そんなんじゃないよ

うたう

そんなんじゃないよ

「やっぱり山本さんは美人だったよ」

 小坂がカツ丼を食べ終えたタイミングで、僕はそう話しかけた。

 小坂はミニうどんに箸をのばしかけたところで止まって、首を傾げて怪訝そうな表情を浮かべた。

「山本? 誰?」

 学食は混み合っていて、喧騒に包まれていたから、小坂の声は大きくて、僕はそれをなんだか恥ずかしく思った。

「ほら、コンビニの山本さんだよ」

「ああ。あの人ね、お前の好きな」

「別にそういうんじゃないよ」

「どっちでもいいけど」

 小坂は興味なさそうに、ずるずるとうどんを啜った。


 山本さんは、僕の通っている高校の近所にあるコンビニでバイトをしている女性だ。たぶん大学生なんだと思う。月曜日と火曜日と木曜日の放課後にコンビニに寄ると、山本さんはだいたいレジにいる。いつも大きな黒縁のメガネをかけていて、化粧っ気がまったくない。黒髪のショートカットは、似合ってはいるんだけど、華やかな感じはまるでしない。

 でも山本さんの表情はいつも涼やかで、さわやかだ。そう見える理由を僕は知っている。山本さんは、大きなメガネでわかりにくいけれど、目鼻立ちがはっきりとしていて整っているためだ。

 初めて山本さんを見たとき、店を出るとすぐに僕は小坂に言ったんだ。

「さっきのレジの人、メガネ外したら絶対美人だよね!」

 まあ、小坂が賛同することはないだろうなとは思っていたけれど、案の定だった。

 ちなみに「山本」という名前は、左胸につけていたネームプレートを見て知った。だから、小坂には理解できないだろうなって、端からわかっていた。

「お前、ああいうのが好きなの?」

 そもそも小坂は顔立ちにあまりこだわりを持っていないようで、短いスカートを履いていて、胸を強調した服装で、それで美人風に見えるメイクをしていたら、だいたい誰でもいいような奴だ。それでいて惚れっぽいから、すぐに恋だとかどうだとかって話にしたがる。

「そんなんじゃないよ。審美眼の話をしてるんだ」

 綺麗だから好きだとか、そうじゃないから好きじゃないとか、そんな単純な話じゃない。いや、ひょっとしたらそういう感覚のほうが却って複雑なのかもしれない。僕はただ綺麗なものは、人であれ、物であれ、風景であれ、絵画であれ、なんでも、綺麗だと感じる心に余計なものは何も混ぜずにいたい人間なのだ。おそらく、そうした感覚のほうが、好きだとか嫌いだとかって感情を交えるよりも余程シンプルなものに違いない。

 山本さんと出会ってから半年近くの間、会計の度に、僕はどうにかしてメガネを外した山本さんの顔を見ることができないかな、なんてことを思いながら小銭を渡していた。腕を振り上げながら商品を受け取ったら、勢いで商品の入ったレジ袋が山本さんの顔の近くを横切って、それにビックリした山本さんが仰け反った拍子にメガネが落ちたりしないかなとか考えたりした。でも上手くいく気がまったくしなくて、実際に行動に移したことはない。もしも上手くいったとしても、僕は山本さんを驚かせてしまったことをきっと後悔するなって思っていた。

 会計のとき、僕は毎回、山本さんのメガネを凝視する。まつ毛かなにかが付いていたら、教えてあげたいなと思っているからだ。そしたら、きっと山本さんはメガネを外して、コンビニの制服の裾で拭くだろう。でも残念なことに、山本さんのメガネはいつだってピカピカだった。

