土の中から光を目指して、あの花を目指して

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯え⋯⋯?」


 帰りのホームルームで突然聞かされた凶報。

 顔はひきつり、周りの音が聞こえなくなって、病気に気付かなかった自分を殴りたい衝動が私を襲う。


「優里が病気なんて知らなかったんだけど⋯⋯」

「ちょっと前まで普通に遊んでたのに⋯⋯?」

「事故ってことは医療ミスってこと?」


 クラスメイトのヒソヒソ喋る声がうるさい。いやだ、なんで優里が死ななきゃいけないの。意味がわからない。どうして、どうして優里なの。


 ホームルームが終わっても流れる涙が止まらず、教室から出られない。


 優里は引越しをすると私たちに嘘をつき、大きな病院に入院をして手術をうけていた。親友の私にも告げず⋯⋯いや、告げられなかったのかもしれない。


(美術部⋯⋯行かなきゃ⋯⋯でも、優里がいない美術部なんて⋯⋯行かなくてもいいよね⋯⋯)


 教室で一分二分、十分十五分と時間が過ぎていく。

 涙を拭いていたハンカチが絞れるくらいまで泣いただろうか。涙の流しすぎによる脱水症状で後追い自殺が成功したら、ネットニュースに載るのかという思考が頭をよぎる。


 まぁ、もう涙は出ないのだが――。


「⋯⋯ッ!? 咲良ッ! なにしてるの!」

「⋯⋯!? なにって⋯⋯」

「窓に身を乗り出してなにしてるのって聞いてるの!」


 美術部に来ていない私を探してくれたのか、顧問の「えりか先生」が私を見つけ、注意してくる。いつもは静かに見守ってくれる先生がここまで感情的に言ってくるのは初めてだ。


「どう考えても窓辺で涼んでるようにはみえない。身を乗り出しすぎよ。危ないから今すぐやめて」

「⋯⋯それ以上近づかないでください。落ちますよ?」


 私はえりか先生を見ずに、悲しいほど綺麗な夕日を眺めながら言う。

 ここは校舎の二階。落ちたら死ねるだろうか。どうせ落ちるなら三階の美術室がよかったけど。


「わ、わかった。近づかない。けどね、そんなことしたって優里は喜ばないよ」

「っ、喜ぶか喜ばないかじゃないんです! これは私の自己満足なんです!」


 こんなこと優里が望んでいないことなんてわかってる。重々承知してる。でも――!


「自己満足で命を投げ出さないで! それにここから落ちたって死なないし、ただ怪我をするだけ! 悲しいのはわかるけど、一旦落ちついて!」

「落ち着いてます!」

「落ち着いてない!」


 声を荒らげ言い合う私たち。大きい声で喋っていたからか、運動部の人がざわついているのが聞こえる、見える。


(後追い自殺はできそうにない、か。⋯⋯っなら、私はなにをすればいいの?)


「⋯⋯先生は。えりか先生はっ、優里が死んで悲しくないんですか」

「悲しいよ、悲しいに決まってる。⋯⋯でもね、死んだ人を追いかけても、なにも残らない。残された人は前を向いて進まなきゃいけないの」

「前を向いて進むなんて、今の私には到底できません⋯⋯っ」


 流れなくなったはずの涙が目に浮かび、振り向いた先に見えるはずの顔がうまく見えない。でも、えりか先生の紫色の髪色が、夕日に照らされて綺麗なのは見えて――。


「――すぐに前を向いて進まなくてもいいんだよ。ゆっくりでもいいんだよ。⋯⋯咲良はまだ若いんだから、ね?」

「っ、えりかせんせぇっ⋯⋯!」


 近づかないでって言ったのに先生は近づいてきて。私は飛び降りるどころか、窓から離れて先生に抱きついていた。


 先生は私が落ち着くまでずっとそばにいてくれて、家まで送ってくれた。


 家に帰ると、母が暗い顔で喋りかけてくる。


「今日優里ちゃんのお母さんが家に来てね⋯⋯。優里ちゃんのお母さんが、咲良に贈り物があるって言ったから部屋に置いといたよ」

「っ!」


 母の言葉を聞いてすぐ、二階にある自分の部屋にかけ上がった。部屋を開けると、机の上に美術部で使っていた優里のスケッチブックと手紙が置いてあった。


 迷わず手紙を開け、中身を取り出す。便箋六枚にも及ぶ長い手紙を、一字一句読み漏らさないように読み始める――。


“さーちゃんお誕生日おめでとう!”


 た、誕生日⋯⋯? 私の誕生日はちょっと前だけど⋯⋯あぁ、そうか⋯⋯。


“今これを書いているのはさーちゃんの誕生日、九月一日に書いてます。この文章を見てるってことは、私は死んじゃったってことかな。随分先に死んじゃって本当にごめんね。さーちゃん、離れ離れになっても元気でいてね。絵を描くことを辞めないでね。もう『夢を諦める』なんて言わないでね。『私のぶん』まで夢を叶えてね”


 そうだ、優里と最後に会った日。私⋯⋯私、優里の状況なんてしらなくて、優里にとって凄く酷なことをいっちゃった。夢を追いかけたいのに追いかけれない優里に、夢を追える立場の私が『夢を諦める』なんて言って、もうすぐ死んじゃう優里に『私のぶん』まで夢を叶えて、なんて。


“私はずーっと前からさーちゃんのファン一号だから、これからもお空から応援してるよ!”


 や、やだよ。空から応援なんてしないで、私の隣でしてよ。⋯⋯いつもみたいに「さーちゃんの絵は凄いなぁ!」って、お世辞みたいにべた褒めしてよ⋯⋯っ。


“あ、あと、さーちゃんを連れ出した日の最後。その、さーちゃんがキスしてくれたでしょ? あんなこと言った後にキスされたら勘違いしちゃうよー! ⋯⋯⋯⋯なーんて。私、気付いてたんだ”


「え⋯⋯?」


“いつもクールっぽく振舞ってるさーちゃんが、私の前だと表情豊かになったり、私が他の人と仲良くしてると拗ねたり。他にもいっぱい「あれ?」って思うことが点々とあって⋯⋯それが繋がって線になってくの。そして線になると、「もしかして私のこと好きなんじゃないか」って。「もしかして」じゃなくて「絶対そうだ」って思ったのは、さーちゃんが私にキスしたときだったけどね”


 優里が私の気持ちに気付いてた⋯⋯? なんで拒絶したりせず、気付いてないふりしたの⋯⋯?

「同性を好きになるなんて気持ち悪い」って、突き放されるのが怖かったから伝えるのをずっと我慢してたのに、気付いてたなんて⋯⋯。

 結局遠回しに伝えるようなことしたけど、優里の反応は至って普通だったのは――。


“私はさーちゃんの気持ちに気付いてたけど、変に態度変えるのもダメかなって思って。ちょっと気持ちを確かめるようなことをしたけど、さーちゃんは気付かないし。それに、好いてもらうのは嫌じゃなかったし! ⋯⋯もし、さーちゃんがちゃんと告白してくれてたら。――私はOKしてたと思う”


 そんなこと言われたって、過去には戻れないじゃない⋯⋯っ。受け入れてくれなくてもいいから、報われなくてもいいからっ! なんで教えてくれなかったのっ⋯⋯これじゃあ素直に喜べないよ⋯⋯。


“さーちゃんに病気のこととか手術のこととか。私のこと好きなんじゃないかって思ってから余計伝えたくないって思った。でも、やっぱり死ぬのは怖いから、毎日『朝が来なければいいのに』って思ってた。特にあの日は夜が明けないでほしい、ずっとこのままがいいって思ってたよ。さーちゃんは帰りたかったみたいだけど⋯⋯”


 ううん。帰りたくなかったよ。ずっと一緒にいたかった。でも優里は絵の賞をとって、イラストレーターになる夢に近づいて。もしかしたらすぐにでも夢が叶うかもしれなかった。なのに、警察沙汰になったら夢が遠ざかる気がして、それだけは避けたかったから⋯⋯。


“私、病気が悪化してから親にGPSアプリ入れられててさー。「自暴自棄になってどこかで死なないように」、「どこで倒れてもわかるように」って理由なんだけどね。最後に会った日もGPSで特定されてたんだと思う。スマホ壊しとけばもっと一緒にいられたかな?”


 優里のお母さんがあのタイミングで私たちを見つけたのは偶然じゃなかったんだ⋯⋯。


“今この手紙を書いててね、もっと遊びに行きたかったなぁとか、プリクラ撮りたかったなぁとか、一緒に学校に通いたかったなぁとか考えてるよ。来年の修学旅行、一緒に行きたかったね。⋯⋯死にたくないなぁ”


 私だってもっと遊びに行きたかった、死んでほしくなかった! 生きていてほしかった⋯⋯でも、優里が一番そう思ってるよね。


“さて、そろそろ締めの言葉になります! さーちゃん、こんな私だけど、好きになってくれてありがとう。私をドキドキさせてくれてありがとう。私はさーちゃんが描く絵が、「佐々木ささき 咲良さくら」が、だーいすきだよ!! 生涯ずーっと好きだったから、さーちゃんは自信もってね! お空からさーちゃんの幸せを祈ってる! こっちに早く来ちゃダメだよ? ゆっくりでいいから、いっぱい話聞かせてね? しばらく離れちゃうけど、元気でね。ばいばい!”


