の言葉に、面食らったのを覚えている。

「叔父さんはね、葛葉、違う世界があるのだと思うんだよ。それはきっと、角から、宇宙から、僕らの知らない世界から、こちらを見ているようなものなんだ。

どうして見ているのかはわからない。そんな存在がこちらの技術を欲しがるとは思えない。

食べ物? それにしたら、人間が滅んでいないのはおかしい。

被捕食者というのはなんらかの防衛手段を自覚してるものなのだけれど、人間にはそれがない。ならば食べるなんてことないのだろうさ。

第一、異世界の存在というのは古今東西、どんな国でも描かれていて、素晴らしいものだと謳われているんだ。中にはちょっと怖いものもあるけれどね。」

今思っても、5歳児に振る話題ではない。叔父さんはそういうところがあった。自分の考えていることは人にもわかるのだという誤解。人は言われなきゃわからないことが大半だというのに。

「だから、きっと異世界は素晴らしいもので、この世界と交流できたらどれだけ素晴らしいのだろうと思うんだよ。それが僕の研究。

アステカ文明をあー、あれしたスペイン人や、そうだなぁ、天竺から経典を持ち帰った三蔵法師になるのが、僕の夢。

今、インターネットで世界中繋がってる中で、繋がっていない異文化を僕は心底知りたいんだ。」

本当に、5歳児には難しい話をしていた。

大抵僕はそういうとき、しかめっ面でこう言った。

「よくわからないよ。」

そう言ってやると、叔父さんはいつも満面の笑みを浮かべていたことを覚えている。

「いいかい、葛葉。未知というのはそれだけで素晴らしいんだ。知らないことに対して拒絶する人も多い。

けれど、僕や、きっと葛葉には、知らないことを知りたい、それだけで人はとんでもない力が出る。自分だけで、自分自身のことで、とんでもない力が出る、唯一の動力源なんだよ。」

未だに、僕にはその言葉の意味を実感できていない。


だって、叔父さんが失踪した理由を、毎日知りたいと思いながら、何かをする力はまだ湧いてこないのだから。

静かに、玄関先に掃除道具を置く。

叔父さんが大学で書き残していた論文のタイトルは、とても無意味に思える内容だった。内容も、オカルティズムといった内容で、とても意味がわからなかった。

未知が素晴らしい、なんてとんでもない。頭を使わせたがって勿体ぶっているようにしか見えない。

失踪して、沢山の人を泣かせて、今日だってこうして

無性に腹が立ってきた僕は、思わず玄関先から室内に向かって、叫んでしまった。

「よくわからないんだよ馬鹿野郎! もっとわかりやすくしろ!」

もっと、そう。

「知りたい! なんで失踪したのか!」


がたん、と音がした。

飛び跳ねてみれば、大声のせいか、掃除用具が全て横倒しになっていた。

どう転がったのか、廊下の向こうまで、洗剤のボトルは転がっている。

僕はため息をついて、靴を脱いだ。

一瞬だけ、叔父さんが帰ってきたのではないかと、期待した自分が腹立たしい。

ひたひた、と埃でざらざらする廊下を歩く。

叔父さんが毎日通っていたはずの廊下は、今は人の気配すらない。

なんだか無性に泣きたくなってしまった。

「知りたいな」

なんで、叔父さんがいなくならなければならなかったのか。

叔父さんは知りたいということに固執するだけあって、理由のない行動というのをしない人だった。なんでも、おもいつきというのは未知とは真逆にあるのだといって。

「なんでいなくなってしまったのだろう?」

もしかしたら、僕に非があったのだろうか。

部活に入ってあまり叔父さんを訪ねることがなくなったから?

もしくは、今まで叔父さんのところに季節の挨拶と称して、遊びに行き過ぎた?

高校生のくせに、鼻の奥が熱くなってきた。


がたん、と音がした。

洗剤のボトルを拾おうとした姿勢のまま固まる。

間違い無く、音がしたのだ、誰もいないはずの二階から。

息が詰まった。

この家の鍵は叔父さんと今僕が持っている二つだけ。

入れるとしたら、無法者か。

もしくは叔父さんだ。


玄関先まで走り、大荷物の半分、部活道具から竹刀を引っ掴む。

返す刀で二階への階段を駆け出す。一足飛びであがれば、二階の叔父さんの部屋はすぐそこだ。

無法者だろうと、叔父さんだろうと、どちらであっても、一太刀浴びせてやろうと僕は思っていた。

そのために部活で鍛えていたのだとすら、そう錯覚するほど決意していた。

叔父さんの部屋の扉が見えた。


開けた扉の先には、

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