「どうやったらメガネなしの顔を見られるかな?」

 そう小坂に訊いたことがある。まあ、期待なんかしていなかったし、ある意味、小坂の答えは期待通りだった。

「彼氏になったら見られるさ。キスするときは外すだろ」

 とか言って、小坂は僕のほうへ唇を突き出した。

 小坂は何もわかっていない。恋愛じゃない、審美眼の話なんだ。僕の眼は、隠された美しさを見抜いたのかどうか、それを確認したいだけなのに。


「昨日見たんだ。メガネなしの顔」

「へえ。どうだった?」

「だから綺麗だったって」

 小坂は、ずるずるとうどんを啜って、「あの人がねえ」とたいした反応をしなかった。

 メガネなしの山本さんは、コンビニではなく、本屋帰りに寄ったハンバーガーショップで見ることができた。斜め前のテーブル席に座っている女性が、偶然にも山本さんだったんだ。

 でも僕はその女性が山本さんであることに気づかなかった。大きな黒縁のメガネをかけていなかったし、ナチュラルではあったけど、メイクもしていて、黒髪は流れのあるセットだったし、こう言ってはなんだけど、普段の山本さんとはまったくの別人だった。だから綺麗な人がいるなぁというくらいにしか思ってなかったんだ。

「で、見惚れてたんだ?」

「いや。男連れだったし、ジロジロ見ちゃ悪いでしょ」

 山本さんの向かいには、彼氏と思しき男性が座っていて、楽しげに談笑していた。何を話しているのかなんて、あまり気にはしなかった。

 僕の興味はそれよりも美しい韻律の題名と淡い色調の表紙に惹かれて買った小説に注がれていた。ポテトをつまみながら、コーラを飲んで、小説を読みすすめることに夢中だったんだ。でも二十ページほど読んだところで、美しいのはタイトルだけだったんだなって気づいた。なんだか騙されたような気分で本を置いたときに、女性が左手で襟足をいじっているのが目に入ったんだ。その仕草は山本さんの癖のようなもので、コンビニのレジにいるときもよくやっていた。それを見た瞬間に、黒縁メガネをかけた山本さんと斜め前のテーブル席に座った女性の顔がぴったりと重なった。

 僕はびっくりして思わず「あっ」って声を出してしまったんだ。それで山本さんと目が合ったけれど、でも向こうは僕に気づいたふうではなかった。気まずそうな僕に、山本さんはにっこり微笑んだだけで、すぐに男性のほうへ向きなおってしまった。

 それはそうだ。店員と客としてのやり取り以外、まともに会話をしたことがないし、コンビニの客なんて、そもそもがたくさんいるわけなのだから、いちいち客の顔なんて覚えているわけがない。

 山本さんの向かいに座った男性の顔は、僕のところからは窺えなかった。山本さんと同じ大学に通う人なのかな。もっとも山本さんが本当に大学生なのかは知らないのだけど。

 男性の後ろ姿からはチャラそうな印象は受けなかった。スラリとしていて、きっとイケメンなんだろうなぁとか思ったんだ。

 今度、水族館に行こうとか、そんな会話と山本さんの笑い声が聞こえてきて、僕は帰ろうと思った。ちょうどポテトを食べ終えたところであったし、少し残っていたコーラは立ち上がってから一気に飲み干した。


「山本さん、あの人にちょっと似てたよ」

 清純派女優の名前をあげると小坂は身を乗り出して食いついた。

「月曜日って、山本さんはシフトに入ってる日なんだっけ?」

「いつもどおりならね」

「じゃあ、帰りに噂の美人の顔を拝みに行くか」

「あー、僕は今日はやめとくよ。もう美人だって確認できたし」

 僕の審美眼は確かだった。それがわかった以上、山本さんにこだわる理由なんてもうなかった。  

「なんだ? 山本さんに彼氏がいてショックだったか」

 ニヤニヤとしている小坂が少し腹立たしく思えた。

「そんなんじゃないよ」

 そんなんじゃないんだ。

 でも、念願のメガネをかけていない山本さんの顔を見ることができたのに、そして僕の思った通りに山本さんは美人であったというのに、なぜだろうか、昨日から僕にはずっとなにかに躓いてしまったような感覚がある。

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そんなんじゃないよ うたう @kamatakamatari

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