黒髪サッチ

@Badguy

黒髪サッチ

一台の輸送トラックが、州境を越えるためゆっくりと検問所へ向かう。運転手の名はエドワード・サッチ。賞金稼ぎを生業とする青年だ。彼が州境を越えようとするのにはある理由があった。


サッチがこれまで過ごしてきたキルシー州は元々治安の悪さで有名だったが、近年は非常に安全な土地として知られるようになった。その理由として一番に挙げられるのは、やはり賞金稼ぎの急増であろう。6年前、キルシー州は治安の悪さを改善するために賞金首確保による報酬の増額を発表した。すると数年で賞金稼ぎは大いに数を増やし、軽罪重罪含め、犯罪者達は次々と賞金に変えられていった。つまりサッチとしてはもうこの土地に留まる理由はないのである。


しばらく進んでいくと州境検問所に着いた。サッチはトラックから降り、窓口の方に歩み寄る。

「どのような要件で?」

役人は新聞からサッチの方へ目を移しながらそう尋ねた。

「エンテシアにわたりたいんだが通してくれないか?賞金稼ぎなんだが」

「じゃあ国からの許可書をだしてくれ」

「こいつだな」

「……」

サッチのスラっとしたスタイルと、自信に溢れた口調に役人は驚いた。これまでフレッシュな印象を与える賞金稼ぎに、彼は出会ったことがなかったからだ。

「あんた幾つ?」

「ん?この前二十歳になったばかりだが」

「へえ、若いんだなぁ。賞金稼ぎはもっとオジサンのイメージなんだが」

「ハハッ、間違っちゃいないよ。転職者が多いからね。俺も同年代のヤツには滅多に遭遇しないよ」

微笑みを浮かべながら、サッチは許可書を差し出した。役人はそれを受け取ると、軽く確認してから彼に返した。

「通っていいぜ。気をつけな。あっちは昔のキルシーくらいに治安が悪い」

「キルシーの犯罪者はエンテシアに逃げるって言われてるもんな…。ま、だから行くんだけどよ。ご忠告どうもありがとう」

彼はそう言い残すとトラックに乗り込み、ゆっくりと発車していった。その後ろ姿を見つめながら、役人は首を傾げた。

「……どこかで見たことあるような」

初対面のはずなのに、何故だか役人はサッチと名乗る青年に既視感があった。だが、どうやっても思い出せそうになかったので、彼はそれを杞憂として片付けると、何事もなかったかのように業務に戻るのであった。


エンテシア州はキルシー州と違って、乾いた荒野の広がる土地だ。車両がロクに舗装もされていない道路を走れば、車体は大きく揺れ、運転手の尻は強く打たれることになる。

「アイデッ!」

トラックが上下に動き、座席が勢いよく跳ねあがってサッチの尻を叩き上げる。

「か、勘弁してくれよ…。さっきから座るだけでも痛いってのに!」

彼は優しく自分の尻を撫でながらそう呟いた。このスピードで走れば、一番近くの町まであと二十分。サッチにはそれがとても長く感じた。

(あと二十分も座らなきゃいけないのかよ…)

彼にとっては気分の重くなる話であった。

「シート、買い換えなきゃな…」

サッチは座席を手で押して固さを確認した。そして、正面に注意を持っていきなおそうとしたそのとき、

「キャッ!」

トラックの近くで短く高い声で悲鳴が上がったので、サッチは慌てて正面を向きなおした。見ると前方には派手な格好をした若い女が、腰を抜かして地面に尻をつけていた。

「ッッ!?あ、危ねェッ!」

咄嗟の反応で彼は、ブレーキをこれでもかというほど強い力で踏み込んだ。幸い、トラックはすんでのところで止まり、女は無事であった。が、サッチの方はブレーキの勢いで、ハンドルに鼻を強く打ちつけてしまった。

「イッ、ツゥ……!」

激しく襲う鼻の痛みに、彼は大粒の涙を流した。不幸中の幸いか、彼の鼻から血は流れなかったので、彼の白いシャツが汚れることはなかった。それでも彼にとっては何の気休めにもならないが。

「……免許とりたてを思い出すなぁ、まったく」

「あの…」

一人でぼやいていると、彼が轢きかけた女のものらしき声が外から聞こえたので、サッチは窓から上半身を乗り出して声の主を探した。彼がふと下に視線を移すと、先ほど目にした派手な格好が目に映った。

「すまないな。怪我はないか?」

「おかげさまで。傷一つないわ」

「そいつはよかった。賞金稼ぎが轢き逃げで賞金首になるとか洒落にならんからな」

女のほうは訳がわからないといった感じだったが、彼は自分で言って自分で笑った。

女は一人でゆっくりと立ち上がり、腰のあたりを手でパンパンと払った。

(大丈夫そうだな…)

女の無事を確認すると、サッチは乗り出した上半身を元に戻した。

「じゃ、俺はこれで…」

「ええ、そうね。さような…」

別れの言葉を告げようとした次の瞬間、女はハッとしたような表情をした。

「いたっ!」

「ん?どうした?」

突然女が屈んだので、サッチはシートベルトを外して急いで外に飛び出した。

「痛むんだな?」

「ええ…さっき腰を抜かしたとき足を怪我したみたい。イタタタ…」

彼女は本当に足が痛んでいる様子だった。不味い気がしてきた彼は、深く頭を下げた。

「すまねぇ、俺の不注意のせいで…」

サッチは女に対して申し訳なさそうに謝罪した。だが、女の方は別に気にしてない様子であった。それどころか、今度は女の方が彼と同じ表情をした。

「いや、いいのよ。それで、お願いなんだけど…」


サッチは隣の座席に女を乗せると、トラックのエンジンをかけた。

「しばらく一緒に過ごすことになりそうだから、一応名乗っとくぜ。俺の名前はエドワード・サッチ。キルシーから来た賞金稼ぎだ。アンタは?」

「……名乗らなきゃダメ?」

女は笑顔でサッチに尋ねた。どうせすぐ終わる関係だと気づいた彼は、それ以上のことを追及しないことにした。

「……いや、いい。でもそれだと、オイとか、アンタとか、そういう風に呼ぶことになるけど?」

「気にしないわよ」

「そうかい?じゃ、出発するぜ」

女の同意を得たあと、彼はトラックを小さく揺らしながら発車させた。


彼女は先ほど、サッチに自分をトラックに乗せるよう頼んだ。彼はトラックに乗せて欲しいという要求の意図がイマイチ汲み取れなかったが、彼女を怪我させたことへの申し訳なさから甘んじて要求を受け入れた。


