第223話 出立

 リリス一行が帰る。当初言っていた一週間の予定より数日多い滞在となったが、決してリードが城塞都市から戻ってこなかったせいではない。


 単純にリリスの商談と人脈作りに時間がかかってただけだ。うまくいったらしく、後半は誰かに招かれて食事とか、お茶会とかに出かけることが多かったようだ。


 必ず寄るような中継地点が近いならともかく、旅は早立ちが基本なので、パンを届けがてら見送ることに。普通に食べるいつものパンと、二度焼きした保存がきく固いパン。


 固いパンは一回目を棒状の生地をくるっと丸めて真ん中が空いた状態で焼く、膨らむので穴はヘソのへこみ程度に。二回目は上下半分に切ってから。分厚いのが好きな人は巻く時に二重に巻くけど、俺は薄めのカリカリが好きなので一周。


 そしてその固いパンは旅のお供の差し入れのつもりだったのだが、アッシュの家の朝食に上がった。好評だったようだけど違う。


『君が貴族たちとうまく渡り合えないとは思わないが、もっとシンプルな思考と関係が好きなのも知っている。自由に幸せになってほしい』

『父を頼む』


 上からリリスとアッシュが話す声が漏れてくる。アッシュの家の三階は、アッシュの居間があってその奥に寝室、中庭を挟んである部屋が客間という感じ。


 水を日常的に運ばなくちゃいけない関係で、こっちでは使用人がいない場合は、二階が一番人気の部屋で、いる場合は三階の人気が高い。


 屋根裏部屋は暑さ寒さがダイレクトに来るので人気がなく、貸家ではたいてい大人数が詰め込まれているのが普通だ。四階以上の建物は少ない。


 俺がいるのは二階の応接室というか、客に茶を出す部屋だ。確かこの同じ階に執事の部屋があるのかな?


 で、扉を開けて話しているのか階段を伝って二人の会話が聞こえて来ている現在。


 せめてこの部屋の扉を閉めたいところだが、こっちはこっちでリリスについてきた若い侍女さんがいてですね……。執事が出入りするので完全に二人きりというわけじゃないのだが、なんとなく密室を避けて開けっ放しのままだ。


 侍女さんは召使いらしく控えてて会話もないけどね。


「おう、早いな」

「パン届けてそのままいる」

執事に案内されて、ディノッソが来た。


 知らない人と二人で詰められてたんですよ、もっと早く来てください。俺に社交能力を期待しないでくれ、なんの目的もなく場をつなぐために会話するって無理! 泣くぞ!


 心の中でディノッソに当たり散らしながらお茶を一口。


 こっちでの旅は命の危険が伴うので、知り合いが旅立つ時にはなるべく見送る。シヴァたちは一足先に広場に行って、早朝だけでる屋台で朝食中だそうだ。


 ディーンたちはリードについて馬を迎えにいってる。最終的に広場で落ち合って、リリスたちが門を出るのを見送ることになる。外はようやく白んできた頃。 


「どうぞ」

執事が俺の前に並んでいるものと同じものをディノッソの前に並べる。お茶と砕いたナッツの入ったクッキー。


『……で? ジーンとの仲は進みそうなのか?』

上から聞こえるリリスの声が不穏だ。聞こえないふりをしてクッキーを食べる。


『あまり進まないようなら、胸でも押し付けて――いや、無理か』

リリスは女性アッシュに何を勧めてるんだ、何を!


 たぶんアッシュも「うむ」とか「ああ」とか答えてるのかもしれないが、リリスの声の方がよく通る。


『やはり男性は大きい方が好きなのだろうか?』

アッシュの珍しく長文が聞こえたかと思えばそれか!


『たいていの男はまず私の胸を見るね』

『むぅ……。ジーンも最近胸の大きな男を連れてきた』

男!? カーン?


『――男の胸は勘定に入れなくていいと思うね』

リリス、もっと言ってやってくれ。


 そう言えばアッシュは前も自分の胸と男の胸を比べてたな。筋肉? もしかして筋肉で大きくしようとしてる?


「お前、百面相になってるぞ。気持ちはわかるけど」

ディノッソも微妙な顔をしている。


「居たたまれない」

女子トークは扉を閉めてください! いや、これが女子トークなのか自信はないけど。


『君も女性化している最中のようだし、少し揉んでマッサージするなり努力してみたらどうだ?』

『む……。分かったジーンに揉んでもらおう』


 ぶぼっ!


「うわ!」

「げほっ! げほっ!」

茶が気管に入った!


 冗談なの? 本気なの? どっち!?


 俺が咳き込んだのが聞こえたのか、上の会話はピタリと止まり、あるいは小声になって聞こえてこなくなった。

 

「お前、難儀だな……」

噴き出す寸前、身を引いて避けたディノッソが同情の眼差しを向けてくる。


 ちょっともう俺は朝から疲れたんで、帰って寝なおしていい?

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