カビ掃除には夕方までかかった。知り合いの業者に頼んだので安くすんだ。この手の依頼は、割増わりまし料金を請求されるのが普通だったが、俺自身が除去作業を手伝うという条件でだいぶ料金をまけてもらった。

 おかげで身体はクタクタになったが、その分の価値はあった。これで夫婦には割増前提の代金を請求して、俺自身のマージンが多く取れるってもんだ。この程度の楽しみがなけりゃ、移民アパートの管理なんて務まらない。まあ、踏み倒さずにきちんと払ってもらえればの話だがな。


 夕刻、アパートの前で住人の帰宅を見届けたあと、俺は部屋に戻った。今日はよく働いた。ひさびさに筋肉痛になりそうだった。こりゃあ、しっかり肉でも食べて力をつけるしかない。

 冷凍庫にあった肉入りスープを温め、袋麺を投入する。よし、これでインスタントラーメンがちょっぴり豪華な料理に変身したぞ。


「……あっ!」


 そういえば俺、昼飯がラーメンだったじゃないか。見事にかぶってしまった。こういうのは少しえるよな。

 べつに朝食はなにを食ってもいい。でもその代わり、夕食にはこだわらなきゃならないってのが、俺の流儀だったんだ。それなのに、なにやってんだか……。まったく、今日はとことんツイてない一日だぜ。

 気を取り直して、ラーメンを鍋からどんぶりに移し替える。テーブルに運んで、さあ食うぞ――となったときに予想外の事態が起きた。


「え? ちょっ……どわああああーーッ!!」


 天井からなにかがボタボタと降ってきた。それが次々とどんぶりに落下する。どんぶりがシュウシュウと音を立てて、煙を吹きあげ、真っ二つに割れた。

 上を見ると、天井に穴が空いていた。俺の部屋は101号室。つまり201号室に住んでいるヤツの仕業だ。たしか二週間前に入居したばかりの住人だったな。まさかもう問題を起こしやがったのか?

 俺は完全にキレていた。今日のストレスの蓄積ちくせきがここにきて限界を越えた。ニ階にかけあがり、マスターキーを使ってドアをこじ開ける。玄関に足を踏み入れるなり、俺はスイッチをふりかざしてさけんだ。


「おい、いい加減にしろよ! てめえ、なんで床に穴を開けた? 理由次第では、すぐに役人を呼ぶからな! 覚悟しておけよ、この野郎!」


 返事はない。部屋のなかは真っ暗だった。おそるおそる手を伸ばして玄関の明かりをつける。

 次の瞬間、俺は唖然あぜんとした。201号室はメチャクチャな状態だった。壁も床もボロボロで、そこらじゅうが穴だらけ。こりゃさっき掃除したカビよりもひどいじゃないか。なにがどうなってるんだ?

 部屋の奥でゴソゴソと音がした。なかにだれかいるようだ。アパートの住人だろうか? だんだんと怒りがしぼんでいくのを感じながら、俺は部屋の奥へと進んでいった。


「だれかいるのか? なあ、あんたなのか? えーと……」


 この部屋の住人の名前を思い出せない。だが種族名は覚えてる。忘れるものか。わりとメジャーで一般的だ。この地球に現れる以前から、コンピュータゲームに登場したこともある。

 かれはそういう種族なのだ。つまり、その種族の名前は……。


 ――ぬるり。


 イヤな感触のモノを踏んづけた。片足を持ち上げると、靴の裏にねっとりと糸を引く粘液ねんえきが付いていた。あいつめ。そこらじゅうをベトベトしやがって。


「頼むぜ、スライミィ。面倒は困るんだよ」


 スライミィ。エウロパの海の底からやってきた水生生物。見た目はぷよぷよとした水風船のような連中だが、近づいて触りたがるヤツはいない。なぜならニオイがとてつもなくひどかったからだ。ドブの十倍はくさいという評判で、そのためどの星に行ってもけむたがられていた。

 しかし、それでもかれらは労働者としては重宝ちょうほうされていた。水のなかにおいて、スライミィたちの右に出る者はいなかった。固い岩盤がんばんくだくのはお手のもの。水中で身体を大きくして、海底から大量の物資を運び出すこともできた。その特殊な能力のおかげで、スライミィは水のある惑星では引っ張りだこの存在となっていた。

 また最近では、新薬によって体臭問題を解決した種族も現れたので(スライミィは全部で五千種ほどの種族に分かれていた)、俺のアパートにもくさくないスライミィを一匹受け入れることになった。

 それが二週間前の出来事だったのだが――この始末はなんだ?