「優里ぃ⋯⋯っ、うぉぇっ、ぅあぁ」


 最後の文を読み終え、嗚咽がこみ上げる。胸が潰れるような悲しみが頭の中を支配し、身も世もなく泣き崩れた。


 手紙に残された涙の跡。滲む文字。一発書きしたのがわかる修正テープ。大きくて角が少し丸い文字。


 あの日は熱帯夜だったのに、今は涼しくて過ごしやすくて、雨が多い。季節が変わってしまう。あの暑さが恋しい。――優里が恋しい。


 この手紙は、優里が生きていたことを表していて、私に伝えたかったことが伝わってくる。


 泣き崩れて涙が枯れて。いつの間にか寝ていたらしい。


「私、泣いてばっかだ⋯⋯」


 すっかり夜になった外を眺め、私は呟く。


「私のぶんまで生きて、夢を諦めずに叶えて⋯⋯ってことだよね」


 先生はゆっくりでもいいと言ってくれたけれど、私には目標ができてしまった。


 ――優里が叶えられなかった夢を叶える。


 一度諦めた夢をまた追いかけるなんてカッコ悪いかもしれないけれど、それでも叶えたい。叶えなくちゃいけない。


 あぁ、そうだ。思い出した。

 私は優里と『一緒』に夢を叶えたかったんだよ。


 私一人じゃ意味がないんだ。

 思い出したからには実行しよう。必ず優里も一緒だ。


 もう夢を諦めるなんて言わない。

 私は優里のぶんまで夢を叶えてみせるから――。



















 ――春。私の名前の季節がやってきた。


「この絵はここでよかったですかね?」

「はい、そこで大丈夫です。あっ、池田さんが持ってるその絵は横じゃなくて縦でお願いします」

「わかりました!」


 淡い色で空気がふわふわしてて、柔らかい風が桜の花びらを運んでくれる。


 そんな春にふさわしい人物だった、私の初恋の人よ。


 戻ってきてなんて、そんなことは言えない歳になっちゃったけど、私は夢を叶えたよ。あなたのぶんまで、夢を叶えることができた――。


「ねぇ、見てる? 私の個展で優里の絵が飾ってあるの。⋯⋯夢みたいでしょ」


 大人の事情でメインで大きく飾ることはできなかったけど、それでも一緒に飾られてる。


 あなたが最後に描いた。私に向けて描いてくれた、熱帯夜だった日の絵。

 私が切符を握りしめて電車を待つ姿を、優里目線で描かれている。そして、この絵は写真を見て描いた絵ではない。


 持っている優里のスケッチブックをめくると、デッサンや落書きまで、様々なものが描かれている。どれも優里らしい視点で描かれた、唯一無二の絵。


 このスケッチブックの一番後ろに、今飾られている絵が描かれていた。


 スケッチブックを何度も見ては、優里の描きかたを研究し、自分なりに噛み砕いて吸収していく。

 これを受け取った当時の私は、才能の差を感じて「死ぬなら私が死ねばよかった」なんて思ってたものだけど、私にも才能が少しだけあったらしい。


 あのとき自殺を止めてくれた「えりか先生」の言葉には助けられた。


「この絵だけ作品名が描いてあったのはホント驚いたよ。まるで飾る前提で描いた絵みたい」


 こうやって今の私の絵と並べて展示してあっても、全く劣らない。色褪せない。


 当時高校二年生のあなたが描いてこのクオリティなんだから、今生きてたらどれだけ成長してたんだろう。⋯⋯きっと世界レベルで有名になってるだろうね。ふふっ、流石に言い過ぎ?


「最後のこの絵はどうします?」

「あー、それはね――」


 この絵だけは自分で飾ろう。

 優里の死を受け入れたくなくて、心がどん底で光が消えちゃって。そこから前に進まなきゃって、生まれ変わろうってときに描いた絵だから。


 ⋯⋯うん。これがいい。


「これにて準備終了になります。展示期間中もよろしくお願いします!」


 優里と結ばれる密かな夢は叶わなかったけど、イラストレーターになる夢を叶えて、こうやって個展に優里の絵を展示することで優里も夢を叶えられた。


 夢が叶ってしまったから、次は何を目標にしようか。


「そうだな、世界レベルで有名なイラストレーター⋯⋯とか?」





『今、若い世代から人気を博しているイラストレーター。「熱帯夜」が開いた、「高嶺の花に近づきたい」という個展が泣けると話題! 個展なのに、一つの物語を見ている気分になるんだとか! 中でも話題になっている、二つの絵。熱帯夜が描いた絵ではないのに飾られた、「熱帯夜の街へ逃げ出して」。なぜか足元に飾られている「あの花を目指して」、についてインタビュー! ただ見るだけの展示にしたくなかったという熱帯夜。そこには深い理由が――』

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高嶺の花に近づきたい べいっち @rika_m_m

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