第385話 二つの渦
「月の山脈か」
カーンが言う。
目の前には色の違う、川幅が膨らんだような長細い湖と丸い大きな湖が並ぶ。その後ろは緑のない荒涼とした石とその石の崩れた乾いた土の山。
「月?」
とてもではないけど、月に例えられる山とは思えない。いや、月の表面ってあんなかんじ?
「夜に月が登ると、あの白い山全体が白く輝く」
「おお?」
なるほど、あの山の真価は夜か。後で見にこよう。
大きな湖は黒い。これがきっとエスに肥沃な大地をもたらす水だろう、黒いのは栄養豊富な土だ。
長細い湖は乳白色。これがあれです、乳ですね、水量が豊か。
大きな湖からは、丸い皿の一部が欠けたかのように水が滝となって漏れ出し、長細い湖からもやはり滝が落ちている。
その二つの滝の交わる滝壺の中に、大きな渦が二つ、現れては消える。滝で生まれた飛沫の精霊、水流の精霊、風圧の精霊、さまざまな細かい精霊が渦にまかれ、水にまた溶けてゆく。
なお、シナモンはない模様。
「寿げ! ここが女神エスが生まれる地ぞ!」
わんわんが胸を張って高らかに言う。
と同時に、二つの渦が集まったかと思うとがぼーって。水柱ががぼーってして、中からエスが現れた。
『わんわんよ、何を騒ぐ? ――おお、我らの言葉を聞く人間よ。どうした?』
エスの視線がわんわんから動いて俺に止まる。
「わんわ……」
「女神エス……」
ぼそぼそと聞こえる
『いや、エスの生まれる地に観光に来ただけなんだけど。いや、用事もあった』
『どんな用事か?』
『お知らせ? 今代の勇者が精霊を捕獲し始めたことと、勇者に【支配】の能力がある。今はまだ他の大陸で動いているけど、こちらに渡って来る可能性はあるから、一応警戒しておいた方がいい』
エスに話せばおそらくこの土地の精霊の大半に伝わる。
「勇者などこのわんわんにかかれば……っ!」
『界をつなげただけではなく、また異邦の者を招き入れたか。人も精霊も相変わらずよのう。精霊の力を偏らせれば、その時は良くとも生き物には辛い場所になるというに』
わんわんの言葉を無視して、エスが言い眉をかすかに寄せる。
火に傾き、風に傾いて、今度は光。いったいどんな環境になってしまうのか。灼熱直射日光地獄とかだろうか。
『俺も勇者に巻き込まれてこっちに来た異邦人ね』
「何!?」
『それにしては偏りを感じぬが……』
けしきばむわんわんに首を捻るエス。
『守護してもらっている神が、俺を巻き込んで喚んだヤツじゃないし。集まってきた神々全員に打ち消しあってもいいからってお願いしたんで、守護は一柱じゃない。それに、契約した精霊も特に選り好みしてないからな』
司る属性的には。性格的に怪しいのは見ないふりしたことがあります。
「なんと」
『なんと』
わんわんとエスが揃ってる、揃ってる。
『そういうわけで俺も能力を持ってて、勇者の【支配】に対して【解放】なんだ。もしこっちに勇者が来て、逃げ惑う精霊がいたら呼んでくれたら名付けて【解放】にくるから』
「愚兄の偏屈がマシになったのは、もしやそのおかげか!?」
『このわんわんが浮かれておるのも【解放】のせいかの……』
浮かれてたの!?
『アサスは、地下神殿に安置して、街ができたら地上に神殿作るって。街も村も周辺にないから大丈夫だと思うけど、他に影響がないように穏便に蛇行してくれると助かる』
『その辺は心配無用』
おお。良かった。
『ありがとう、安心した。ちょっとここを眺めながら飯食って良い?』
『構わんが、おかしな人間よ』
そう言って姿を消すエス。
エスが消えた途端、水柱も姿を失い滝壺に返った。
「さて、話は終わり。飯にしよう」
振り返ったら、わんわんとレッツェ以外が頭を抱え込んでいた。
「お前……」
言葉に詰まるカーン。
「本当に母国語並みに精霊言語を使えるのね……」
「俺は、エスが本当に出てきたことに驚いている」
ハウロンとディノッソ。
「今日は一生分の精霊を見た気がする」
レッツェが嘆息する。
いやまだ二人目じゃない? ん? 袋詰めアサスもカウントするのか。まあいいか。
「さ、昼、昼」
岩の影、滝の水飛沫がそこそこ飛んでくる場所にシートを敷く。よし、ここなら涼しいぞ。
「三人の惨状を目の当たりにして、スルーして場所を整え始めるのやめてやれ」
「そんなこと言ったって、腹が減ってきたし――」
「そうじゃぞ、人間。我も久方ぶりに人間の食を口にしてみとうなった」
「――エスもこう言ってるし」
気づいたら今広げたシートに、さっき姿を消したエスが座っている。
「我麗しきエスと共に食事……っ! 久方ぶりの宴か!」
わんわんが目をきらきらさせる。
フェイントかけてきたぞ、エス。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます