第576話 基準は動かないもの
「あ"ー……」
思わず遠い目をする俺。
「キャプテン・ゴート!」
小舟を漕いでくれた船員さんが縋るような目で猫船長を見る。
「落ち着けっても無理か。多分悪いもんじゃねぇから、慌てて海に飛び込んだりすんなよ?」
そう答える猫船長の視線が俺固定なんだけど。
帆船が停泊してるほうの崖の壁が、どんどんえぐれていっている。明らかに俺が線をつけたところを目印に。
さらさらからからと音を立てて、対岸の風景が変わってゆく。猫船長の船の上から叫び声が聞こえるが、そっちの声が耳につくくらい、この規模の変化としては静かに進んでいく港の工事。
えぐれた分の白い石は、竜の指先に積み上がってゆく。塔というか、灯台を作る気満々ですね。俺も作ろうと思ってたからね、わかります。
そこは夜陰に、夜陰に紛れて! いやでもここ、目眩しが効いてたんだった。じゃあ今でも変わらないな?
「よし、諦めよう!」
「諦めるな」
潔く宣言したら、レッツェに突っ込まれた。
「目の前のを止めろとは言わねぇが、次回こんなことがないように学習しろ」
むにんとのばされるほっぺた。
「ちょっとここの精霊、今はサービス精神が旺盛みたいなんで」
忖度、忖度度合いが高いんです。
「塔の屋根より規模がでかいな」
キールが驚いた風もなく言う。
俺の塔の露天風呂の屋根のことか? やめてください、バラさないでください。
「……そうね、急に美術品や高価なものが現れるよりは……。塔から水が吹き出すのだもの、こんなこともあるわよね」
目が空なソレイユ。
なんだかんだ言って、ソレイユの好きな系統の『商品』以外は耐えるよね。隣のハウロンは膝をついてるけど。
「海も動けば陸も動くのか……」
ため息のように声を漏らす猫船長。
ちょうど船の乗り降りによさそうな高さがえぐれ、回廊みたいなものができてゆく。少しだけ高さが三段階に変わってるのも希望通りだな、うん。
回廊のその辺には上への階段と、あっちの崖とこっちの崖、二本の指の付け根に降りる階段。
うん、うん、そこ砂浜ね。この辺では珍しいけどビーチも欲しいよね。そうそう、そこは徴税官と上陸許可だす人がいる部屋が欲しいよね。
あ"〜……。
「こういうのも歴史の書き換えと言うのでしょうかな?」
精霊による忖度工事を眺めて呟く執事。
「ハウロン、がんばらないと記録が間に合わねぇぞ。ほれ、こっちまで影響が及び始めた」
ディノッソ。
「ちょ、ちょっ!」
ディノッソの言葉にびっくりしたような顔をしてあわあわし始めるハウロン。
「終わってない、終わってないわよ!」
ハウロン起動。
「大丈夫、大賢者の記憶力ならなんとかなる」
おじいちゃん、脳はまだ若い。一回見ればきっと大丈夫。
「まだ見てないところもあるでしょ!」
バタバタと走ってゆく。
おじいちゃん、肉体も若い。さすがムキムキ、見たことないけど。
「あんたら平気そうだな……」
お髭が下がった、げんなりしたような雰囲気の猫船長。
「範囲外でございますので」
範囲外は考えることをやめて、線引きしているらしい執事。
「ここまでくるともうどうでもよくなってくる。命にかかわるわけじゃなし」
慌てた様子もなく、むしろ楽しそうに周囲を眺めるディノッソ。
なるほど、一線越えると切り替わる。2人とも、さすが伝説の冒険者、落ち着いている。
「俺も見習って落ち着こう」
うっかり工事の先を考えてしまうと、精霊たちが止まらない。
落ち着いて何も考えないようにしよう。考えちゃった分はもうダメっぽいけど。
あせるとどんどん考えてしまう。
土木工事だって住人――ここにはいないけど――お金が欲しい人に振った方が経済が回って健全だろうし。
崖に回廊(?)とか部屋をつくるのは大変だし、この辺はセーフってことでひとつ。ここの地盤というか石自体がさらさら崩れ易かったのを頑張ってくれてるんだし。
人に仕事を頼んで掘った石、削った石を海に捨てられたら微妙だし。結果的にはこれでよかった。
過程的にはレッツェたちの前ではやめて欲しかったけど!!!
「あの高さ、帆船と直接荷物のやり取りが」
「人と荷のチェックは必ず通るあの場所、小舟を入れる場所は砂浜か、こっちの船着場しかない。砂浜はまるみえだし、どちらにしても階段を押さえれば……」
ソレイユの目に光が戻り、キールは相変わらず防衛面でぶつぶつ。
ファラミアは黙ってソレイユの後ろに控えて、平常運転。
「ここで小心者は俺だけか……」
レッツェが隣でため息をつく。
「レッツェ様がおられませんと、常識が揺らぎますので、どうぞそのままで」
「最近揺らぎっぱなしだし、一般社会に戻れなくなりそうだから、そのままでいてくれ」
執事とディノッソ。
「うん」
特に俺が戻れなくなりそうなんで、いてくれないと困ります。
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