第92話 炭水化物
この世界、酒場は大体宿屋を兼ねている。
全体的にみると宿屋単体というのは珍しいのだが、ここは人の出入りが多いのでちゃんとした宿屋もある。ちゃんとした宿屋の設備は客用の部屋、パン焼き場、厩舎、倉庫、馬車を止めておく中庭、都市の外だと屠殺場、醸造場も。
快適さを求める金持ちは、先触れを出して場合によっては寝具やカーペットを持参する。
ちゃんとしない宿屋は、客用にベッドを一つ用意して宿だという具合、他は何もない。なお、ちゃんとしてようがしていなかろうが、ベッドに二人以上詰め込まれたり床に転がれるだけ転がされるのもデフォ。
宿屋の何が嫌かってノミとかシラミ、南京虫が普通にいるところ。そんな宿屋の一室に三人を詰め込んで帰るんだけどね。討伐隊が帰ってきたせいでどこの宿屋も混んでそうだけど、どうやら執事かレッツェが
討伐隊が出ることが決定した時、逃げ出せるものは西の町や村に避難し、多少危険でも有利に商売しようという人はやって来た。二回目の討伐は戻って来た人、やってくる人ともに多く、冒険者以外でも人が増えた。
騒がしいし、治安がちょっと悪くなったけど、とりあえず水回りと鞄の宣伝にはなっている模様。
アッシュと二人きりになったのは執事が三人を部屋に詰めに行った時だけだったので特にどうということはなく――執事にからかわれた気がした。
穏やかな笑みを浮かべているか、無表情か、正しく情報伝達するために言葉に表情を添えるみたいな執事なんで、始終ただの笑顔だったけど。
「アッシュ、歩けるか?」
「問題ない」
無表情で短く明瞭に答えてくるけど、明らかに酩酊状態。歩けるかって聞いたら、歩き出すのやめろ。あと壁で止まるのもどうかと思う。
壁に向かって直立不動のアッシュを誘導して酒場から出る。執事、扉を開けて待っててくれるのはいいけど、役割を代わる気はないのか?
大通りはまだ人の姿がちらほら見えたが、アッシュの顔を見てそっと避ける人がですね……。完全に目が座ってるから。
放っておくとどこまでもまっすぐ歩いてゆこうとするアッシュを、肘のあたりに手を添えて誘導しつつ、『灰狐の背』通りまで来た。まっすぐ歩いてたのに、途中から俺の方に斜めになり始めたのでだいぶ酒がまわっている様子。
執事は後ろで空気。
「ジーン」
「なんだ?」
「うむ」
うむじゃない、うむじゃないだろう!?
「ジーン」
「うん」
「……娼館」
「なんだ?」
「うむ」
酔っ払いとの会話が続かないんですが。
「ジーン」
「うん」
「……髪」
「髪?」
いつもよりずいぶん近い場所にあるアッシュの顔を見る。目が合った。
「うむ」
いや、アッシュの眼の焦点は定まっていない。さっきより酒がまわったのか、すわっていた目が戻ってちょっとうるんでる。白い肌に赤い目元はさすがに色っぽく見える、少し顔つきが丸くなった気がする。肩も細くなった? あとうむじゃない。
「アッシュ」
「うむ」
「人前で泥酔するのは危ないからやめろ」
「うむ」
アッシュたちが家に入ったのを見届けて、自分も家に帰る。お茶漬け食べよう、お茶漬け。いや、鯛茶漬けにしよう。
鯛は三枚におろし、脂ののった皮目を
昆布とたっぷりの鰹節で出汁、ご飯は【収納】から出す。お茶漬けには黒い器がよく合う。
白いご飯にピンク色を持つ鯛を並べてゴマをたっぷり。大葉の千切りの緑を散らす。金色をしている出汁をたっぷりかけて頂きます。
ああ幸せ。
あれだな、お茶漬け用の塩鮭と梅干し、明太子のストックを作ろう。出汁茶漬け用の準備も。あとラーメン。
翌日、ものすごく怖い顔をしたアッシュに昨夜の泥酔を謝罪された。
「食事は? 食べられるようならパンでも焼くけど」
二日酔いっぽいけど、
他は何が効くんだっけかな? ショウガとレモンあたりか。ああ、あれでいいか。
小瓶を取り出してカップに注ぐ。中身は皮をむいて刻んだ新鮮なショウガ、ライムとレモンと砂糖を煮たシロップだ。そこにお湯を注いで溶かす。炭酸水を入れてジンジャーエールにするつもりで作っておいたものだけど。
「いや、胃が少々……」
カップを渡しながら聞くと断られた。
「む、辛い――甘い?」
「ショウガと柑橘のシロップだな。胃が動くからあとは多めに水分をとって大人しくしてろ」
具合が悪そうなアッシュを家に帰す、顔を出すのは本調子になってからでよかったのに。宿屋に詰めた三人はどうなってるだろう? 二日酔いには慣れてそうだし男は自己責任ということで。
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