エピローグ



 右手を支えにして起き上がろうとした。

 浮遊感があって、次に何かが透子の右肩にぶつかった。

 フローリングに重い何かが落ちる音がして、フローリングに肩がぶつかった痛みを感じた。

「ぎゃ!」

 身体の反射で出た自分の呻き声を聞いて、透子はようやく自分がベッドか何かから落ちたことを認識した。

「っつぅー」

 肩をさすりながら床に体育座りになって、周囲を見渡した。

 ひどくぼやけて何も見えなかった。

 そこに、どたどたどた、と何かが階段でも駆け上がっている音がして、部屋のドアが景気よく開けられた。

「お姉ちゃーん!」

「わっ!」

 音源が透子に思い切り抱きついた。

「お姉ちゃんお姉ちゃん! やっと目が覚めた! よかった!」

「ちょ、ちょっと、落ち着いて、茜」

「心配かけないでよ!」

 半泣きになりながら透子へ必死で抱きつく茜を、透子は落ち着かせた。

「そんな大袈裟な。ちょっとベッドから落ちちゃっただけでしょ」

「ちょっとじゃないよ! お姉ちゃん今日で三日目なんだから!」

「三日目?」

「ずっとお姉ちゃん、寝てたんだよ」

「え、え、え?」

「ほら!」

 茜はスマホの画面を透子に見せた。

「あ、ごめん、見えない、眼鏡」

「あ」

 そこで茜もちょっとだけ落ち着いた。眼鏡を透子に渡して、改めてスマホの画面を見せた。

 その画面には、確かに再登校開始三日後の日付が映し出されていた。

「本当だ。三日経ってるね」

「お医者さんに見てもらっても全然わからないだけ言ってるから何も出来なかったの。今日起きなかったら病院だったからね」

 そこまで言って、茜は透子に思い切り抱きついた。

「本当、よかった」

「ごめん、心配かけて」

「お母さんとお父さんにもメールしとくからね」

「お願い」

 その言葉を聴いて、茜はスマホをぽちぽちといじり始めた。

 透子を抱きしめたままで。

「……茜、それ文字打ちにくくない?」

 頭を撫でてあげながら透子が優しく言うと、茜は不満を讃えた表情で上目遣いに透子を見た。

「文字が打てなくてもお姉ちゃんはいなくならないもん」

「大丈夫だって、もうこんなことは起こらないよ、きっと。明日ちゃんと病院行くから」

「うん」

 茜はそのままの姿勢でメールを送りながら答えた。

 そしてそのまま時間だけが過ぎた。

「……着替えるから」

 眉を困ったように吊り上げたひきつり笑いを浮かべながら透子が言った。

 うゆ、と可愛らしい声を発して、茜もしぶしぶと言った態で透子から離れた。

「ところでさ、このへんて無事だった?」

 クローゼットから服を取り出しながら透子が聞いた。

「えっ?」

「いや、私が起きなくなった日の前の日かな? 街じゅう大騒ぎじゃなかった? 寝る前にすごくたくさんのサイレンが鳴ってたような気がするんだけど」

それを聞いて、茜の顔がきょとんとしたものになった。

「いや、ここ数日は何もなかったよ? いつもすごく普通の夜だったよ?」

「……嘘でしょう!? あんあことがあったのに!?」

 透子は慌ててサイドテーブルに乗っている自分の携帯を取って、ウェブのニュースサイトを開いた。城上市と事件で検索する。

 何もヒットするものはなかった。

 どれだけスワイプしても、どこで交通事故が起きたとか、そういったものしかなかった。

 街じゅうを覆った何かについてのことなど、何処にもない。

「ちょっとごめん、茜、私行かなきゃいけないところがある!」

 途中まできっちり着ていた服を乱暴に羽織ながら、大声で透子は言った。

「え?」

 突如豹変した姉の様子に戸惑う茜に

「本当大丈夫だから!」

 そう言うなり、透子は部屋からなだれのように階段を下りていく。

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん! 待ってよ!」

 茜の静止も聞かずに透子は家から飛び出した。



「う、動けん……」

 透子は地面にへたりこみながら、震える手で炭酸飲料のキャップを開けて喉に流し込んだ。

 甘さと炭酸の刺激が、体中へ急速にエネルギーを補給する錯覚を覚えさせる。

(要するに三日間飲まず食わずってことだからね)

 起き抜けに身体を酷使すればまあそうなるだろうね、と透子は思った。

 透子がへたり込んだところは、交差点の近くにある花壇だった。

 その周りを見ても、何かが起こっていたようには見えなかった。

 三日前、光来山へ行ったときには、そこかしこで事故が発生して、街全体が騒然としていた。

 透子は実際に、ひどく曲がったガードレールや標識、事故を起こした車、倒れている人々を見ていた。

 この交差点に来るまでも、そしてこの交差点でも、そしてここから光来山までの道でも。

 それを見ながら、自分にできることはなんだろうかと考えつつ光来山へ走っていったのだ。

 その痕跡が、これまでの経路上に何一つない。

(本当に、あの時に戻したのかな……)