「ところで、行き先ってのはあるかい?怪我をさしたお詫びだ。どこへでも行くぜ」

サッチはハンドルをきりながらそう尋ねた。トラックに乗せたはいいが、まだ彼女の希望する行き先を知らないからだ。

「……そうね。あなた、長時間の運転は大丈夫?」

「ん?まあ、得意じゃないが、できないこともないな」

「よかった。じゃあ…」

すると突然、女の顔から笑顔が消えた。そして、サッチの腰にさげられた拳銃を抜き取ると、即座に彼のこめかみに突きつけた。

「これからは私の言う通りにしてもらうわよ、賞金稼ぎさん」

「……面倒なことになったなチクショー」

サッチはブレーキを踏むと、エンジンを切って両手を挙げた。

「足を痛がってるの名演技だったぜ、アンタ。騙されちまったよ。でも、なんのつもりか知らんが、人の良心を踏みにじるものじゃないぜ?」

このような状況に立たされても、何故だか彼は非常に落ち着いていた。女にはそれが不気味に思えたので、彼女は銃のハンマーを引き起こし、自らの意志を示した。

「どうやら本気にしていないみたいね」

女はサッチに突きつける力を一層強くした。

「チッ、わかったよ。どこ行けばいいんだ」

「そうね…。どこか、果てしなく遠いところまで、かしら」

「だからどこなんだよ」

と言いつつ、サッチはエンジンをかけ直し、再びトラックを発車させた。


あてのない旅が始まって15分近くが経過する頃、サッチの目には先ほどまで目的地としていた町が映りはじめた。

「ハァ…」

サッチの頭には依然銃が突きつけられている。それを頭の中で意識するたびに、彼の口からは深いため息がでた。運転中にも関わらず全く落ち着くことができないので、彼は「言うしかない」と思った。

「なあ、撃鉄を起こしたまんまじゃマジで危ねぇから、とりあえず頭から外してくんねぇかな?」

「いやよ。だってあなた本気にしてないもの」

即答だった。期待していた返事が返ってこず、彼は頭を抱えた。

「本気にしてないって、お前なぁ。銃ってのはな、ふとした瞬間に事故が起こるモンなんだ。例えば…」

サッチがそう言いかけた瞬間、トラックのタイヤは大きな凸凹を踏んでしまい、二人を乗せた車体は大きく揺れた。

「おあっ!」

「きゃあ!」

バァン!

二人の態勢が大きく崩れると同時に、辺りに大きな爆発音が響き、サッチは耳元で風が勢いよくきられる音と窓ガラスが割れる音を聞いた。

「……」

サッチは黙って女の方を向いた。彼女の握る拳銃からもくもくと煙が出ており、先ほどの爆発音は銃声だと確信できた。

「……こういうことになるから、な?」

「ご、ごめんなさい…」

青ざめた表情で女はサッチに謝罪した。

今日のエンテシアは暑い。だが、この二人の空間だけは、絶対零度に近い気温を記録した。

それ以降、流石に反省したのか女は依然銃を手にしたままだが、サッチに突きつけるような真似はやめた。


現在、サッチはとても空腹を感じている。彼はキルシーを旅立って、コーラ以外の飲食物を一切口にしていないからだ。

「腹が減ってきたな…」

サッチはボソッと呟くとほぼ同時に、腹を鳴らした。彼は隣のシートに座る女を横目でチラッと見た。彼女はサッチの呟きや腹の音など、全く気にしてない様子で正面だけを見つめていた。

「腹空かないか?」

今度は女に問いかけるようにした。すると女は視線を彼の方に移して言った。

「あなたの思惑はバレバレよ。街って隠れる場所いっぱいあるから。私から逃げるつもりだったんでしょ?」

「その手があったか!」と、サッチは一瞬ハッとしたような表情をした。しかし、この女の前ではきっとうまくいかないことを悟ると、彼は肩を落とした。

「そんなんじゃねぇって…。ホントに腹が空いてんだよ」

「本当でも嘘でも、あなたが減っていようと関係ないわ。私にはピストルがあること、忘れちゃったの?」

女はサッチから奪い取ったピストルをチラつかせながら微笑んだ。

(お、女ァ…!)

「凶器とは人をここまで強気にさせるのか」と、サッチは悔しさで顔を真っ赤にさせた。

(こうなりゃやるしかねぇ!)

トラックを道路脇に停めると、彼は奥の手を使うことにした。女はサッチが急に停車したため、少しばかり困惑した表情で彼を見た。彼も女の方を見つめて幾ばくかの沈黙を作った。二人の間に、今にも切れそうな糸を張ったような緊張が走る。

「な、なに?」

女は雰囲気に耐えられず、彼にどういうつもりか尋ねた。すると彼はハンドルから手を離し、両手を彼女の前に広げた。

「!?」

異様な雰囲気を醸し出しながら異様な行動をとるサッチに女は恐怖を感じ、咄嗟に身構えた。しかし、そんな彼女のことなど御構い無しといった感じで、

「頼む!飯に行かせてくれ!このままじゃ運転に集中できねぇんだ!」

彼は神様にでも祈るような感じで手を合わせ、女に必死に懇願した。

「は、ハァ…?」

「奢る!美味そうなの奢るから!な?」

さっきの雰囲気は一体なんだったのか。サッチは彼女の下にでる形をとった。

「そんなことしたって、私は…」

呆れたように言った直後、

グォォオ…!

どこからか怪獣の呻き声のような音が聞こえた。それはサッチからではなかった。

「……」

「……奢るぜ」


2人が空腹を満たすため、丁度近くにあった小さな街へ訪れたのは、午後1時過ぎのことであった。彼らの空腹は既にピークに達しており、サッチは血眼である店を探した。

「ねえ、さっきから何を探してるの?お店ならさっきから見かけているでしょう?」

女はあまりのひもじさにだるげな口調だった。そうは言われても、サッチの目から真剣さが失われることはなかった。

「悪りぃが、エンテシアに来るのは今日が初めてでな。腹が減っててもはじめての土地の料理は少し恐いんだぜ。だから、キルシーがこっちにも出してる店を探してんだ」

「心配しなくても美味しいわよ…。そういう男ってモテないのよ?」

「結構だぜ。今はな」

サッチは顔をニヤリとさせながら言った。

そのやりとりからしばらくして、サッチは前方100mあたりに見覚えのある看板を見た。キルシー州のファストフード店、ジャンク・バーガーである。

「あそこにしよう。みんな大好き、JBだ」

「……もうなんでもいいわよ」

女は既にサッチが指した方向を見る気力すら失っていた。サッチはそんな彼女が、子供のように見えて可笑しかった。


JBはキルシー州で最も人気なファストフード店である。サッチはJBを心から愛している。キルシー州にいた頃は週に3〜4回は通っていたので、彼にとっては最早お袋の味といっても過言ではない。


