わたしのお話を、少しだけ。
昏天に宵待草
木刀が唸った。いっそ快いほど高く、打音。ややあって鈍く、漆喰を叩く音。
肺から逃げ出そうとする息を、食いしばった歯が押し留めた。からからと転がる短木刀を霞みかけた視界に探す。足先が床に落ちる。そのまま一回転、柄を拾い上げて、
――再び高く、打音。
放物線を描いた身体が蹴鞠のように弾んだあと、壁際まで滑って止まる。
「――本日は、ここまでとする」
血払い、納刀の所作を終えた声が、重く降った。
辛うじて構えていた短木刀を下げる。片膝を解いて、座礼のかたちを作る。
「ありがとうございました」
やや乱れた結髪に一瞥をくれて、
聞こえるのがおよそ蝉時雨だけになってから、ようやく娘は面を上げた。
抑えていた荒い息が収まるまで、しばらく。
立ち上がって、向かうのは井戸。水を
今日はお稽古のない日だから、午後は書見台相手の自習だ。先生の問いに即答できるようにしておかなければ。
九瀬家養女、九瀬
契約刀霊〈
……そして。
賽の河原の石積みのような日々が
***
どうやら何か、よくないことが起こった。その時点で理解できたのはそこまでだった。
厳しい顔で話し込む太刀片手の当主と、その叔父の
……それから、半月余り。
律を見せたくない来客のときなど、似たようなことは何度もあった。それでも今回は長いなと、そう思って。
きちんと毎食出される食事をいただいて、
——それが。
それがまさか、こんな。
「………っ、とう、さま」
幼くして当主となった少年が、耐えかねて嗚咽を漏らす。
その頭にずしりと、老いて岩のように節くれだった左手が乗った。
霊境崩壊。全滅地区、七。
死者、行方不明者、散った花守は数知れず。
九瀬厳斎もまた、帰らなかった。
……そんなものを、下敷きにして。
「——ひいては、律」
わたしは、この生に、意味を得ようとしている。
「九瀬の花守として、その責を全うせよ」
磐は、渋面を繕おうともせず、そう命じた。
『……虫のいいことねェ』
ふわりと姿を顕した白無垢の異形が嘆息する。
『十年は遅いワ、その言葉』
磐が返した無言の眼光が、〈於宇姫〉の紫がかった鏡面に映る。
「——謹んで」
その応酬を遮って、律が手をついた。
「拝命、いたします」
深く深く結髪が下がる。
切り揃えられた黒髪がさらりと、畳にこぼれた。
***
いつだったか、邸の屋根に登ろうとしたことがある。
どうしてかは覚えていない。果たして登れたのかどうかも。
だから、邸周辺の街並みがどんなものなのか、地図でしか知らなくて。
目の前に並ぶ家々がかつてどんな姿だったのか、この荒れようが大霊災の前からなのか後のものなか、わからない。
通りの寂しさが本当に寂しいのかどうかも。
失われたものは甚大であるはずなのに、その実態が薄い。苛酷であったという撤退戦の最中、律は何も知らずにただ座して、狭い空を見上げていただけだった。
怯えることすら、しなかったのだ。
「——……」
残心、血払い、納刀。
こんなものでは到底、足りない。
もっと、もっと霊魔を祓って、祓って、瘴気を退けて。
この手の届く限りにひとを、誰かを救って救って救わなければ。でなければ、あまりにも。
「……ああ」
けれど、この両手で足りるとは、この命ひとつで贖いきれるとは、思えなくて。
見上げた空は昏く、遠かった。
***
律がようやくひとりぶんの命を救って、最初のたからものを得たのは、これより十日後。
そして。
彼女がその姓を『
<禱れや謡え、花守よ>九瀬律 くー @q00_9oo
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