第438話 黒精霊憑き(暗め注意)

 さくさくと雪を踏んで、聖域の外に出る。踏み荒らされた庭も、みんなが倒れ込んでいた場所も、薄く雪が覆い始めている。


 この場所は普通の精霊が半分、黒精霊が半分。黒精霊は全て名付け済みなので、聖域の周辺で精霊を襲うことはない。かといって、仲良くしているわけでもないけれど。


『変えてもらえる?』


 歩きながら願う。精霊と黒精霊が俺の姿を、俺の望むものに変える。今はジーンの姿でいたくない。


 雪を踏む音が消える。


 周囲は濡れた黒い枝と葉を白い雪が隠す、白と黒の世界。雪が音を吸っているのか、風の音も聞こえない。


 しばらく進むと、黒精霊によって木に貼り付けられている男の姿が視界に入る。顔を覆っていたフードとストールがずれて、黒い痣がまだらに散る顔が見えている。


 黒い痣は黒精霊が侵食して、肉体ぶっしつとまじっている場所だ。見る者が見れば、黒い痣の周辺にもっと奥に入ろうと蠢く黒精霊が見えるだろう。


「こんにちは――ああ、聞こえないんですよね」

黒精霊に手を振って、視覚・聴覚を戻し、口を利けるように。男の顔から、黒い痣が少し引く。


「ゆ、勇者……っ!?」

まぶたが半分落ちていた目を見開き、男が掠れた声をあげる。


「勇者に見える?」

口に笑いを浮かべて問いかける。


 俺の姿は今、昔の俺。黒い瞳、その下に二つの黒子が並ぶ。服装は、白いシャツ、黒いズボン――学生服の上着なし。黒精霊をまとわりつかせ、宙に浮く。


「ひっ!」

小さく漏れる悲鳴。


 特別威圧しているわけではないけれど、無視するには黒精霊の密度が濃すぎるのだろう。


 この世界に魔王という概念はあるのかな?


「ああ。なるほど」

怯える男の目を覗き込む。


 聞くまでもなく、知りたいことが勝手に頭に入ってくる。俺の周囲の精霊たちは、こんな風にして俺の考えを読んでいるんだ?


 シュルムの密偵に壊された精霊を縛る器。突然の解放に戸惑う精霊。それはクリーム色に輝く大きな鳥、捕まえて翼の付け根に歯を立てる勇者の人形。

 暴れ、傷口から精霊としての力を流し、黒く染まってゆく『光の鳥』。


 領主の『光の鳥』と、神殿の『至高の座ざぶとん』、長い年月強い精霊の側にあり精霊が宿ったフェイクの『枝』、『神像』。


「四つの守りのうち、二つ潰れたね。神像に力を移す女神も留守、『光の鳥』は黒く染まった」


 本物の精霊の枝を持たずに、魔の森の側にあり続けた城塞都市。なるほど、ここに来て黒精霊を恐れ始めるはずだ。守りは弱く、強い黒精霊に確実に狙われる。


「『光の鳥』は倒したようだけれど、ダメだよ? 今度はが怒ってる」

それはもう、人間でいられないくらいに。


 第一は『光の鳥』を確実に倒すこと。第二は倒した後の精霊の黒い残滓を娘の血を使って、魔の森に留めること。この男の仕事は報告と不測の事態が起こった時の対処。


 城塞都市の冒険者は知らずに依頼を受けた者と、領主から直接依頼を受けて積極的に殺す方向に動いた冒険者。城塞都市の冒険者ギルドが領主を疑い、同行させた者。カヌム組は後者の補強のようだ。


「じ、自分が戻らないと、あの娘の妹が死ぬ!」

男が吃りながら叫ぶ。


「……それ、僕に何か関係がある?」

首を傾げて尋ねる。


「な、何だ? あの精霊の残りも、く、食いたかったのか?」

怯えている男を微笑んで眺める。


「『光の鳥』は倒したようだけど、別な黒い精霊を贈ってあげる。ああ、でも君の中にも『光の鳥』の残滓があるね? ――少し魔力をあげようか」

別な黒精霊を贈ってもいいけれど、せっかくだから『光の鳥』を戻そう。


 随分と長い時を城塞都市から動けなくされていたようだ。自由を奪われたことへの怒りと、特定の血を愛さずにはいられない呪いのようなもの。座布団を繋ぎ止めていたものと似ている。


「さあ、ここで見たこと聞いたことは忘れてゆっくり休んで。起きたら飼い主の元に戻ればいい」

俺の声に目をゆっくりと目を閉じる男。


 拘束していた黒精霊が離れ、残ったのは男の身のうちに隠れた『光の鳥』の残滓。契約し魔力を少々注いだので、健康であっても消えるということはないだろう。


 消えるとすれば、周囲に親切に、嘘をつかず、妬まず、憎まず――この男にも、この男の周囲にも無理だろう。


 今この時のことは、起きたら忘れているだろうけれど、『光の鳥』が育てば契約者の俺を思い出す可能性はある。その時はもう分離できないほど一体だろうし、思い出す俺の顔は勇者の顔だ。


 黒精霊は憑いたモノの性質を取り込む。この男がどんなモノかは知らないけれど、おそらく厄介なことになる。我ながら性格が悪いが、この程度で済ますことに感謝して欲しい。アッシュたちへの依頼が、悪意あるものだったらもっと過激な報復をした。


 白と黒の森を家を目指して進む。


 分かってはいたけれど、この体は人間になるか、精霊になるか、俺の意思次第。精霊の俺は、じんの姿と性格と一緒に封印したいところ。確認は一度だけでいい。


 あの姉との血の繋がりを自分に感じて、胃のあたりが冷える。


 ジーンに戻って、やり直しの続きをしよう。姿を戻し、雪を踏んで歩く。聖域に近づくにつれ、黒い精霊が俺から離れてゆく。


 それにしても、ハウロンを呼ぶのは、妹とやらを助けてからの方がいいのか、相談してからの方がいいのかどっち?



(次回からはまた馬鹿話に戻ります)

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