駐車場にトラックを停め、シートベルトを外して外に出ると、2人は店内に駆け込んだ。昼時だけあって、ほとんどの席は学生とサラリーマンで埋め尽くされていた。

「……」

「席、空いてないかもな。まあ、車ん中で食えば問題ねえけどよ」

「……」

「とりあえず注文を済ませよう。それで──」

言いかけたところでサッチは、店内に入ってから黙り込んでいる女の方を見た。彼女は目の前に広がる光景に、なぜか立ち尽くしている様子だった。

「どうした?」

サッチは様子のおかしな女にそう尋ねた。すると彼女は、ハッとした表情を浮かべて首を横に振った。

「う、ううん、なんでもないの。さ、早くその注文とやらを済ませましょ!」

女はヘラヘラとした様子でサッチの手を引っ張ったが、彼女の行く方向はカウンターとは真逆の方向であった。サッチは手を引っ張り返すと、カウンターに向かって指をさした。

「どこ向かってんだ。カウンターはあっちだろ」

「え?え、ええ、そうだったわね…。ハハ…」

「……しっかりしてくれよ?」

サッチは手を離すと、女を連れてカウンターへ向かった。

「すまんが、メニューまだ決まってないんだ。先に済ませてくれるか」

「ええ!?ち、ちょっと…」

女に有無を言わさず、サッチは彼女の背後に回った。

「ご注文をお伺いいたします」

店員が一礼をして、女ににこやかな笑顔を浮かべながらそう言った。そして、差し出されたメニューを見た途端、女は顔を引きつらせ、額には冷たい汗が流れた。

(な、なによこれ!ハンバーガー?ポテト?サイズ?どう頼んだらいいのよ!?)

まるで別世界にでも来たかのように感じた。そして、しばらく注文の仕方に迷っていると、背後にはいつのまにか長い列が出来ていた。女の頭は困惑と羞恥心で今にもショートしそうであった。

「アンタ、こういう店来たことないだろ」

「うえっ!?」

女があたふたしていると、突然背後から謎の囁きが聞こえた。驚いた女は勢いよく振り返り、その声がサッチのものであったと確認する。そして、彼は顔をニヤつかせながら言った。

「俺に任せな。メニューは俺のと同じだからな」

彼のまるでさっきの様子を楽しんでいたかのような表情に、女は笑ってはいたが顔を真っ赤にさせていた。

「ええ、よろしく」

サッチへの仕置を考えながら、女は車に戻っていった。


サッチは温かいハンバーガーとポテト、そしてジュースを持ってトラックに戻り、女に袋を渡した。

「ホラ、アンタの分。熱いから気をつけな」

ハンバーガーを袋からひとつ取り出し、それを3口くらいで食べ終えると、サッチはトラックを発車させた。女はそんな彼を見つめながら言った。

「……気づいてたんでしょ」

「ん?何に?」

「私がああいう場所、初めてだったってこと」

それを聞いた途端、サッチは口に含んだジュースを噴き出した。そうしてしばらく笑い続けてから言った。

「ああ、あれか。面白かったぜ。まさかあんなに焦るとはなぁ」

「ひどいじゃない、女をからかうなんて。人としてどうなのよそれ」

「……アンタは危うく俺の頭に風穴をあけるところだったんだが」

さっきの出来事を思い出したからか、サッチは顔を真っ青にさせた。

「あけてあげようか?」

「冗談はよせよ…」

女にはヒエヒエな様子のサッチがおかしく見えた。サッチがそんな彼女を横目で恨めしそうに見つめていると、ふとまだ開けられていない袋が目に映った。

「食べないのか?」

「え?ああ、そうね。それじゃ、頂こうかしら」

女は袋をあけ、サッチと同じようにハンバーガーを取り出し、包み紙を剥いで噛り付いた。そして、口を動かしてからゆっくりとのみ込むと、歯型のついたハンバーガーをしばらく見つめた。

「……美味しい」

「食ったことなかったのか?」

「ええ。私の家、ちょっとお金持ちだから」

「やっぱり金持ちだったか」

「え?」

勘づいていたかのような口調をするサッチに女は驚いた。いったいどこでそれに気づいたのか、女は気になった。

「なんでそう思ったの?」

「服が立派だ。すぐにいいとこの娘に違いないと思ったさ」

サッチは女にウィンクを送りながら言った。

「……そう。私は、あなたの服装を見て賞金稼ぎとは思わなかったわ」

「なんでだよ」

「だって、白のワイシャツにネクタイ、そしてジーンズって、明らかに賞金稼ぎの服装じゃないでしょ」

女はサッチの服装を上から下へと目を移しながら言った。そんな彼女につられて、サッチも自分の服装を確認するが、別におかしいようには思わなかった。

「決まった服装はないからいいんだぜ」

「へえ、そう。それにしても、その服装…。どういうファッションよ」

未知のファッションをバカにするように、女はサッチのシャツの裾を引っ張った。彼は女の手を払いながら言った。

「わかっちゃいねぇな。リーメンズファッションだぜ」

「……あなたのセンスが、常人とはかけ離れていることはわかったわ」

「どういう意味だよそれ」


女はJBのセットを食べ終えると、袋をぐしゃぐしゃにしてサッチの脚の上に置いた。

「…オイ」

「美味しかったわ。なんだか新鮮で」

「…そりゃよかったぜ」

相変わらず生意気な態度をとる女に、サッチは肩を落とした。そのとき彼は少し期待していたのだ。彼女の口から発せられる、感謝の言葉を。

(無理な話だったかな)

サッチは首を横に振って女の感謝を諦めた。そして、運転に集中しようと、背筋を伸ばしたそのとき、

「…ありがとね、サッチ」

「ッ!?」

隣から聞こえたその言葉に、サッチは大いに驚き、正常な運転が出来なくなった。蛇行を繰り返すトラックに、2人の身体は大きく揺られた。

「ち、ちょっと!危ないでしょ!」

「い、いや、だって…アンタ」

サッチは魚のように口をパクパクさせた。待っていたはずの言葉なのに、彼は準備をしていなかった。

「もう!しっかりしてよ!」

そう言うと女はサッチの頭を力強く叩いた。すると頭に新鮮な血が巡り、彼は少しずつ落ち着いていった。

「どうしたのよ、あなた」

「す、すまねぇ。アンタの口から『ありがとう』なんて、意外だったもんだから」

「…そ、それぐらい私だって言うわよ」

意外などと言われると、女は恥ずかしくなって、顔を真っ赤に染めた。

「プッ…!アハハハハハ!」

先ほどから続く奇妙な状況に、サッチはおかしくなって、突然大声で笑い始めた。

「ど、どうしたのよ」

「いや、アンタにも可愛いところあるんだなって」

「…なにそれ」

女もサッチにつられて、徐々ににやけだした。そして、お互いのにやけ顔がお互いの目に映ったとき、2人は同時に噴きだした。

「ハーッハッハッ!」

「フッ、フフフフ」

「ハーッハッハ──」


バリャンッ!


「ッ!?」

「キャッ!」

突然、女側の窓ガラスが大きな音をたてて崩れ落ちた。サッチはすかさず、割れた窓ガラスの状態を確認する。割れ方から考えて、すぐにそれが被弾によるものだと確信できた。

責めるような眼差しで、サッチは女の方を見つめる。

「……アンタは一体、俺のトラックにどれだけ傷をつけりゃ気がすむんだ?」

「わ、私じゃないわよ!」

女はそう言うと首を激しく横に振った。しかし、サッチは信じなかった。この女には前科があるからだ。

「銃の安全を守れないなら、銃なんて持つんじゃ──」

サッチがそう言いかけたときだった。

バァン!

「なっ!?」

「ウッ!」

そのとき、2人の耳には、遠くから発せられる銃声がはっきりと聞こえた。そこでようやくサッチは気づくことになる。

「銃撃!?クソッ!」

「だから言ったでしょ!」

「うるさい!」

サッチはアクセルを強く踏みなおすと、状況を把握できず慌てふためく女の後頭部を右手で必死に抑えた。

「頭を抑えろ!死にたくなけりゃな!」

ハンドルに顔を埋め込むようにサッチが姿勢を低くした直後、新たな銃声が鳴り響いた。

(右!)

聞こえた銃声から敵の位置を把握すると、サッチは姿勢は低くしたまま、顔の上半分だけを出して外の様子を覗いた。彼は10mあたり先に、2人乗りの角張った車を確認した。

「気づかなかったぜ、全く」

サッチは女との会話に気がそれて、不注意になっていたことを悔やんだ。

「こっちに寄れ!ペシャンコになるぞ」

そう言うとサッチは、右手をまわして女の肩を自分の方に引き寄せた。

「ええ!?」

突然サッチとの距離が近くなったことで、女は顔を赤面させた。しかし、サッチの方は全く気にしてない様子で左手で運転を続ける。

そんなことをしている間にも弾丸は何発か発砲され、屋根付きの荷台にはいくつかの穴が空いたようだった。サッチはその回数を数え、頭の中でこの状況の打開策を練った。

(さっき確認したが、相手の銃は装弾数6発のリボルバーで間違いなさそうだ。となると、そろそろ…)

サッチは少しずつ車体を敵の車に寄せていった。そして、およそ7mまで近づくと並走に戻り、ある機会を伺った。その様子を不思議に思い、女は顔を僅かにあげた。

「ちょっと!近づいてどうする──」

「バッカ、顔をあげんじゃねぇ!」

サッチが女の頭を再度抑えた直後、辺りに銃声が響き、放たれた銃弾は運転席付近を通過したようだった。

「今だッ!」

掛け声とともにアクセルを力強く踏み、サッチはトラックを車に急接近させ、その勢いのまま襲撃者の運転席に体当たりした。

「キャッ!」

「グッ!」

あまりの衝撃にサッチと女は、お互いの身体を強くぶつけ合った。車内には砕け散ったガラスの破片がキラキラと飛び散り、2人の皮膚を切りつけたが、それでもサッチはトラックを止めることなく運転を続ける。


「……奴らの車はどうなった?」

女に、体当たりした襲撃者の車を確認するようサッチは言った。女は起き上がると、割れた窓から顔を出して辺りを見渡した。後方には襲撃者の車が煙をあげながら停まっていた。

「死んじゃったの?」

「多分生きてるよ。ただ、死んでなくてももう運転はできないだろうな」

サッチは額に流れる冷たい汗を拭った。女は顔を曇らせながら、心配そうに遠くなっていく車を見ていた。

「強盗かそれに似た何か、だろうな。正直、エンテシアの治安なめてたよ。来て初日で襲われるなんてな」

顔をひきつらせながら、サッチは女に向かって笑った。すると、女も彼と同じような表情をして言った。

「ね、ねぇサッチ…。う、後ろ」

女はサッチに後方を確認するよう促した。彼はその言葉を受けて、急いで窓から身を乗り出す。

「う、嘘だろ…!?」

サッチが見たのは先ほど襲撃してきた車と同じ車種が、トラックへ向かってスピードを上げて迫ってくる様子だった。ただ、1台ではない。今度は3台が横並びに走っている。その様子を見て、サッチも速度を上げるものの、3台のスピードには全く歯が立たなかった。

「速い!クソッ、これじゃ逃げきれん!」

「ど、どうするの──」

女が言い終えるより前に、その3台の搭乗者たちは2人のトラックに向かって発砲し始めた。銃声を聞いて態勢を再び低くしたサッチは、自分と女のシートベルトを外した。

「強盗ならこのトラックの荷台に興味があるはずだ。一か八かだが、こいつを捨てて逃げる」

「しょ、正気なの!?」

「どのみちまともに身動きもとれん車内じゃいずれ敵の弾に被弾する!タイヤに当たれば動けなくなる!そうなる前に降りるんだよ!」

必死な顔をするサッチに、女は彼の言葉が本気のものだと感じ取った。すると、女はトラックのドアノブに手をかけ、いつでも脱出できるよう準備する。

「ああもう、最悪だわ…」

「いいか、降りたらなるべく左右に大きく動くんだ。そうすりゃ簡単には当たらん!」

そう言うとサッチは、ドアを開けて車内から勢いよく飛び出した。女もそれと同じように彼に続くかたちで脱出する。2人は荒野の硬い地面に身を激しく転がした。強く打ちつけられる身体には、相当な痛みがはしる。

「あうっ、痛ッ!」

今まで経験したことのないような激しい痛みに女は悲鳴をあげた。そして、転がり終えた後も女は地面に伏したまましばらく動かなかった。

「何してんだ!走るんだよ、早く!」

サッチは女に近づくと、手を引っ張って身体を起こした。

「あ、ありがとう、サッチ」

女は目を回しながら立ち上がり、サッチの指示通り左右に動きながら走る。

(……どうだ?)