 自分の両手を見ながら、「あの時」にあったことを思い出す。やめろと言えば相手が勝手にやめて、押し出す仕草だけで化け物が吹き飛ぶ。そんな力を振るったのが自分だったらしいという時間。街に手をかざすだけで、煙と喧騒が消えた時。

(……まさかね)

 そっと花壇に手をかざし、今は何も生やされていない土に対して

(咲いてみろ)

 と念じてみた。

 一分間、ずっとその姿勢のまま待ってみたが、特に何の変化も見られなかった。

(だよね)

 くだらない思いつきがまさに思いつきに終わって、透子はほっとした。周囲にはそんな透子の様を怪訝な瞳で見つめる通行人が往来していた。透子は自分が考えていることで一杯で、特に気にしてなかったけれど。

(でも、考えると、あったほうがお得なんだよな絶対)

 なんでそれに対して、今ほっとした気持ちになったのか。あの時は、ああまでイライラとした気持ちになったのか。

(ああ)

 曲がっていたはずのガードレール達(詳細を覚えているわけではないけれど)を見ながら、意識を失う直前のことを思い出した。

(私がいたところじゃない、だったっけ)

 自分がなんとか「それ」に対して答えた言葉。

『自分が思えばなんでもできる世界』は、自分がこれまで生きてきた世界じゃない。

 あの時言ったことははっきりと覚えていないけれど、気持ちとしてはそういうことなのだ、と透子は自分で納得した。

(あと単純に信用ならんよね)

 そう結論付けた。

(でも、直っちゃったものはどうしたらいいんだろ)

 透子は眉間に人差し指を当てながら考えた。

(……仕方ない)

 今更答えの出るはずもないし、もとに戻すこともできないことだった。苦笑いしながら透子は立ち上がった。

 そして、光来山へ向けてまた歩き出した。



 光来山神社も、何一つ変わったところのないたたずまいを見せていた。

 飛行体、セレラーンが乗っていた多分宇宙船(大きさからヘリみたいなものかもしれない)がぶつかってぶっ壊れたはずの本堂も、まるで損傷がないようにそこにあった。

 透子はその本堂に腰掛けて、境内の中を見回していた。そうすれば何かが起きると思っているようだった。

 残念ながら、そこで起きたことはカラスが鳴いたことぐらいだった。

「……ふう」

 大きく息を吐き出すと、透子は携帯のスイッチを入れた。

 画面には桜川優華の名前と電話番号が写されていた。下にある通話ボタンを押せば、彼女へ向けて電話をかけられるはずだった。

 その画面を凝視し、指を通話ボタンへ送ろうとする。

「……はあ」

 そこでため息をひとつ吐くと、透子は携帯の画面を消した。

 さっきからこの繰り返しだ。

 透子はかれこれ三十分はこれを繰り返していた。

 本堂が壊れてくれていれば別の行動をしていただろうけれども、最後の場所までこう「元通りに」なっているのを見て、透子の思考はそこで止まってしまった。

 本当はすぐに終わる話だ。

 電話をかけ、確認すればいいだけの話なのだ。

 けれど、透子にはそれが出来なかった。

 確認のためにかけた電話、その先にいる相手が、これまでの相手と違うという、その可能性を考えただけで、手が止まってしまう。

 携帯の画面を何度もいじくり回しながら、結局、通話のボタンは押せなかった。

 気が付けば、日が大分西に傾いている。夕焼けが神社を照らしていた。

「はあ」

 ため息をひとつついて、透子は腰掛けた本堂の階段から境内へ立った。

「……学校行ってからにしよう」

 それがろくでもない決断の先延ばしであることを自覚しつつ、透子は言った。とりあえず言うことで最低限の気力だけは確保した。

「帰るか」

 独り言をあえて大きめの声で言って、透子は歩き始めようとした。

 その目の前に、何かが見えた。

 ピンク色をした影が地面から這い出てきている。

「ひぇっ!」

 透子は即座にそれから距離を取った。

「帰れ帰れ!」

 そう言って指差したが、インカナが動じる気配はなかった。

「だああ! もう!」

(あれがあればな!)

