プロローグⅡ - Sometimes -
――平成30年 03月 30日 金曜日 朝8時45分――
上野駅の交番に三人で移動する。
交番の職員達は突然の女性警官の来訪に戸惑っていた。
彼は少女とは別室に通され、交番の職員と向かい合って簡易の応接椅子に座らされる。
「さて、一応規則なので、まず免許証と、会社の名刺かなにか、あと、話が終わるまで財布、携帯電話はこちらで預からせて頂きますので、提出願います。鞄の中の所持品も一応検めさせてもらいます」
制服姿の交番の職員に極力事務的な声音でそう告げられると、
彼はもう抵抗などは微塵も思うこと無く、ただ終わったと思うだけだった。
「はい。えと、免許証……、会社の名刺、スマホ」
諦めはついているとは言え、初めてで最後になるだろう経験だったので、
スマホを置くときに指が震えてしまった。
交番の職員はそんな彼の様子をめざとく察して。
「やぁ、朝から悪いね。まぁ、中には思いっきり抵抗して、応援呼ばなきゃならない人も居るから、
君みたいな人は助かるよ。えと――、
おい、田中、警視さんに伝えてやれ」
話しかけられた田中という職員は、正道の隣に立って、
「日向さん、申し訳ないですけどお名刺、もう一枚貰えます?」
「ええ、構いませんけど、警視って?」
「ああ、アナタを取り押さえた人っす。彼女警視庁の少年事件課所属の警視なんですよ。
なんでもあの女の子を追っかけてたみたいで」
指紋採取セットと思われる物を目の前で広げていた彼の上司と思われる職員はその田中の発言を聞いて、
やれやれという表情をした後、
「おい、田中、余計な情報は伝えないでいい。彼は被疑者だぞ」
「アッ!」
声に出してハッ! とした表情をする田中。そのやりとりをみて、
「なんかすみません。いろいろご迷惑かけます」
目線を下げて正道は謝った。
一方隣の、交番入り口に近い部屋でこちらは応接セットがちゃんと設けられたところで、女性警官に促され、少女は席に着いた。
「ふぅ、朝の忙しい時間に、えーと、8時47分、まったくやってくれたわね」
問い詰めると言うより諦めたかのような口調に、小馬鹿にされたようにも感じるが、
彼女もまた、どちらかと言えば諦めをつけたような思いで、
学生服のスカートの上に握りこぶしを置いて女性警官を見やる。
「あの……私」
「忙しい時間でも無ければお茶でも出すんだけど、その制服、T女子校の生徒さんでしょ、まぁ、結論から言うと〝冤罪ゲーム〟は今日で終わりね。はい、諦めて生徒手帳出しなさい」
〝冤罪ゲーム〟と言う言葉が発せられた時、
ああ、この人にはもう全部バレているんだと思った。
おずおずと、恐怖を感じつつ生徒手帳を出して手渡す。
「ふむ、なんて読むのかしら? 名前」
「えと……、
女性警官は顎を指でなでてから、真っ直ぐ桜子の目を見つめて問う、
「〝冤罪ゲーム〟は今年に入ってからこれで五件目なの、まぁ実は先生から相談があったり、
今までの加害者達から警察への相談があったんだけどね、
扇谷さん、私はもし貴女がたがイジメなどのターゲットにされていて、
それから逃れるためにこんなことをやってるとしたら困るから目を付けていたのよ」
一気に問題の本質にまで切りこまれ、桜子は目を白黒している。
「そ、それは……」
彼女が返答に困っているところに奥の部屋から交番の職員が手に紙切れをもって来た。
「あ、青木警視、お話の途中すみません。奥の、一応加害者の男性の名刺です。一通りの聴取には素直に応じています」
「そう、よかったわ。抵抗されたら困ったことになるところだった」
青木はそういって名刺を受け取ると、
「日向正道。まさみち、ねぇ、まぁ犯罪を犯すタイプの人間の名前じゃないわね。
さて、扇谷さん、解ってると思うけれどもすべてお見通しよ。
どうするかは自分で考えることね」
言われてぶるりと身震いしてから、
「あの、このこと親には……」
「まぁ当然知らされるわね。
それでどうなの?〝冤罪ゲーム〟の発案者は誰なの?