サッチは走りながら振り返って襲撃者の様子を確認した。3台の車が乗り捨てたトラックに接近していく。上手くいったと思い、サッチが前を向き直そうとしたそのとき、

「サッチ、こっちに来てる!」

「な──」

トラックは速度を落とすことなく2人を追い続けた。こうなるといよいよ襲撃者たちが自分たちを襲う理由が分からなかった。

「逃げきれないか…!」

サッチが諦めの表情を浮かべると、それを見た女がショックを受けた。

「そ、そんな…。私、やっと…」

女の様子には悔しさがあった。サッチは女が何か訳ありの言葉を口にしたことを聞いてはいたが、この状況では気にしてはいられない。

そんなことをしているうちに、3台の車の走行音が2人のすぐ側まで迫ってきていた。

「クソ!おい、伏せろ!」

サッチは女に向かって叫ぶと、足で地面を蹴ってうつ伏せの状態になった。しかし、女の方は困惑のあまりすぐに行動を移せず、ただ足を止めたまま立ち尽くしていた。

(マズい!)

女の状態を見てサッチは顔を真っ青に染めた。しかし、次の瞬間彼はあることに気づいた。それは彼らがトラックを降りてからというもの、襲撃者たちが発砲してこないということである。

(いきなり発砲してきて、殺しにかかってくるものだと思えば発砲をやめる…。何故だ?)

サッチが考え事をしていると、3台の車はお互いの間隔を開けて減速し、2人を囲むように前に1台、左右に1台ずつで停車した。

「サッチ!」

女がうつ伏せから立ち上がろうとするサッチのもとへ駆け寄る。お互いに顔を見合わせても、お互いが何が何だかさっぱりといった感じだった。

「悪い夢でも見ているのか?」

サッチはこの状況に対して皮肉を言って笑った。

砂埃がはれると、前方に停車した車から派手な格好をした貴婦人とその夫らしき男が降車してきた。

「!?」

その2人を見た途端、女は目を大きく広げて後ずさった。そんな女を見て貴婦人はまるで勝ち誇るかのような笑みを浮かべた。

「探したわ、ヴァネッサ」

貴婦人の口から発せられた言葉は強い調子ではあったが、どこか安心している様子だった。

「……どうして」

ひきつった顔で足を震わせながら女は呟いた。

「知っているのか?」

サッチは咄嗟に女に貴婦人とのつながりを尋ねた。その問いの返事はなかったが、その沈黙こそが答えであった。どうやら女の名前はヴァネッサというらしい。彼にはまだ女に聞きたいことが山ほどあったが、本人の口からは到底聞きだせないと思ったので、代わりに貴婦人に尋ねることにした。

「アンタたちは一体何者なんだ。この女とどんな関係がある?」

親指で女を指しながら、サッチは貴婦人に尋ねた。

「私たちはその娘、ヴァネッサの保護者よ。迎えにきたの、その家出娘をね」

「なるほど、家族って訳か。だけど、娘を連れ戻しにきただけにしては、俺のトラックに随分と物騒なことしてくれたよな?」

サッチの顔は笑ってはいたが血管が浮いていた。命を守るため乗り捨てはしたが、彼にとってあのトラックは大切な宝物であった。その宝物に多くの傷をつけたことを彼は相当恨んでいたのだ。そんな茹でだこのようになった彼の顔を見て、貴婦人は噴き出しそうになるのを必死に堪えた。

「……ッ。私たちには時間がないのです。一刻も早くヴァネッサを連れて帰らなくては」

「……何かこの女にはあるのか」

「一刻も早く」という言葉がサッチは気になった。彼が尋ねると、貴婦人は何も聞かされてないのかと呆れ気味に言った。

「ヴァネッサは明日、名家の男と結婚をする役目があるの。我が一族の繁栄のためにね」

それを聞いた瞬間、サッチは政略結婚なんて現代にもあったのかと驚いたが、そんなことはすぐにどうでもよくなった。

「あ、明日…!?」

そう呟くと、サッチは女の方を急いで振り向いた。鋭い視線に気づいた女は彼から顔をそらし、拳を固く握った。

「本当なのか、それは」

「……ええ、本当の話よ。私は明日、好きでもない男と結婚しなくちゃいけない。家の都合でね」

女の肩は小さく揺れていた。サッチにはその様子が哀れに思えた。しかし、次の瞬間突然女は顔をあげると、真っ赤な顔で貴婦人を睨みつけた。

「でも、私そんなの嫌!だって相手の男ったらイケメンでもないのにナルシストだし、自分の力でのし上がってきた訳でもないのに変に威張ってるし!デブだしハゲだし出っ歯だし!」

女は結婚相手に対して、まるで子供のような暴言を吐いた。それを聞いたサッチは、昭和のノリでずっこけた。

「な、なんだぁ…?」

「と、に、か、く、私は家には戻らないわ!お母様とお父様の言いなりになるくらいなら、死んだほうがマシよ」

ゼエゼエと肩で呼吸しながら女は言った。サッチも貴婦人もその様には驚いて、しばらく4人の間には沈黙が続いた。

「げ、下品な口調だわ!そんな風に育てた覚えはないのに!」

最初に沈黙をやぶったのは、顔を思いきり引きつらせた貴婦人だった。女は荒い息のまま額に流れる汗を拭った。

「……反動っていうのかしら。私も少々熱くなりすぎちゃったみたい」

「で、でも!約束をした以上、あなたには力づくでも来てもらいます!力づくでもね」

そう言うと貴婦人は手を振りあげ、サッチと女の間を裂くように振りおろした。すると左右に停まっていた車から、2人ずつ拳銃を握った男たちが降りだし、それを2人に向けて構えた。

「私は絶対に容赦はしません。そうね…、ではあなたが戻ると言うまで、30秒ごとに手足を撃ち抜いていこうかしら。最後は頭を、ね」

貴婦人の口から飛びだしたのは、血も涙もない言葉だった。女はその言葉にショックを受け、怯む姿勢を見せたが、すぐ強気な調子を取り戻して貴婦人の前に歩みでた。

「望むところだわ!」

強気とはいっても女の表情は緊張のあまり硬くなっていた。それでも自分の筋を通そうとする姿勢に、サッチは少しばかり感動した。しかし、貴婦人の方はその様子を見て溜息をつき、首を横に振った。

「あなたじゃないわ。私が言ったのは、そこの綺麗な顔をした殿方よ」

貴婦人は呆れ気味だったが、女は雷にでもうたれたかのようだった。肩を震わせながらサッチの方を向く。

「俺かい…?」

唖然とするサッチに構わず、4人の男たちは一斉に彼に接近した。そして、彼に銃を向けて両手をあげさせると、1人目の男が彼の右手へ銃口を押し付けた。

「さ、サッチは関係ないはずよ!撃つなら私を撃ちなさいよ!」

「ハァ…、馬鹿ね。大事な花嫁に傷なんてつけられないでしょう?それにその人があなたを連れまわすせいで私たち、あなたを探すの大変だったんだから」

「だからってそんな──」

「私にだって情けはあるわ。あなたがすぐ此方にくればこの人には危害を加えないつもりです。だけど、あなたがもしそれに従わないなら……。それではカウントダウンを始めます」

突然の宣告に女は慌てふためいた。顔からは血の気がひき、頭を抱えて目を回した。しかし、女がそんなことをしている間にも、発砲までのカウントダウンは続いた。そして、貴婦人が20秒を数えたそのとき、サッチは真剣な眼差しで言った。

「なあ、おばちゃん。アンタ今、『私にも情けはある』って言ったよな?その情けで少しだけこの女と話す時間をくれねぇか?場所はあの岩の裏だ」

貴婦人はサッチの口からでた「おばちゃん」という呼び方にカチンときたものの、自信のある笑顔だけは絶やさなかった。

「……ええ、許しましょう。どうせ逃げようにも逃げられないでしょうから」

サッチのトラックは、当然だが3台の車に比べて亀のように遅かった。例え全速で走ってもすぐに追いつかれてしまう。彼は童話のウサギのような自信を持つ貴婦人たちの鼻を、亀で逃げ切ってへし折ってやりたかったが、その方法が現実的ではないことを知っていたのでそのような真似をするつもりはなかった。

「あまり時間は与えません。さあお行きなさい。ファーストキスは、せめてイケメンの殿方で済ませておくことね」

「な、何言ってるの!」

貴婦人は冗談のつもりだったが女の方は本気で受け止めてしまい、顔を真っ赤に染めあげた。

「そいつは良い提案だな」

女の様子を見て、サッチも追撃をかけるように顔をニヤつかせながら揶揄う。

「さ、サッチまで…」

かつてない羞恥心に追い詰められ、女は目に涙を浮かべた。その涙には気づかず、サッチは指定した岩陰に向かって足速に向かった。


サッチは6人の視界が巨大な岩によって遮られていることを確認すると、女の目をまっすぐ見つめた。女の方は戸惑いを隠せず、彼と中々視線を合わせられなかった。

「あ、あの、サッチ、私…」

身体をもじもじさせながら、上目づかいでサッチと目を合わせると、

「なあ、アンタ」

「うえ!?」

突然サッチの口が開かれたことに女は大いに驚き、身体をビクッとさせた。

「な、なに?」

「俺から奪った銃、返してくれねぇか?宝物なんだ」

サッチの表情には柔らかさがあった。女はため息をついて言った。

「なんだそういうこと。………え?」

「もう必要ないだろ、そいつは」

女の腰につけた拳銃をサッチは指した。すると女は、少し戸惑いを見せながらもそれを抜き出し、サッチに渡した。

「……はい。ごめんなさい、私、大切なものとは知らなくて」

「いいんだぜ、返してくれりゃあな」

サッチは腰のホルダーに銃を納めるとニヤリと笑った。それを見て女は思った。

(そうよ。私、サッチをこんなことに巻き込んでしまった。でもそれは間違ってるの。私のせいでサッチには辛い思いをして欲しくない)

自分が諦めなければサッチは死ぬ、そのことが女の頭をよぎった。であれば、女にとってやるべきことは1つなのだ。

女は涙を流しながら悔しそうに笑った。その笑顔はサッチに心配をかけさせないためのものだが、口も肩も脚も震えていた。

サッチはそれを見て優しく女を抱きしめた。彼の腕や胸は広く、女は温かく包み込まれるような安心感を覚え、全身の震えは多少だがおさまった。

「……ごめんなさい、私」

「俺がアンタをここに呼んだのは、サヨナラを言うためだぜ」

サッチは女の耳元でボソッと囁くと、両手を離し、女に背を向けて貴婦人たちのもとへ向かった。

「……サッチ」

女は彼の背中を見た。大きな歩幅で、どんどんと自分から遠ざかっていくのを感じる。

「ありがとう、最後まで私のそばにいてくれて」

目を閉じ、この数時間の出来事を思い出しながら女は呟いた。そして、サッチが4人の男の前に立ち、両手をあげたことを確認すると、女もゆっくりと歩き始めた。


1人の男がサッチの右手に銃口を押しつけ、貴婦人に向かって合図してみせる。

「あの娘が到着したら、カウントダウンを再開します」

「その必要はねえよ。今から始めても構わないぜ」

サッチは貴婦人に向かって自信ありげな態度を示した。貴婦人は自分の方に向かってくる娘の存在を確認すると、サッチの言葉に頷いた。

「どうやら、お別れは済んだみたいね」

「ああ、バッチリな」

貴婦人に対してウィンクをした後、サッチはニヤリと笑ってみせた。その様子を見て貴婦人がカウントダウンを再開する。21、22、23と、発砲までの時間が徐々に迫る。にも関わらず、女の歩く速度は一向にはやまらない。どうやら女にはそのカウントダウンが聞こえていないようだった。であれば、この男の右手を貫く銃声によって気づかせてみせる、貴婦人の口角は数字が上がるにつれて不気味に上がっていった。

銃口を突きつける男は、しっかりと刻まれる秒数に耳を傾けた。そして、貴婦人の口から30が告げられたとき、男は目を瞑りながらサッチの右手に引き金を引いた。

耳をつんざく鋭い爆発音が、周囲一辺に響き渡る。男はその音を聞くと、ゆっくりと目を開けていった。

「ガッ!?」

男は顔面に強い衝撃を受けた。続けざまに彼の上半身を鋭い打撃が襲う。

男が目を開ききった先にあったのは、先ほど撃ち抜いたはずの右手だった。その右手が、最後に彼の頭部の側面を殴ると、彼は自力で立っていられなくなった。自分の身体が膝から崩れ落ちていくのを感じていると、突然背後から首を絞められた。彼は血走り、ギョロギョロさせた目で首を絞める男を睨んだ。

「勘違いさせたな。俺が、いや、俺たちがサヨナラを済ませたのは、アンタだぜ」

サッチは貴婦人の唖然といった表情を横目で見ながら言った。3人の男たちはサッチの行動に驚きを隠せず、判断が遅れてしまった。その隙に彼はホルダーから銃を抜き取り、男たちに向けていった。それを見て、3人の男たちも彼に促されるようなかたちで銃を向ける。

