第396話 エス川クルーズ

 葦の間でなにか仕事をする人。四人乗って大丈夫なんだろうかと心配になるほど浅い船に乗っている人。


 緑があるのはエス川の周辺のみ、その緑の境界を超えて茅色かやいろの砂漠が見える。


「無事出発できて何よりです」

「何かあったの?」

笑顔で告げる執事に問い返す。


「少し前にこの時期には珍しく川の水が引いていたのですよ」

「エス川が身じろぎをした、と地元の者たちは言っていた」

「……」

執事とアッシュの言葉にちょっと視線を彷徨わせる俺。


「ロバが舟を引いてる!」

バクの上げた声に子供たちがいる方を見る。


 バクが言う通り、岸をロバが歩き、ロープに繋がれた小さな舟を引いている。舟の上にはたくさんの荷物と舟を操舵する人。二人と一匹がかりで川を登ってゆく。


「川を遡る時、この辺りではよくロバを使うのよ。川幅が狭いところは流れも早いけど、両岸から引けるし、便利よ」

きゃっきゃとはしゃぐ子供たちに、ハウロンが解説している。


 へー、そうなのかと、思わず耳をそばだてる。


「あ、お馬が水浴びしてる」

今度はティナが指差す。


 水浴びというか、川に人と馬がどぶんと入っている。今日一日働いた、荷馬車の馬かな?


 エス川の水は黒く凪いで鏡のようで、岸辺の植物を映している。そういえば、日本で桜の季節にのんびり川下りやってみたかったな。桜と水面に映る花の姿で綺麗だろう。あと花筏はないかだだっけ? 近くで見たかった。


 でもきっと、あっちでは土手を歩くくらいで満足していた気がする。こっちに来てだいぶフットワークが軽くなった自覚がある。財布も軽く――いや、重くなったからクルーズやってるのか。


 俺たちの乗っている船は大きいけれど、幅は狭く、細長い。そして、舳と船尾がきゅっと上がっている。やや船尾よりに日除けをつけた所があり、そこが客がくつろぐ場所。


 相変わらず扇いで風を送る係の人が左右に陣取っている。今回は宿の人たちと違って、服を着てるのでセーフ。


 日除けの下で、カーンたちが酒を飲んでいる。シヴァもハウロンに子供たちを任せて、少し飲んでいるようだ。でも視線の先には子供たちがいるかんじ。ディノッソはそんなシヴァを眺めている時間が長い。


 クルーズの出発時間はまだ明るい。変わる空の色と深くなる夕闇を楽しむものみたい? 風景を楽しむのはもう少し後がメインらしい、なので船の探検。


「この船は海にも行くのか」

レッツェがへさきから船尾まで、真ん中に通されたロープに触れながら言う。


 あまり見たことのない船だけど、そもそも俺の船のイメージは日本の漁船とか、黒と白に塗り分けられて煙突は赤とか――木製なら帆船か猪牙舟ちょきぶねくらい。


「そうなの?」

「ああ、海は波の影響があるだろ。このサイズのでかい船は波と自重で起こる問題があるんだが、どうやらこのロープはその解決のためにあるもんらしいな」

レッツェは船にも詳しいらしい。


 俺にはこのロープでなんで波のダメージが軽減できるのか謎なんですけど。実際動かしてもらえればわかるかもしれないけど、今は川の上だ。


「そこの棒でロープを巻き取って締めると、舟の両端が上がるんだよ」

「え、そんな力技!?」

マジで!? 


 というか、俺がわからなかったの、気が付かれた!


「ま、雑学の類だが、魔物に襲われて船を操るやつらがパニクった時とか、なんとなくでも対処できる気がするだろ」

安心するんだよ、小心者なんでな、と言って肩をすくめる。


 船の木材同士の継ぎがどうなっているのかとか、レッツェと構造を一通り見て回ると、夕日に砂漠が赤く染まり始めた。


 空と砂丘を分ける線が夕日に溶けて、川岸の椰子や木々が黒いシルエットになる。間に黒を挟んで空と水面がオレンジ。


 陽が落ちて空にオレンジだけが残ると、今度は砂漠も黒く染まって木々の黒に飲み込まれる。


「短い時間だが美しいものだな」

「うん」

アッシュと並んでワインを飲みながら、欄干らんかんに寄りかかって暗くなるのを黙って見ていた。


 一緒にいて沈黙が心地いいっていうのはこういうことかな。アッシュも同じだといいけど。


 まあ、後ろではディーンとクリスが子供たちより騒がしいんだけどね。乗り込んだ時からずっと飲んでいて、すでに出来上がっている。


 陽が落ち切ると、舳に鉄籠みたいなのに入った篝火が吊るされる。ちょっとすると、船が進む水音の他に、ぽちゃんぱしゃんと音がするようになった。


「なんの音だろう?」

「魚が跳ねているのではないか?」

アッシュの言う通り、篝火に近い場所に白い腹を見せて魚が跳ねた。


「なるほど。じゃあ、あそこに見える明かりは魚取りの明かりかな?」

葦船っぽいシルエットを赤い光が浮かび上がらせている。


 昼間のあれこれが嘘のような、のんびりとした時間が流れる。

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