貴女がたは虐められているわけなの?」
「う、それは――」
桜子はぽつぽつと、自分の言葉で、
このゲームの発案者は学年でリーダー的な女子の
自分は虐められているわけでは無いこと、
援助交際などよりよほど低リスクで高額が手に入れられるからとそそのかされた末に、
自分の意思でやったんだと言うことを告白した。
「あなたね、まぁ、さすがお嬢様学校だけあって自分がしでかしたことの重大性は、
話してて解ってきてるようだけどね。相手の男性にだって、生活も将来もあるのよ。
これまで4件の男性はいずれも立件はされず、目論見通り示談で済んでるけど、
男性は私生活ではいずれも依願退職したり、交際相手と別れたりしてるのよ」
十分に釘を刺しておくつもりで青木は語った。
警視庁案件になり追跡調査もそれなりに行われている。
リアルなその後を聞かされ、桜子は打ちのめされたようになり、
スカートを強く握り締めた。
「十分反省なさい。さて、反省ついでに、
貴女が加害者にしてしまった男性にも自分で謝りなさいね。出来るわよね?」
半分泣き出しそうになりながらも、青木はあくまで責めた口調では無く、自分のしでかしてしまったことを理解させようと必死なように思えた。
桜子はうなずく。
「はい、自分で謝ります」
それでよろしいと、青木は調書を取る手を休めてぽんと手を打った。
「日向さんこちらへ」
交番入り口の方の部屋に通され、事態は解らないが単に犯人扱いを受けさせられるわけでもないのだなと、意外にも冷静に分析しようとする自分がいることに驚きつつ。
しかし、免許証やスマホはまだ返却されていないから、油断はならないと判断もされているんだろうかと考える。
部屋に入ってきて痴漢と自分を訴えた少女と正道の目が合う。
少女は車内での人を見下したような眼ではなく、年相応の瞳をしているし、
どことなく先ほどとは違って怯えたような雰囲気だった。
警視だという青木が、事態を説明しだす前に、応接椅子に座っている少女の隣に立ち、
「さ、扇谷さん、ちゃんと立って、まず貴女の言葉で謝りなさい」
おずおずと、女生徒は立ち上がり、背筋を伸ばしすっと息を吸い込んでから、
ごめんなさい、と言葉と同時に深く頭を垂れた。
エンジニア崩れの営業をやっている正道は、
純粋に、今までここまで素直な礼儀正しい謝罪は受けたことは無かった。
「――え、これは、どういうことです?」
「ごめんなさい」
更に深々と頭を下げる彼女。
自分は痴漢の加害者で彼女は被害者なのだ。
状況が解らない正道。
「あの、私――」
頭を下げたまま、震える声で彼女が説明しようとしたので、
「あ、頭を上げてください」
と正道から言ってしまった。
そう言われてゆっくりと上体を起こした彼女は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「あの大丈夫ですか? 刑事さんたち、これは一体どういう――」
交番にいた三人の警官はそれぞれ目配せし、青木警視は半分やれやれと言う表情から、仕事的な表情に切り替わり、
「あのですね、日向さん。どうやら貴方はこの子達の悪質な悪戯に巻き込まれ――」
(――たみたいですね)
という後の言葉が直後に鳴り響いた、
スマホが発する聞き慣れない、やや緊張感に欠けるが大きな音に掻き消される。
スマホを取り上げられている正道を除き、それぞれのスマホが一斉に同じ音を発したようだ。
一番扱い慣れているだろう、目の前の少女がスマホを取り出して眼を落とす。
俺からは真っ先にスマホ取り上げたのに、この子からは取り上げなかったのかよ。
なんて全く思いもつかない愚痴が脳裏を過ぎる。
『緊急速報
政府からの発表
2018/03/30 08:59
「ミサイル発射。ミサイル発射。×××からミサイルが発射された模様です。頑丈な建物や地下に避難して下さい。これは訓練ではありません。(総務省消防庁)』
そう言えば以前にもJアラートの速報は来たことがあったが、関東で鳴ったことは無かったかな、と桜子は思う。
目の前のスマホの画面が見えない正道はその様子を目で追うだけだ。
桜子に倣って、青木もスマホを取り出し速報を眺め、側に控えていた二人の警官も同じようにそれぞれのスマホを取り出し画面を見ている。
「どうしたんですか?」
たまりかねて正道が訊ねると、
「なに、また×がミサイルを撃ったみたいよ、ここはガード下だし、半地下だし、一応は大丈夫でしょうね。あとたまたま、防災マニュアルの通りみんな集まってるし。落ち着いてね4人とも」
青木がまずスマホを取り上げられている正道、それから桜子、そして二人の警官に優しく言い聞かせる。
二人の警官は警視に言われたとあって気が引き締まるらしく、一様にキリリとした職業的な顔になっていた。
「話の腰が折れちゃったわね、それで、この扇谷桜子さんの高校では、こういうことをゲーム感覚でここのところ、三月に入ってから4件やっていたみたいなのよ」
青木が日向に説明する。
「こういうこと、というのは、要は痴漢をでっち上げて、立件はせず、示談に持ち込んでお金を巻き上げる行為ね。この子達は解ってるんだかどうなんだか、そのことを〝冤罪ゲーム〟なんて言ってて」
なるほど、自分はどうやら誤解されたままじゃないようだ。
しかし朝からなんてことに巻き込まれちまったんだと、少女を、桜子を怨む気持ちすら今は消沈している。
「はあ、それでは私は痴漢ではないと……」
青木が、桜子を見据える。彼女は蚊の飛ぶような声で、
「はい、私、痴漢、されてません」
と認めた。
「あの、ほんとに、ごめんなさいっ」
ほろりと、目尻から涙が零れたのが見えた。
今時の女子高生が泣き出す位だから相当だよな、などと他人事のような思考が半分、
だからといって、痴漢冤罪に巻き込まれた事を会社にどう説明すればなどという保身が半分。
渦巻いたところで、先ほどと同じスマホのアラートがまた部屋に鳴り響いた。
「ん??」
今度は五人とも違和感を感じた。
『緊急速報:続報
政府からの発表
2018/03/30 09:04
「ミサイル発射。ミサイル発射。×××からミサイルが発射された模様です。東京23区の住人はただちに、頑丈な建物や地下に避難して下さい。これは訓練ではありません。(総務省消防庁)』
今度は話を見守っていた二人の警官から先に画面を見た。
「――東京23区の住人はただちに?――」
さっきとは異なる一文が追加されている。
二人は顔を見合わせる。
――次の瞬間。
ギィィィンと言う、計り知れない爆発音ではない金属と金属がぶつかる炸裂音が、都心の遙か上空で鳴り響く。多弾頭の攻撃ミサイルが分裂する前に、首都上空防衛用の迎撃ミサイルがそれに命中し損ねたのだ。
目視することはガード下の交番にいては敵わないが、
五人とも、いや交番の前の道を行き来する人々も、付近の道路を走る車のドライバーでさえも、その音の発せられた上方を本能的に見据えた。
音に遅れること数瞬のあと、地鳴りのような激しい揺れが始まる。
見据えた天井の石膏ボードの間から白い煙が発せられ、パラパラと五人に降り注ぐ。眼を細めながら、
「……おいまさか」
正道がそう呟いたが、その声はそれに続く爆音に掻き消された。
実際人は
辺りがだんだんと色を失っていき、時間も無限に引き延ばされていく。
伏せる時間すら無いように思われるが、
正道はそんな感覚を味わうのはこれで二度目だった。
幼いあの時、守れなかった人を思い出すと急に辺りは色を取り戻し、
自分の心臓の音すら聞こえるようになった。
「伏せろっ!!」
三人の警官に怒鳴りつける。体を強ばらせていた三人はびくりと体を震わせ、生気を取り戻し少し動いたように見えた、視線の端にそれを捉えたが、
目の前の桜子は天井を見上げたまま微動だにしない。
爆音が近づいてくるのがわかる。
正道は桜子のスマホを握り締しめた手を取り、数瞬前まで自らを痴漢容疑にかけていた少女であるにもかかわらず、構うものかと細い腰に腕を回して、強引に抱きしめ、無理矢理に交番の事務机の下に二人して転がり込んだ。
抱き締めてきた正道の顔を一瞬見ることができた桜子はどこか自らの父のような感じを覚えた。
一瞬絡んだ二人の視線はこれから何が起こるかをまるで解って居なかった。
――そして、ものすごい地鳴りの後、振動が衝撃になり、世界の色が再び無くなり、次の瞬間、爆発的に様々な色と、臭いと、音が溢れたところで二人は意識を失った。
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