「や、やめろ、撃つな!」

サッチに盾にされている男が、恐怖に顔を歪めた。その様子に男たちは発砲を躊躇してしまった。

「な、なにをしているの!早くその男を殺しなさい!」

貴婦人はヒステリックになって叫んだ。それを聞き、男たちが葛藤しだした頃には既に、サッチは彼らに向けて引き金を引いていた。サッチが撃ちだした弾は的確に相手の握る銃に命中し、その3丁は弾かれて宙に浮いた(ハジキだけに)。

サッチはそれを確認すると、盾にした男を怯んでいる1人に対して投げつけた。ドミノのように倒れた男の後頭部を、彼が力強く踏みつける。するとお互いの唇が激しくふれあい、2人は2つの衝撃によって気絶した。

「や、野郎!」

鬼の形相をした1人が、腰につけたナイフを抜き取りサッチに突撃する。サッチはそれに素早く反応すると、竿のように長い脚でそのナイフを蹴りあげた。宙に舞うナイフに男が気を取られている隙に、彼は相手の頭部に鋭いハイキックをお見舞いした。蹴りの音とは思えない甲高い音が、周囲の人間を震え上がらせる。

ハイキックを喰らい、白目で背後に倒れる男の足に、打ち上げられたナイフが突き刺さる。男は痛みに悶絶し、のたうち回った。

「な、なんなの、あの男は!」

数では優っているはずが、まるで歯が立たないサッチの実力に、貴婦人とその夫は戦慄した。

「う、うわあああ!」

顔面を真っ青にした男が悲鳴をあげながら、サッチに背を向けて逃走を始めた。サッチはそれを全速力で追いかけると、その勢いのまま足のつま先を男の背中に突き出した。それを受けた男の背は有り得ないほど反り返り、目は飛び出さんばかりに開かれた。かなりグロテスクである。

「ふぅ、チェックメイトだぜ」

サッチは戦闘不能になった4人を見渡しながら呟いた。


重い足をあげ、一歩一歩踏みしめながら貴婦人のもとへ向かっていると、突然銃声がしたので女は腰を抜かした。

「な、なに!?」

女が落ち着きを失った目で周囲を見渡すと、サッチらしき人物が4人の男相手に奮闘しているのが見えた。

「え、え、サッチ!?どういうこと!?」

困惑しながらも女は力強く踏ん張り、やっとのおもいで立ち上がると、ヨロヨロな足踏みで走りだした。

サッチの脚を使った華麗なアクションに女は心底驚いた。彼に対して鈍臭いイメージを持っていたから尚更である。

(もしかして、サッチ…)

女は彼に心が動かされるのを感じた。


サッチは貴婦人が自分たちを追えないよう、3台の車のタイヤに1発ずつ弾を撃ち込んでいった。銃をホルダーに納め、脚に付着した砂をパンパンと払うと、彼は貴婦人の方を見る。

