最終話 希望のソフィスト
「憎らしいくらいの快晴だわ~」
次の日、朝からエルピースとレイブンは帆船のデッキに立っていた。
アリスの言う通り実に晴朗で波も穏やかな船出である。エルピースは初めて乗る船にホークを頭に乗せながらあちこちと忙しく見て周っている。そんな姿をレイブンはただ静かに、一人日陰で壁にもたれながら見ていた。
「凄いねー! 青い空、青い海、白い雲だぁ!」
「そんなに喜んでもらえるとおばちゃん嬉しいわぁ」
「え!? アリスおばちゃんだったの!?」
「やあねこの子ったら言葉の綾よ」
そんな二人のやりとりを横目に、レイブンもまた静かに遥か遠い水平線を眺める。
『本当に行くの?』
不安そうにマントの中からシュウが呼びかける。それに返事をすることもなく、レイブンはもう一度エルピースに視線をやった。
真っ白な肌に、真っ白な髪。そして燃えるような赤い瞳。どうやら気にして髪を薄茶に染めていたらしいのだが、面倒になったとかで隠すのはやめたと今朝本人が言っていた。その容姿は快晴の太陽の下でもどこか幻想的で世界から浮いて見えた。
どこかにあんな人種が居ただろうか、少なくとも自分は見たことがない。
だがそれは自分も同じことだった。
黒い髪に黒い瞳、こんな禍々しい姿をしているのはこの国でたった一人しかいない。
闇に似た悪魔のようなこの容姿を、この大陸の人間は不吉だと疎んじ、蔑み、忌避し続けた。だから常にフードとマントで姿を隠して過ごしていた。
「エルピース! レイブン!」
と、港から自分たちを呼ぶ声がして船べりに近寄れば、シエルとシーザーが笑顔でこちらに手を振っていた。
結局、二人と他の子供たちはアリスの親戚であるシャルロッテが孤児院を作り身元を引き受けることでまとまった。シャルロッテはアリスから頼まれたこともあってかあらずか、とにかく自分も役に立つことが出来るとたいそう張り切って、発憤忘食の勢いで早速動き出していた。もちろんシエルとシーザーも協力して、これから良い孤児院を作っていく事だろう。
子爵はあのまま結局行方不明で、駐屯所の兵士達がアリスから引き継ぎ調査、捜索を続けている。
そして気が変わる前にとアリスが大急ぎで用意した船に乗り、自分達は出航を待っているという訳だ。
「アリス様ー! お気を付けて!」
シャルロッテも居たのか、黄色い声でブンブンと手を振っているのをアリスが適当に手を振ってあしらっている。
それをシーザーにからかわれ、シャルロッテが腹を立ててシーザーをぽかすか叩いている様子をシエルは少しだけ不機嫌そうに見つめている。
「……あっちはあっちで大変そうだね」
その様子をいつの間に隣に来ていたのか、ニコニコ笑顔で見つめながらエルピースが言った。
それから何とも嬉しそうに目を細め、くしゃりと笑う。
逆光のせいだろうか、はたまた彼女の光をよく弾く白い髪のせいか、レイブンはその姿がやけに朝日に煌めいて見えた。
レイブンは自分の掌を見つめる。
それから楽しそうにシエル達と話しているエルピースの横顔を見つめた。
もう絶望していないと、彼女は言った。
「見て見て、レイブン!」
急にエルピースに腕を掴まれる。
見れば興奮した様子で目を輝かせて、頭上を指差している。その指差した方を見上げると。
「あらぁ、珍しい。白虹じゃない」
見上げたそこには、太陽を囲むように虹が架かっていた。
「よーし、じゃあとりあえずおじいちゃんの伝言通り西を目指そう!」
「何を適当なこと言ってんの。ホーク、他のワルキューレの反応はある?」
レイブンがまだ白虹を眺めている横で、エルピースとアリスが賑やかに話し出す。
『西にひとつ、ずっとワルキューレの反応があるわよ』
そして変わらずエルピース寄りの返答をするホークにアリスはため息を吐きながら「仕方ないわねぇ」とぼやいた。
「私、ついでにおじいちゃんを探す!」
「ついでって……でもそうね、あんたに古代語を教えるだけの見識がある人物だもの、ワルキューレについても色々知ってるかもしれないわね。全くほとんど情報の無いもの探すなんて、つくづく厄介な任務押し付けられたもんだわ……」
船乗りが出港の声を上げ、遂に船が港を離れ始めた。
エルピースはもう一度船べりへ駆け寄ると、港で手を振るシエル達に自分も大きく手を振り返す。
「いってきまーーす!!」
「いってらっしゃーーい!」
「気をつけてなーー!!」
シエルとシーザーの声が響く。エルピースは二人に手を振り終えると、次に未だ白虹を見上げているレイブンにバレないように視線を向ける。
朝日の中、くっきりと世界を穿つようにそこに佇む真っ黒い男。
その存在はとても強く思われて、エルピースは目の中が何故だかチカチカと瞬いた気がした。
その視線に、レイブンが気付く。
「何だ?」
「ん~?」
誤魔化すエルピースにレイブンはあまり興味無さそうに視線を外す。それに対してエルピースは「ちょっとちょっと!」と鬱陶しさ爆発で詰め寄って来た。
レイブンの眉間に皺が寄る。
「ふふふ、あのねぇ」
エルピースはレイブンの耳に無理矢理自分の手をかざし「ありがとう」と囁いた。それにレイブンは一瞬目を瞠るが「何のことだ」とフードを目深に被り直した。
「本当はね、戻って来ないと思ってたんだ」
エルピースが少しはにかんだように笑った。
その笑顔をフード越しに見つめてから、レイブンは徐に歩き出す。
船室へと向かったであろう背中を見つめながら、エルピースはもう一度だけ「ありがとう」と呟いた。
そしてその視線を進む大海原へと投げる。
水平線のその先に、まだ見ぬ世界が待っている。
港を見ればまだシエルとシーザーが手を振ってくれている、するとシャルロッテがぞろぞろと子ども達を連れてやって来たのが見えた。
エルピースが巻き込んでしまった牢屋の子ども達だ。
きちんとした服を着せられて、皆それぞれに色んな表情をして、手を振ったりそっぽを向いたり、それでも皆で港に送りに来てくれたらしい。
胸が熱くなる。目に見えない何かがいっぱいいっぱい詰まって、そして苦しくなる。
だけどこの苦しさは、何て心地が良いのだろう。
エルピースは最後にもう一度大きく手を振った。感謝の気持ちを込めて、思い切り。
守れたんだ、助けられたんだ。みんなの力を借りて、今こうして笑っていられる。
瞳を閉じた。脳裏に浮かぶのは、ブリュンヒルデの優しい笑顔と、その真逆の恐ろしい冷たい瞳。
目を開いたエルピースは真っ直ぐに水平線を見つめた。笑顔ではない、覚悟を決めた眼差しで。
世界を、沢山のことを学ぼう。
見聞きして、触れ合って、飛び込んで。
だってまだ、自分は何も知らないから。
怖がって、諦めている場合じゃない。
そしていつかその先で、もう一度あの人の笑顔に会いたいから。
見上げた太陽には未だ白虹が架かっている。
それは凶兆か吉兆か。
誰にも分からない、まだ決まっていない真っ白な航路の先に、希望を描く。
《エルピース》
その名に希望を持つ少女の航海は、まだ始まったばかりである。
世間知らずの田舎娘が旅に出たら伝説の武器を探すことになりました! 壱百苑ライタ @tyobaika
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