第549話 夜の闇

 さて、どうするか。


 夜、『家』に帰らずカヌムの家。


 みんなの帰ったがらんとした部屋で、一人考える。ディノッソの家族に絡んでくる国、滅んでしまえとつい思う。一時の感情ならば大丈夫、でも持続してしまうと周囲の精霊が俺の感情の影響を受ける。


 心穏やかで居続けるのはなかなか難易度が高い。でもこれくらいでちょうどいい、でないとどうしても性格が悪いことを考えてしまう。今のように――


「まあ、しょうがないよね……」

魔の森で着たことのある顔の隠れるローブ。


 みんなにはとても嫌がられそうだけれど。これでもやり直すために、不穏なものにはなるべく近づかないようにしているんだよ? 自分自身が不穏な存在だってわかっているからね。


 【転移】を使った先は『家』ではなく、シュルムの次のターゲットの国、目指すのはその神殿。


 深夜の静まり返った町、月明かりがなくとも薄ら光る精霊たちのお陰で俺にはよく見える。大通り、カヌムであれば酔漢がいてもおかしくはないけれど、家々は扉も鎧戸も固く閉じられ、明かりどころか中の気配さえも閉じ込めるかのようだ。


『やあ、この国の神殿はどこにあるか教えてくれるかな?』

夜を彷徨う精霊に話しかける。


『――』

そっと答えてくれた精霊の声は、薄氷を割ったような微かな音。


 精霊に導かれるまま、神殿を目指す。途中、見回りの兵らしい二人組がいたが、そのまま至近距離を通り抜ける。


「ん?」

「どうした?」

「今何か……。悪い、暗がりにシュルムの奴らがいる気がしちまう」

「あっちは、諜報員だか暗殺者だかわかんねぇ奴をよく使うらしいからな。俺もおっかねぇ」

そのまま歩き去る二人。


 すれ違う瞬間、ほんの少しだけ勘のいい者が気づくけれど、すぐに意識の外だ。今夜の俺は、ほんの少しいつもより精霊に近い。


 神殿の入り口には門番もいたが、こちらも気にせず正面から入る。さて、エンの情報を確実に持っているのはトップかな?


 重たげなタペストリーも、石の壁も輪郭だけ濃くて、半分透けて見える。石の精霊や、暗闇の精霊が壁の存在を無視して自由に飛び回る。


 遮るもののない移動は楽そうだけれど、あそこまで行くと戻れなくなりそうだ。おとなしく、足で歩いて、人らしく天井の高い暗い廊下をゆく。


 精霊に尋ねながら、たどり着いたのはけばけばしくも豪華な部屋。部屋の前には護衛らしき男。


『寝てしまっていいよ』

部屋の前にいる男共々、神殿の中に眠りをもたらす。


 精霊世界に近づいた今夜、周囲の精霊はもう俺の一部のようなもの。わざわざ願わずとも俺の意思で動いてしまう。


 眠り込んだ男に視線を一度やって、扉を開いて部屋に入る。扉の中は小さな部屋、ここにも護衛か召使い。もう一つ二つ扉を抜けて、天蓋付きのベッドに眠る老人を見下ろす。


『誓約、契約、種類はさまざま。多すぎるな、どれだろう?』

アズの首に見たような、光の帯がたくさん見える。


 見えるようにしているのは自分なのだけれど、ここまで多いとどれが探しているものか見つけるのは骨が折れそうだ。


 体から大きく離れて円を作る帯、体に張り付く帯、幾層にも重なる帯。


 なるほど、同じように重なって一つに見える帯は同じ内容の契約か。体に張り付く帯は、アズの時のように縛るための帯。国王にエンのことを話しているとしたら、その張り付く帯の中にあるだろうか。


 おそらくなるべく多くの利益を得るために、【収納】について誓約や契約を交わしているはず。俺が探しているのはそれだ。


 この老人が優位な契約は放置でいい。俺がどうこうしなくても、老人からの口止めがきいている。問題は同等か、老人よりも上位の契約者。


『この契約とこの契約の名前』

光の帯を指でたどり、目的の相手を見つけ出す。どうやら二人。


 さて、こっちの後ろ暗そうな契約の沈黙の項目を、エン絡みの契約の帯に書き換えよう。この老人が余計なことを話せないように。暴力に頼らず平和にね。


 沈黙の項目をなくした、こっちの契約相手がしゃべれるようになって、どうなるかは知らないけれど。


 残りの二人も同じようにして――ヘタをすると、シュルムにこの国の大事な秘密が漏れてしまうかもしれないね。


『あれ、この術式……』

人同士の契約の他に、魔法のための帯もいくつか見える。


 老人が自分でかけただろう守りの魔法や、契約の帯の中に隠されるように細く薄い光の帯が一筋。


『ああ、厳しいふりをしてるんだ?』

見つけたのはハウロンの魔法の痕跡。


 多分これはディノッソのための魔法だよね? これは詳しく読み解かずにそっとしておこう。俺に読まれたのがバレたら、ハウロンが照れてしまう。


 人の心は見えないね。でも隠れているものの中には優しいものもある。

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