第633話 慣れ
目的地まで歩く――にしては、ちょっと遠いので港町の見える丘まで【転移】。
黒い幽霊達は当然ながら人扱いではないので、【転移】した先にもいる。いるんだけど、水の中の小さくて軽い何かを捕まえようとした時のように、ランタンの光にするんと押し出される。
「うわ〜。ここにもいっぱいいるじゃん」
今度は、クリスとレッツェのほうに肩を寄せるように身を引いているディーン。
「さすがにいすぎじゃないか? 町に入りきれねぇだろう?」
レッツェがちょっと顔を顰める。
嫌そうなのは、怖いとかいうより納得いく理由が浮かばないからかな?
「この黒い幽霊たちがお仲間を作った時に、最初にすることは『八重に引き裂くこと』だってよく聞かされたよ。子供を怖がらせるお決まりのセリフさ」
クリスが言う。
「ええ。この黒い幽霊たちに触れ捕まると、同じ黒い幽霊にされる。仲間にされて最初にされることは、囲まれて掴み取られ、引き裂かれること。引き裂かれた個々のモノが同じ姿をとって、別々の方向に彷徨い出すの」
ハウロンが淡々と話す。
「うっわ。大賢者様、見たことあるみてぇで怖ッ!」
「遍歴を鑑みるに、その目でご覧になった可能性は否定できませんな」
ディーンと執事。
「そういえば、なんでハウロンは昔、ここに来ることになったんだ?」
風見鶏の方向を変えにきたのは聞いたけど。
「昔、この島から離れられないはずの黒い幽霊が、島の見えない海の上に出たことがあったんだと。それを島の中に抑えておくために、ってのがよく聞く話だし、本人もそう言ってたぞ」
ディノッソが教えてくれる。
「当時、ナルアディードやシュルムの船は、だいぶ被害にあったようですね」
執事も言う。
シュルムとは単純に近いし、ナルアディードは北の民との交易かなんかで通るのかな? と、地図を思い浮かべる俺。
「私の住んでいた島には、『夕焼けの赤い時には船を出すな』という言い伝えがあってね。小さな船しか持つ者がいなかったけれど、被害はほとんどなかったと聞いたよ」
幼い頃を思い出しているのか、遠い目をするクリス。
アッシュは神妙な顔をして聞いているが、特に変わらず。ランタンのついた棒を一定の高さに掲げ、微動だにしない。
ランタンをずっと下げてるのも疲れるかと思って、細い金属の棒をつけてある。担いだり、杖のように地面に突き立てて使うこともできる。
できるんだけど、アッシュの持ち方では返って疲れないだろうか。なんか隊列の先頭で旗を持ってる人みたいになってる。
レッツェは俺の想定の使い方をしてくれていて、杖のように地面について、棒に体重をかけている。棒にツタちゃんが巻きついて、ちょっと周囲をさわさわと警戒中。
棒は、もちろんコンコンもできるよ!
「クリス、八つ裂きじゃなくて八重なのか?」
レッツェが聞く。
「うん、八重だね」
クリスが頷く。
「どこかでニュアンスが変わったのかしら? 地方に残る言葉って、そのまま残っていたり、途中で何かに大きく影響を受けたり、興味深いのよね」
ハウロンが頬を押さえながら言う。
「『王の枝』が完全に黒く染まった時、大小たくさんの光球が浮いてたって。たくさんの光球は、ひとりの人の影を八重につくりだし、その八重にできた黒い影はひとつずつ影の頭の方向に逃げ出したんだってよ」
『精霊図書館』で学習してきました!
「一体どこで……。いえ、聞かない。聞かないわ」
ハウロンがぎゅっと目をつぶって、こっちに手を突き出しながら言う。
「と、言っても俺も『滅びの国』についてはあまり知らないんだ」
『精霊図書館』で色々出てきたのは、滅びる前というかクリスドラムと呼ばれていた頃のこと。
『滅びの国』になってからのことは記述が少なくって。『滅びの国』の名前とかその外観とかはよく出るんだけど、詳しくはさっぱりだ。きっと、行った人はほとんど帰って来ることができなかったとかなのかな?
ハウロンとかディノッソの物語は、ちょっと恥ずかしいような気がして手をつけてないんだけど。読めば『風見鶏』のことがわかるんだろうか。
『風見鶏』をピンポイントでどうにかしに行った、ってことはハウロンが事前に『風見鶏』の何かを知っていた、ってことなんだから他の本に書いてあってもおかしくないと思うんだけど、見つからなかった。
「『風見鶏』が見える場所に出たら、そこでジーンの料理を食べながら、ハウロン殿に当時の話をお聞かせ願いたい」
アッシュが言う。
「完全に周囲の黒い幽霊はスルーしてくるわね……」
アッシュを半眼で見るハウロン。
「む、怖がったほうがよかったかね?」
「いえ、そんなことはないけれど。パニックになられても困るし」
聞き返すアッシュに、困惑気味のハウロン。
俺も初めてきた時はけっこう悲鳴に近い声上げて逃げたんだけど。
ディーンは少しびくっとして見えるというか、いつもリアクション大きめだし、普通だ。みんな落ち着き払って見える。
「危機感は忘れねぇようにしてるが、慣れたなあ……」
レッツェが呟く。
幽霊も慣れなのか。
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