自造人間”天才君”
ツネダ団子
自造人間”天才君”
天才という言葉に憧れたことはないだろうか?
センスや才能に恵まれた一握りの人達。不思議なことにどんな世界にも天才は存在する。何故なのだろうか。
私が、進学する高校にも天才がいた。中学生の頃から姉に聞いていた先輩だった。高校生にも関わらず、高度な国家試験に合格して、次の試験の勉強も始めているようだった。
中学生の頃、何一つ取り柄が無かった私にとってその先輩に憧れないはずはなかった。
今、思い返せばなんとも卑屈な中学生だったと思う。学力は低く、運動は勿論ダメ。それなのにも関わらず、人の粗を見つけては見下していた。
私は、密かに心の中で思っていたのだ。高校生になったら俺は、変わるんだ。変わるんだと。思っていた。
高校に入学して、先輩と話す機会があった。まるで、伝説上の人物と話しているようで興奮したのを覚えている。天才というものは、やはり言動が少しおかしいもので、少し喋りづらい。これぐらいじゃないと天才と言われないのかと、そのおかしさでさえ羨ましくなった。
先輩の話を聞きながら、私が思ったことは、もっといけるんじゃね? ということだった。何も取り柄のない私が、生意気にもそんなことを思っていたのだ。本はよく読むほうではあったから、言葉を借りるならば「可能性は無限大」といった感じだ。
さて、とうとう変わるべき年。高校へと進学する年。私がやるべきことは分かりきっている。入学してすぐに試験の勉強を始め、クラスメイトの誰よりも一つの分野で特化すれば良いのだ。
頭では分かっていたのだ。しかし、私は中学生の頃となんら変わらない生活を送っていた。その時、思っていたことを素直に書くと、「二学期になれば頭が良くなっているのではないか。なっていなかったとしても、その時から、勉強を始めれば遅くない」そんな風に思っていた。
なんて馬鹿げたことを考え、そのまま、ずるずると勉強しないまま二学期になった。当然、変わるはずもなかった。まさに、頭を強く打たれた気分。変わるはずだと思っていた高校生活が中学生の頃と何一つ変わっていないのだから。思えば、ここで危機感を覚えることが出来たのは、私にとって成功だったと思う。
高度な試験への足掛かりとなる試験が2年生になるまでに3回もあった。実は、それに合格するだけでも、私が通っていた高校では、先生に褒められるほど凄いのだが、私が目指しているのが更に上に試験なのだから合格して当然だと思っていた。
一度目の試験、当日。今でも覚えている。手がガタガタと震え、覚えていた筈の単語が頭からポーンと飛んで行った。試験終了と同時に結果が分かる試験だったので、その瞬間は心臓が破裂しそうだった。結果は、合格まで6点足りず不合格。2度目の頭を強く打たれた気分であった。その時は、涙も出てこず、フラフラと家に帰った。
簡単に受かるだろうと思っていた試験に落ちて、自分がまったく天才ではないことに気が付いた。いや、気が付いたというよりは確信したという方が正しい。まったく合格にかすめてもいない、私の一度目の試験だ。
天才とは程遠い、凡庸なエピソード。ありふれすぎていて、書いてみても面白みがない。
だがちょっと待ってほしい。私は、合格する為の天才になる為の努力をしただろうか? これは小学生でも答えられる簡単な問題だ。答えはNO。
試験に落ちたその日の夜。私は、机につっぷしながら頭の中をぐるぐると回転させていた。何故、落ちたのだろうか。もちろん努力が足りなかったのは重々承知していた。天才に強い憧れも持っている。受けた試験は得意な分野だった。ならば、なぜ努力をしない、何が邪魔をしている。
私が、出した答えは、期待だった。
未来に対する、妄信的な期待が努力を邪魔する。
将来、こんな職業に就いている。大人になれば格好良くなる。高校生になれば、明日になれば。努力を息をするようにこなす為には、この価値観を払拭しなければならない。先に「可能性は無限大」と書いたが、この言葉は、未来の可能性が無限大なのではなく、努力をすれば無限大ということなのだ。現在、いかに努力をするかで変わってくるということなのだ。
思い返せば、俺は未来のことを語り、先輩は現在のことを語っていた。天才たちと会話が微妙に噛み合わないのは、この価値観の違いからではないのだろうか。
今まで、暗い泥の中でむやみやたらに手足を動かしていた。目の前が開けたような、天才への道が開けたような気がした。足取りは軽く、無駄ではない努力のように思うことが出来た。
そうは言っても高校生になるまで培った考え方や勉強の癖が簡単に抜けるわけがなく、結論から言うと、3度目でようやく私は合格した。
痛い目にあって、やっと自分の中で答えと言えるものに辿り着いたが、きっと天才達は幼少の頃からこのような思想を数多く自分の中から生み出し、それを実践できている人たちなのだろう。思想というものは自分の中に取り込み、長年かけて洗練することでより高い精度で実行に移せるのではないのだろうか。
三年生になり、高度な試験にも合格した。周りの人からは、天才と茶化されるように言われ、少し恥ずかしい。センスや才能がないのならば、未来に期待することは止めて、今を全力で生きるしかないのだ。どんな本にも書いているありふれた言葉ではあるが、その言葉の重みが今なら分かると思う。
今後は、さらに自らの思想を洗練していき、本物の天才に少しでも近づきたいと考えている。
凡才の私からしたら、天才になれる唯一の方法だった。なので、全ての凡才の人に、このエッセイのタイトルを送りたい。
自造人間”天才君”
自造人間”天才君” ツネダ団子 @benizuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
やしばフルカラー最新/矢芝フルカ
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 5話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます