第199話 リリス

 約束の夜まで棚や脇机を作って過ごし、時間が来たところでアッシュの家にお邪魔。夕食に招かれたというか、リリスとの顔合わせに呼ばれたというのが正しい。


 でもシヴァ以外の人の作ったご飯は久しぶりなので楽しみにしている。執事にはいつもお茶やコーヒーは淹れてもらってるけど。


 パンは朝差し入れてしまったし、無難なところで酒とチーズ、蜂蜜。


 アッシュは、ゴルゴンゾーラっぽい柔らかい青カビのチーズに蜂蜜をかけるのを好む。青カビの刺激はやさしく、ほんのりと甘味と芳香があって、口当たりはねっとり、塩加減も控えめなチーズだ。


 同じ青カビでも、執事が好むのは、青カビのピリッとした刺激と塩味が強く、熟成させて水分が少ないかわりに、コクが増して香ばしい味わいになったもの。俺的ジャッジでいうと、ちょっと癖があって食べにくい。


 買ったはいいが、始末に困ってカードゲームをやる時に料理で使いまくってたら、このチーズと牡蠣とほうれん草のグラタンが執事の好物になった。


 この青カビチーズ二種と、蜂蜜、少し重ための赤ワイン。リリスの好みは知らんのでスルーだが、初めてあった時に昼飯の場所を聞いたら酒場しか知らないと返答が来たので、酒があればいいだろう。


「いらっしゃいませ。どうぞお二階へ」

「ああ」

燭台を持った執事の案内で二階へ。


 俺が改装したのでよく知ってるけど、二人が俺の家の方にくることが多いので久しぶりに入る。


 壁には等間隔に燭台、揺れる炎のせいか、置いてある家具や絨毯のせいか、俺の家と違って重厚な印象。


 執事のベストから垂らされた懐中時計の銀の鎖が、柔らかな燭のあかりに照らされ、時々硬質な光を反射させる。


 お高いんだよな、懐中時計。格好いいから俺も一個買ったけど。


 元の世界で、六十進法の時間単位を考えたのは紀元前約二千年のシュメール人。一日を十二時間二セットに分けたのは古代エジプト人。日時計、水時計、砂時計――十六世紀にゼンマイ式の懐中時計が出来たというんだからすごい。個人的には振り子時計より小さな懐中時計が先なことに衝撃をうけたんだけど。


 こっちの世界で時計がどういう進化をたどったのか知らないが、農作物に影響のある歴はともかく、のんびりしてるからそこまで時間に縛られなくてもいいと思う。ただ、あるとやっぱり便利だ。


「ジーン様がお着きです」

執事がかしこまった感じ。いつもと違う案内方法はやめろ、なんか緊張する!


「ジーン、来てくれて感謝する。こちら……」

「やあ、どんな男が出てくるかと思っていたが――テイムの店で会ったな? あの時はディーバランド家の者だったが、もうすぐアーデルハイド・リリスになる」

アッシュが紹介を終える前にリリスが口を開く。堅苦しくないのは助かる。


 赤い髪に軍服っぽい詰襟、長靴。きりりとしているが華やかな感じの美人でスタイルもいい。金の刺繍やカフスが施されているため、形は軍服っぽいがこちらも華やかでよく似合う。あとお胸が大きいのでぴったりした上着は段差が暴力。


「ジーンだ、改めてよろしく」

リリスと握手を交わしてとりあえず着席。


 アッシュの本名はアーデルハイド・ル・レオラ。間にルが入るのは直系のみ、嫁ぐリリスには付かない。よし、よし、名前の説明覚えてるぞ。


 結婚式は毒を盛られたアッシュパパの体調のこともあって、半年後。リリスは初婚だけど、公爵家の後妻になるため、派手にはしない予定だそう。


 アッシュパパはもう起き上がって動き回っているけど、夜になるとゼンマイが切れたように倒れこむ感じで、アッシュの今の生活をリリスが代理で確認に来たらしい。


 執事の用意してくれた食事は、コースっぽくなってて全員が食べ終えると次が出てくる感じ。執事は同席しないんだな、と思いながら舌鼓を打つ。


 ちょっと酸味のあるチーズとハム、続いてスープ。食事中は当たり障りのない話。


「団長は昔から私の憧れでな、ここぞとばかりに押し倒した。あのボンクラが引き取られたことで、既成事実を作れば受け入れられることは分かったからな」


 嘘です、当たり障りありすぎです。毒で弱ったアッシュパパを押し倒した話です。話の最中、思わずアッシュを何度も見てしまった。


 通常運転で肉を切り分けてたけど。


「すまん、どういう顔をしていいかわからん」

「喜べ、私が子を産めばレオラは自由だ。そして私はアーデルハイド家の世継ぎを必ず産む」

紅の塗られた唇をニヤリとさせるリリス。


「アッシュ――レオラの選択肢が増えるのは嬉しいけど、ずっと家に帰れなくなるとかじゃないよな?」

「アッシュでいい」

名前を言い換えた俺に、アッシュが言う。


「もちろん好きな時に帰ってきてもらって構わない。私は義母で友人だからな。なんなら孫も一緒で構わない」

「うむ」


 ごふっ! 咳き込む俺。アッシュ! うむ、じゃない、うむじゃないだろう!?


「大丈夫か?」

咳き込む俺を心配するアッシュ。ダメです。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る