第88話 観察眼

「いいかな?」

金槌かなづちで石壁をコンコンすると、反対側からも音が帰ってきた。


 それを確認して真ん中に蹴りを入れる。


「おっと」

ごとっと音を立てて壁がずれ、反対側にいた男が声を上げる。


「お前これ、よくこんなきれいに抜けたな」

「昨日、ガリガリ頑張ったし」

モルタルみたいなのを削り取る地味な作業は昨日済ませてある。力があるし、道具もオオトカゲのツノだったりするので、カルメ焼き削ってるみたいな感覚だったけど。


 あまり人通りがないとはいえ、今回は道から丸見えな作業なので短時間で終わらせたくって、レッツェに手伝ってもらっている。


 抜いた石壁につけた印を頼りにくさびをいくつか打ち込んで、ごんごんと順番に叩いて石を割る。力任せに一本だけ叩いて深く食い込ませると変な割れ方をするので少しずつ慎重に。


「よろしく」

「おうよ」

割りとった石をレッツェに渡すと、器用にモルタルをつけて壁に戻してくっつける。


 壁を抜いた後は石が互い違いに積まれていたのでデコボコがある。俺が石を割り、レッツェがまっすぐになるように板を当てて確認しながら壁にはめてゆく。これで扉よりもひと回り大きな長方形の穴が壁にできた。


「ちょっと支えててくれ」

レッツェに扉用の木枠を持ってもらって、長方形の穴との隙間をモルタルで埋める。固まったら扉用の金具を木枠と石に固定して、扉をつけて出来上がりだ。


「お前もアッシュも一軒家ってすごいな。貸し部屋とかはしねぇの?」

都市に出てきた者は通常、屋根裏部屋とか三階以上にある狭い部屋に間借りすることが多い。部屋は狭くほぼ寝るためだけ、井戸などは共用で食事は露店に頼る。


 井戸で汲み上げてお互いに水を掛け合って手を洗う。二、三回は楽しいけど、風呂やらなにやら毎回汲みあげるのは面倒だ。


「俺は薬も作ってるしな。井戸の共有は避けたい」

人がいるとつい手を出して世話をしたくなる。自由でいたいのに自分の性格がちょっと面倒だ。


「俺は買うなら店舗付きの三階建で、三階と屋根裏は貸し出しかな」

「店舗で何をするんだ?」

竃に火を入れて湯を沸かす。裏口が丸空きなので扉をつけるまで台所から動けない。レッツェも台所というか、台所の入り口の廊下に椅子を置いてそこにいる。


「それは奥さん次第」

レッツェがワインを飲みながら答える。


「結婚してたのか?」

「いいや、相手もまだだな。このワイン美味いな」


 こっちの世界、家を持ってから結婚するパターンが断然多い。家を持たずに――独り立ちできてない状態で子供を育てられるほど余裕がないからだ。金銭的ならまだともかくダイレクトに食料的に。


 なので金持ちは男女ともに早婚、都市の男は三十から四十、女は十五から二十二くらいで結婚、農村では結婚できればいい方というなかなか世知辛い状態だ。


 もう諦めてしまっている農奴状態の小作人たちとかはこの限りではないけど、結婚は恋愛の前に生きるための地盤固めが先に来てるかんじ。


 逆に家を持つと嫁取り放題なんだなこれが。若いお嫁さんを選ぶ男が多い、女性の婚期に幅があるのはそのせいだ。


女性の方も手に職を持っていると選べる幅が広くなるし、婚期が遅れてもいいなら家を買って婿を選び放題。


ただ、子供を望むなら出産の関係で体力があるうちに。あまり医療体制には期待できないので文字通り命がけなのだ。


 女性は大変だな〜と思いつつ、「アステカ式陣痛緩和法」っぽいものが採用されてたら嫌だなと変な想像をする俺。


 沸騰した湯に塩を放り込んでパスタを茹でる。オリーブオイルでにんにくと唐辛子を炒め、香りが引き立ってきたらアンチョビを投入して潰しながらソテー。


 ドライトマトとケッパーを追加、パスタの茹で汁を加えて軽く煮詰める。オリーブの輪切り、瓶詰めにしてあったトマトソース、ドライオレガノ。パスタと和えながら塩を加えて味を整えて出来上がり。


「相変わらず美味いな。酸味はなんだ?」

「トマトとケッパー、オリーブもかな?」

机がないまま行儀悪く皿を抱えて食う俺とレッツェ。俺に至っては立ったままだ。


「トマトがなんだかわからんけど、しょっぱくって辛くってちょうどいい」


 ……。トマトまだ出回ってなかったですね、そういえば。生じゃなく、ちゃんと保存食使うぜ! って思ってたよ。それ以前の問題だった。


「レッツェ、何も言わずに正体不明なもの食うなよ」

「ジーンが作ってるんだから大丈夫だろ」 

軽く返されてちょっと嬉しくなる。


「ジーンは何か困ったこととかねぇの? 扉支える以外に」

ちらっと壁に立てかけてある裏口に取り付ける予定の扉に視線をやりながら聞いてくる。


「俺? 金ランクと取り巻きが面倒くさそうだと思うくらい?」

「パーティーに入りたくないなら、精霊が見えるのがバレたら厄介そうだな」


 ん?

 ――なんで見えることを知っている?


「クリスが名前を呼ばない奴は見えるんだよ、本人も周りも気づいてないけどな」

俺の視線に肩をすくめて笑うレッツェ。


「マジか……」

「面倒がらずにちゃんと名前で呼ぶようクリスに頼めよ。あいつ、見てくれも言動もあれだけどいい奴だぞ」

「いい人っぽいのは分かったんだけどな……」


 貴族に積極的に関わるのも、単にディーンが嫌がってるから変わってやってるだけっぽいのを知ったし。


 ただ純粋にうるさいからちょっと引いてるだけだ。


金ランクれんちゅうのことは俺もちょっと気をつける。まあ、たまには人に頼れよ。ご馳走ちそうさん」


 その後、また手伝ってもらって扉を取り付けて終了。最初の約束だから今回は受け取るけど、街中のことなら次回は依頼料はいらないと言われてしまった。


 選んだ扉は樫の分厚い扉に黒い鉄の飾り蝶番ちょうつがいなどの装飾がついた頑丈なもの。鉄格子もつけるつもりだったけど、これだけでいいかな。


 それにしてもレッツェから見たら俺は子供なんだろうな。知らないことも気づかないことも多すぎる。


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