「スライミィ。どこにいるんだ?」


 住人の個人名を思い出せないので、種族名で呼んでみる。下手したら怒らせることになるかもしれない。正直あまり接触したことのない種族なので、取り扱い方法がよくわからなかった。


「スライミィ?」


 返事がない。だが、ゴソゴソという音は続いている。なんだかさっきより音が遠ざかっているような気がするが……。

 居間に着くと床の中央に大きな穴が空いていた。ここからなにかが降ってきたのか。どうやらゴソゴソという音は、その穴の中から聞こえてくるようだった。


 ……


 おいマジか! ふざけんじゃねえぞ! 床に空いた穴から音が聞こえてくるってことは、それって下の部屋――つまり『俺の部屋にだれかがいる』ってことじゃねえか!

 あわてて自分の部屋に戻る。案の定、スライミィはそこにいた。こいつめ、俺の金庫にかじりついてなにやらモグモグとやっている。


「おい、やめろ! そこから離れろ!」


 スライミィは俺を見るなり、ピュッと液体を吐きかけてきた。本能的にそれをかわす。なぞの液体は俺の横を通りすぎ、壁にかけてあったカレンダーを瞬時にボロボロにした。なんてこった。こいつらにこんな芸当げいとうができるなんて話は聞いてないぞ?

 どうやらスイッチを押すときが来たようだ。俺は部屋の外に避難すると、ポケットからスイッチを取り出した。頭の部分をカチッと押し込む。ものの数秒で俺のとなりに、移民局の地区担当者がテレポートしてきた。

 かれは退屈そうにあくびをしながら俺にこう告げた。


「わかっているだろうな。ろくでもない用事だったらただじゃおかんぞ」

「スライミィだよ!」俺はさけんだ。「あいつが俺の金庫を食いやぶろうとしてるんだ! なんだか変な液体を飛ばしてきて、床も壁もぜんぶ溶かしちまいやがった!」

「なんだって!?」


 すぐに増援がきた。どうやら非常事態だったらしい。俺の部屋に重装備の職員がぞろぞろと入っていき、三十分ぐらいしてまたぞろぞろと引き上げていった。捕獲は成功した。スライミィは透明な箱にぶちこまれて連行されていった。

 あとで知った話だが、あのスライミィは移住禁止生物リストの指定種だったらしい。吐き出すツバでなんでも溶かしてしまう種族だとか。見た目は一般的なスライミィと変わらないので、どうやら移民局の審査をすり抜けて入ってきてしまったようである。つまり、これは政府の不手際ふてぎわってことだな。

 すべてが終わったあとで、地区担当者の男が気まずそうな顔で話しかけてきた。


「あー……。今回の件についてだが、きみはこのことを、まだだれにも話していないだろうね?」

「さあ、どうだろうな。まだ話していないと思うが……。でも俺は口が軽い男だからなぁ~。このくちびるをしっかりといつけておかないと、ついだれかにしゃべっちまうかもしれないぜ?」

「よろしい」そう言って、男はふところから分厚い封筒を取り出した。「では、これで針と糸を買うといい」

「いやそれよりも」俺は封筒を押し返すと、逆にかれに向かってスイッチを差し出した。「このタバコに火を付けてほしいね。あんたライターを持ってないか?」

「それは……そうだな。考えておくとしよう」


 そう言ってかれは消えた。あの感じだとたぶんOKだと思っていいだろう。

 俺のスイッチのランプはいま二つともってるが、この事件のおかげで三つになるはずだ。ランクが上がれば権威けんいも上がる。このアパートの住民も、もっと俺の言うことを素直に聞くようになるし、移民局の連中だって、もう少し紳士的な態度で接してくるはずだ。つまり、いまよりも支配がやりやすくなるわけだ。

 正直、金も欲しかったが、長期的にはこっちのほうが得だと俺は判断した。たぶんこれで正解だ。ランクアップは金じゃ買えない。しかし修繕費のほうはかなり問題だな。カビに続いて、あのスライミィは辛い。この赤字分をどうやったら回収できるのだろうか?

