第134話 朝の路地

 家に帰って、リシュにクンクン匂いを嗅がれて風呂。大福の匂いだろうか、俺が臭いのかそれが問題だ。


 大福はカヌムの家に置いてきた。置いてきたというか、ついてくるか聞いても興味なさげにさっさとベッドのど真ん中に丸まって寝てしまったので。


 頭と体を洗って湯につかる、やっぱり風呂はいい。


 風呂上がりに牛乳を飲んで、リシュと遊び、コーヒーを飲みながら読書。お菓子はラズベリージャムが甘酸っぱい、どっしりとしたリンツァートルテ。深煎りのコーヒーによく合う。


 このパジャマのだらっとした格好と、ブーツから解放された足が幸せだ。明日は大福を作ろう。


 材料は求肥ぎゅうひ、片栗粉と餡子。求肥の材料が白玉粉か上新粉と水、砂糖。


 白玉粉がないな。白玉粉はもち米を粉にして、水中で沈殿させた物。寒中に沈殿作業を繰り返して乾燥させるため、別名は寒晒し。


 寒いときに作るのはカビないようにだから、いまでも行けるかな? 粉に挽かなきゃいけないから、明日にしてとりあえずもち米を水につけとこう。


 いかん、眠い。


 ごそごそとベッドに潜り込み、隣の籠に丸まったリシュをなでておやすみなさい。


 早寝をしたので暗いうちに目を覚まし、しばしベッドでごろごろ至福の時間を過ごす。


 通常通りの朝の日課をこなし、今日はパンを焼く。昨日の今日で、アッシュたちの食料庫にはすぐ食えるものが揃ってないはずなので、パンと卵、ハムあたりを差し入れする予定だ。


 まあ、街では朝パン職人の弟子や卵売りとかが売り歩いてるから、呼び止めて買えばいいんだが。


 パンのいい匂いが漂ってくる中、俺の朝ごはんは卵かけごはん。白いごはんにぱかっと卵を落とすのも楽しいし、オレンジ色の盛り上がった黄身の表面を、垂らした醤油が滑ってごはんに染み込むのもいい。


 作りたての醤油がこれまたいい匂い。食料庫の醤油はいつでも封切りの香りと味なのだ。


 わかめと豆腐の味噌汁にきゅうりの浅漬け。焼き海苔と胡麻をトッピングして黄身を割って混ぜ、かきこむ幸せ。炊きたて熱々のごはんの効果で少し熱の通った黄身が甘く絡む。


 幸せな気分でカヌムに転移したら大福がいない。やっぱり気まぐれで来たけど、帰っちゃったのだろうか。


 少々がっかりしつつ、パンを配って歩く。


 ディノッソのところは奥さんだけが起きていて、アッシュのところは執事だけ。ディーンたちのところは一階にレッツェがいた。


 そして大福もいた。


「何だ?」

「いや、やっぱりベッド持ってこようか?」

レッツェの膝の上でどーんと丸まっていた大福が、音もたてずに床に降りて俺の膝に顔をぬるぬるとすり寄せてくる。


 でかいんだよな、大福。精霊じゃなかったら重くて膝に乗せていられないだろうし、大変だ。


「待て、そのセリフとその手つきは何だ?」

大福をなでる手の動きは、なでる対象が見えていなかったらかなり不審だろう。


「気のせい、気のせい。はい、これパンと卵」

「いや、誤魔化されないからな?」

「ベーコンとチーズもつけよう。コーヒー淹れようか?」

「くそっ。……濃い目で頼む」

レッツェが諦める。


 コーヒーって中毒になるよな。うん。


 レッツェがあっさり引いたのは、見えないともあるだろう。いても邪魔にならないし、頼んだら『眠りの能力』は使わずにいてくれてるし、実害はない。俺が時々不審者になるだけで。


 諦めたレッツェは暖炉でぶ厚く切ったベーコンを焼き始め、俺は机にサイフォンを用意して、コーヒーを淹れる。


 大福用に皿に水を注げば、気に入ったらしく飲んでくれた。他の嗜好品って何だろうな?


 レッツェが朝飯を食ってる間、大福をなでて満足する俺。大福は気まぐれなわりに人間の側にいるのが好きらしい。ただ、静かであることとか、触り心地とか、温度とか、明るさだとか――好みの条件がだいぶ厳しいようだ。


 クリスが降りてくると、声のトーンが苦手らしくさっさと姿を消してしまった。子どもの声も苦手っぽいし、クリスは朝からハイテンション。


 また遊びに来てくれるといいな。


 実害がないとはいえレッツェを振り回した自覚があるので、サイフォンはレッツェに進呈。フィルターを後で持ってこよう。


 さて、白玉粉は作ったから大福は夜に作るとして、家に馬場を作って……。いや、ルタはナルアディードの島で世話する人を雇って飼ったほうがいいな。今回みたいに数日留守にするときに困る。


 【転移】するために家に戻る途中で、路地に怪しい人影というか執事と同系統の雰囲気のヤツが執事と静かに戦闘中。執事は余裕っぽい。


「ちょっと失礼します」

邪魔しないように通るのが不可能っぽいので声をかけて通り抜ける。


「何!?」

「ジーン様」


 声をかけたところで二人とも後ろに飛びのいて離れ、俺を見る。


「あ。すぐ行くんで、お気になさらずに」


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