「高くつくとしても、用心棒は実力のあるヤツを雇ったほうがいい。なんなら頼めば賞金稼ぎも請け負ってくれるぜ。犯罪以外なら俺もな」

「あ、あなた一体…」

貴婦人は口元を開閉しながら、吐き出される息に言葉を乗せた。

「サッチ!」

彼の背後で彼を呼ぶ声が聞こえた。女である。

「待ってたぜ。さあ、行こう。もう日が暮れる頃だ」

そう言うとサッチは女の隣に並び、乗り捨てたトラックの方へ歩き始めた。

「あ、待ちなさい!その娘は──」

貴婦人が2人を止めようとサッチの背中を追う。するとサッチは振り向いてホルダーから銃を抜き取り、クルッと回して貴婦人の眉間に突きつけた。

「なっ!?」

「もう諦めな」

短い言葉ではあったが、サッチの言葉には力があった。貴婦人はその言葉に立ち尽くすしかなかった。


固まった貴婦人を背後に、2人はボロボロのトラックに乗車した。

「あの、ありがとう、サッチ。私のためにこんなことしてくれて」

サッチがシートベルトを着用していると、女は照れ臭そうに言った。

「礼なんていいさ。……宿命を背負って生きる辛さを、俺は知っているからな」

呟くようにそう言うと、サッチは女がベルトを着用してないのにも関わらずトラックを発車させた。




立ち尽くす貴婦人の背中を、その夫が優しく叩いた。貴婦人は顔はそのまま、目だけを夫の方に移す。

「……行ってしまったな」

夫は走りだしたトラックの荷台を見つめていた。その表情はまさに黄昏といった感じだった。

「彼の言う通りだ。私たちももう諦めよう。あの男には私から謝っておくよ」

車がパンクして走れないことを確認すると、夫は迎えを手配するために無線を取り出した。

「逃がさない…!逃すものですか!」

突然、貴婦人は血相を変えて夫の持つ無線を奪い取った。そして、ある番号に合わせると荒い息で相手の反応を待った。

「こちらジャ──」

「目標はネイサ街の方に向かったわ!早く行きなさい!」

相手が無線に応じたのを確認すると、貴婦人はマイクに向かって要件を大声で叫んだ。

「……了解」

しばらく沈黙した後、その相手はバイクのエンジン音を大きく鳴らしながら指定の方向に走り出した。




女は常に後方を気にしていた。そんな女を見て、サッチは何度も大丈夫だと繰り返した。

「車をパンクさせたんだから追ってこれねぇよ」

「そう、よね。ごめんなさい、なんだか落ち着けなくて」

窓から乗り出した身体を戻しながら女は言った。そして、サッチの表情に落ち着きがあることを確認すると、沈んでいく太陽を見つめながら言った。

「私ね、孤児だったの」

声は静かで寂しげであった。サッチは視線を移すことなく女の話に耳を傾けた。

「今の両親はそんな私を引き取った。家の名のためにね。孤児院のなかでは顔も良くて勉強もできたから」

「自分で言うか、普通」

サッチがツッコミを入れると、女は彼の方に顔を向けた。

「本当のことでしょ?それで、私は小さな部屋で育てられた。食事の作法、ピアノ、お茶の淹れ方、言葉遣いに勉強。私はそれらを徹底的に訓練された。休む暇もなくね?」

「そいつは大変だったな」

「外に出ることは許されず、鍵をかけられてずっとその部屋に閉じ込められてた」

今までの辛い日々を思い出しながら女は言った。その視線は遥か向こうにある。

「そんなある日、私の世話をしている使用人が部屋の鍵をかけ忘れたの。私は今しかないと思ったわ」

「それが今日ってわけか」

「……そう。それは結婚を明日に控えた今日だったの。本当に運がいいわね、私」

「違いないな」

自分と出会えたことも幸運の1つだとサッチは思った。女も恥ずかしいから口にしないだけで、そう感じていた。

「暗い部屋にいた私は窓の向こうの猫ですら羨ましかった。自由に生きていくその姿が、なんだかたくましく見えたから」

「シピちゃん」

「え?」

サッチが突然意味不明なことを言い出したので女は困惑した。そんな女をサッチは嬉しそうに見つめながら続けた。

「今日からアンタは家出猫のシピちゃんだ。アンタはアンタの憧れる、自由でたくましい猫に生まれ変わったんだよ」

補足されても意味不明ではあったが、女は可笑しくなって笑った。

「シピ、か。なかなか悪くない名前ね」

「『小悪魔』って名前は、アンタにピッタリだと思ったからな」

サッチはニヤリと笑ってみせた。そんな彼の横顔から、シピはいつの間にか視線が離せなくなっていた。


後方からバイクのエンジン音がすると、シピは窓から身を乗り出してそれを確認した。腰にサブマシンガンがさげられているのが見えると、シピは慌てて身体を戻す。

「サッチ、追っ手が来たわよ!」

「チッ、何回同じ登場をすれば気がすむんだあいつら!」

サッチはテンプレじみた襲撃者の登場に飽きを感じながらも、再度力強くアクセルを踏み込んだ。が、これもテンプレ通り相手の速力には歯が立たず、結局追いつかれてしまう。

(ハァ、なんだか見るのも飽きてきたぜ)

と思いつつも、サッチは右側に視線を移した。すると黒いヘルメットをした男が彼の目に映り、次の瞬間、その男はバイクの前輪をあげ、人差し指を夕焼けに向かって突き上げた。

「……ナポ」

「……レオン?」

サッチは目を見開いて呟いた。2人は今までのテンプレとは全く違う襲撃者の登場に心底驚いた。

ナポレオンのような男は、体勢を維持したままじっとバイザー越しに2人を見つめる。2人もナポレオン男の強烈な登場に目を離すことができなかった。バイザー越しでも感じる彼の目力は不気味そのもので、なおかつ格好も格好だから、シピの目にもこの男がとてつもなく異様であることがわかった。

3人の空間に音と呼ばれるものは2台の車両のエンジン音のみだった。その静かな状況が続くこと15秒のことである。

「おゔぇ!?」

余所見していたために前方の存在に気づけず、ナポレオン男は巨大な岩と衝突した。彼の身体は空高く舞い、ゆっくりと落下する。衝撃な登場の割に呆気なく戦闘不能になった彼に、サッチは反応に困ったような目をして言った。

「……今度からぜってぇ余所見しねぇ」

サッチは心に深く刻んだ。


2人は落下してから動かないナポレオン男の安否を確認することにした。シピが恐る恐るといった感じで近づくと、彼の呻き声が聞こえたので、サッチはヘルメットを外して顔を拝見する。

「ッ!こいつは!」

サッチはその男の顔に見覚えがあった。その声に男は目を覚まし、ゆっくりと目を開き始める。

「お前、キルシーのジャッカルだよな?最近、刑務所を脱走したって聞いたぜ」

サッチは男が意識を取り戻したことを確認すると、静かに尋ねた。男は目を2、3度パチクリさせてから、現在の状況を把握し飛び起きた。

「貴様、賞金稼ぎか!?」

全身の激しい痛みに顔を歪ませながら、ジャッカルという男はサッチに尋ねた。すると彼はやれやれと言った感じで立ち上がり、ボソッと呟くように言った。

「黒髪だ」

「……!?」

「キルシーの黒髪サッチ。ムショにいても聞いたことはあるはずだぜ」

その言葉を聞いた途端、ジャッカルは震えあがり、ゆっくりと土下座のような姿勢をとった。

「ゆ、許してくれ!頼む!俺は金で雇われただけだ!」

「……許すって、お前は俺に何もしてないけどな」

サッチは苦笑いしながら、腰のポーチから手錠を取り出す。それを男の手にかけると身体を抱き起こして肩に背負い、トラックの荷台に向かっていった。

「……サッチって、凄い人なの?」

小走りでサッチに追いつくと、シピは彼に背負われたジャッカルに尋ねた。するとジャッカルは彼女に無気力な表情を見せて言った。

「キルシーで検挙率No1の賞金稼ぎさ、黒髪サッチってのは。犯罪者の間では出会ったら最後とまで言われてる」

「どうやらエンテシアじゃ知られてないようだ。悲しいよな?」

サッチはジャッカルに同情を求めた。すると彼は反応に困り、機嫌を損ねないよう愛想笑いをして誤魔化した。

トラックの荷台に到着すると、サッチはジャッカルの身体をその中に放り込んだ。

「多分もう追っ手は来ないはずだ。そうだよなジャッカル?」

「あ、ああ。俺で最後のはずだ」

ジャッカルの声が聞こえると、サッチはシピにウィンクをして座席に戻るよう促した。

「まずはコイツを引き渡して、そこから飯を食いに行き、最後は宿見つけねぇとな」

運転席に座ったサッチがシピに今夜の予定を確認する。

「ねぇ、サッチ」

「ん?」

「私今、本当に自由なの?」

シピはこの状況が信じられないといった感じだった。そんな彼女にサッチは優しく微笑むと、エンジンをかけて前方を向き直した。

「アンタは自由だ。なんならここで降りてもいい」

「酷いこと言わないでよ。夜中に女の子を放ったらかしにするつもり?」

シピは責めるようにサッチを睨んだ。が、すぐに笑顔へ戻ると、急いでシートベルトを着用した。

「連れて行って、サッチ。あなたの行く道へ」

「ああ。連れて行くさ、どこへでも」

夕焼けに染まる荒野の大地は、優しく2人を包み込んでくれた。サッチはこれから始まる新しい冒険に胸を膨らませながら、トラックを加速させた。




「ヴァネッサの部屋の鍵を開けたのは私だ」

夫の突然のカミングアウトに、貴婦人は目を皿にして驚いた。

「あ、あなただったのね!?どうしてそんなことを!」

「……彼女には幸せになって欲しかった、それだけだ」

夫は星空を見上げた。その中に2つ並んで輝く星を見つけると、彼は幸せそうに笑った。

「その願いは、叶ったようだよ」

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黒髪サッチ @Badguy

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