 ……いや考えるのはよそう。さすがにもう疲れた。いまはただ酒が飲みたかった。食欲はほとんど失せていたが、酒のつまみ程度なら口に入るかもしれない。


 部屋に戻って冷蔵庫からビールを取り出す。缶はキンキンに冷えていた。今日は大変な一日だった。こういう日はお気に入りのツマミに限る。戸棚の奥にとっておきの干し肉が隠してある。今夜はそいつを食べるとしよう。

 席につくと、俺は早々にその肉にかぶりついた。ジャーキーを噛みちぎり、のどの奥にビールで流し込む。ああ、たまっていた疲れがとろけていくようだ。全身の毛穴がゆるんで開くような感覚が脳髄のうずいにまで広がっていく。


 地球に異星人がやってきて早二十年。この星は俺たちだけの物ではなくなってしまった。

 いまや人口の五分の一を異星人が占めている。人種の多様化により国際色が強まるのは結構なことかもしれないが、しかし平民の俺たちにとっては、メリットよりもデメリットのほうが大きかったと思う。

 文化的な違い、言語の壁。価値観の押し付けに、暴力をともなう衝突。

 日に日に移民どもの声が大きくなっていくのを感じる。もともとこの星に住んでいたのは俺たちのはずだ。それなのに、どうしてこっちが肩身のせまい思いをしなきゃならないのだろうか?

 だが、いくら不満を持っていても俺にはどうもできなかった。俺は政治家でも活動家でもない。ただのアパートの管理人だ。それも移民を相手に商売をしている、最低のくそったれ野郎だ。

 ゆえに、いまの状況を傍観ぼうかんしている以外に方法がなかった。内心では移民のクズどもを見下していても、あいつらがいないと生きていけない現実がある。それがもうどうにもたまらない。頭がおかしくなりそうだった。


 だから俺はこうして毎日酒を飲む。酒を飲みながら映画を見て自分をなぐさめる。

 テレビでは昔の映画が流れていた。俺の大好きな映画だった。歴史物の超大作。不朽ふきゅうの名作と名高い一品である。画面の向こうでは俺たちのご先祖様が、この星に巣食すくう野蛮人どもと戦っていた。

 野蛮人どもは相当に残忍ざんにんな連中だったようだ。俺たちのご先祖様をひっらえては首輪をつけ、密室に監禁した。ときどき気まぐれにいやらしく身体をで回したり、目の前で細い棒をふって過酷な労働をいた。あげく生まれてきた子供たちを取り上げて、どこかへと連れ去ってしまう。

 涙なくしては見れない作品だった。映画は後半戦をむかえた。われわれのご先祖様が不当な支配から立ち上がり、野蛮人どもと死力をくして戦った。冷酷非道れいこくひどうな敵軍をちぎっては投げ、ちぎっては投げ――勝負はあった。

 いまやヤツらのほうが家畜となった。われわれが勝利した。われわれが支配者だ。わが種族のほうが生物として優れているのだ。


 興奮冷めやらぬままにジャーキーをかじる。ビールを飲む。

 最高の映画に、最高の酒とツマミ。

 いい気分だった。


 そうだよ。やっぱりこれなんだよな。

 こういう映画のときは、この組み合わせでなくちゃいけない。


 マタタビ香るマタタビールと、人間の干し肉ジャーキーかなでるハーモーニー。

 これが最高なんだ。


 今日はずっとみじめな気分にひたっていたが、最後の最後で大切な心を取り戻すことができた。故郷に対する愛情、同胞に対するほこり。あいかわらず、政府のやることはクソッタレだったが、しかしわれわれが宇宙一優秀な種族であることに変わりないのだ。

 俺たちの種族は、人間のような下等生物とは違う。移民のゴミどもも比較にならない。俺たちはこの世でもっとも優秀で、賢く、勇気があり、気高い生き物なのだ。俺は自分が誇らしい。自分のルーツが誇らしい。


 ああ、地球に生まれてよかった。

 ネコ族に生まれて、本当によかった。

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移民アパートの憂うつ 弐刀堕楽 @twocamels

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