 透子は数時間前に納得したことへ、早速意思をひっくり返したくなった。

 とりあえず県道へ出てしまいたかったが、それはインカナを挟んで透子の反対側にあった。

 じりじりとにじり寄るインカナに対して透子は一定距離を保てるようにしずしずと後ろに下がっている。

 その時だった。

「てりゃっ!」

 インカナが空中から落ちてきた桜色の影にしたたかに殴打され、地面に大の字になり、そして溶けていった。

 桜色のドレスを纏った魔法少女が境内に立っていた。

「あ、白野さん、こんにちは」

「桜川さん!」

 そこにいたのは桜川優華だった。

「ずっと学校休んでたから、心配したよ」

「あ、あ、うん」

 優華を見て、透子は幽霊か幻覚でも見ているのかと思ってしまって、呆然とした表情のまま固まっている。

 いや、少し考えれば、優華はインカナを退治するために魔法少女になったのだから、それがいる段階で魔法少女・桜川優華もそこにいておかしいところはないのだけれど。

「桜川、と白野?」

「赤井くん」

 今度は社務所の影から敬介が姿を現した。何故か大きなスコップを担ぎながら。

「え、白野さん?」

 その声とともに、智美と空太がやっぱりシャベルやスコップを持ちながら現れた。

「浅木さんに野々宮くん」

 敬介と空太は学校指定の運動着、つまりジャージ姿だった。智美は、いつかの魔女装束だった。

 透子はぼーっとした様子で四人を見つめていた。

「本当だ。白野さんだ」

 智美は意外なものを見つけたような表情で言った。

「……浅木さん、だよね」

 聞いた透子に対して、何言ってるんだこいつはという目線を透子に向けて、智美は

「もちろん」

 と答えた。

「それじゃ」

 顔色を伺うように、透子は三人に聞いた。

「ロトはどうしたの?」

「知らん、けど生きているんじゃないかな」

「魔女は?」

「さあ? とりあえず今はいないみたい」

「セレラーンはどうなったの?」

「一度帰るって捨て台詞吐いて以後は知らない」

「……そっか、そっか」

 そうつぶやいて、透子はその場にへたり込んだ。

 泣き出してしまいたいぐらいに、大きな感情が透子の中を満たしている。

「あははは、はははは」

「ど、どうしたの、白野さん」

 へたり込んだ透子を心配するように、優華が透子へ寄り添った。

「なんでもない」

 そう言うと、透子は優華に両手を回して抱きついた。

「わっ」

「でも、よかったぁ」

 戸惑う優華を透子はそのまま抱きしめる。

「わぁお」

 智美がそれを見て悪いにやつき笑いを浮かべた。

 敬介と空太はお互いに顔を見合わせ、肩をすくめた。



「みんなはどうしてたの?」

 大分落ち着いてから透子はみんなに聞いた。

「最後のことはみんなあいまいなんだよね。でも気が付いたら皆家にいたって。私も」

「で、登校日だったからそのまま学校行ったよ。全員学校で顔合わせて大笑いだ」

 敬介が肩をすくめながら言った。

「街が直っているのは本当にわからなかったがな……」

「本当にね」

「きっと妖怪に騙されたんだよ。あの燃えてる何かが全部悪いんだ」

 そう言った透子に向かって、敬介が言った。

「そういや、あれはもうここに無いんだよな。いや、この世界から無くなったかもしれんけど」

「そうなの?」

「あの日までは間違いなくあったし、あれば大体の場所もわかるんだけどな。念のため、前にしまった、というか封印した場所を掘り起こしてたんだ。それでもないし、もう本当にどこにもないんだろう」

「あれ欲しかったなあ」

 智美がそう言うと、

「やめとけやめとけ、ろくなもんじゃない」

 透子は手をひらひらさせて答えた。

 内心、ほっとした気持ちと、どことなく残念な気持ちがある。

(未練を絶ててないなあ)

 苦笑いしながらそう思った。

「そういえばあれに最後に触れてたのは白野さんだったよね。あれって結局なんだったの」

「悪魔か妖怪なんじゃないの」

 優華の問いに、透子はそっけなく言った。

「私も空中に飛ばされたり、散々な目に会わされたしね。三日も寝込んだのはそのせいだ、きっと」

 そう言って透子は話を一度切った。

 本当のことを言ってしまいたくもあったのだけれど、もうないのならもっと混乱させるようなことは言いたくなかった。

 だから、この話はそういうことで終わってしまって良いんだと。

(機械仕掛けの神様)

 ふと、そんな単語が頭に浮かんだ。

 劇の収拾がつけられなくなった時、全てを終わらせる神と、それを空中に浮かべる仕掛け。

 それを比定すると、自分が神役で、あのめんどくさい『炎』が仕掛けになることに気が付いた透子は喉ぐらいまで出掛かった呻き声を飲み込んだ。

(もういいや、本当終わりにしよう、そういうの)

 とめどなく頭に浮かぶことを無理やり押し留めて、透子はすっぱりと何かを言おうとした。

 その時だった。

「お姉ちゃん……」

 喉がすり切れたような声とともに、じゃっ、と砂利を踏みつける音がした。

 そちらを見ると、中学生の女の子がぜえぜえと息を切らせながら透子を見ていた。

 透子の妹、茜だった。

「お姉ちゃん!」

 茜はそう叫ぶと透子に向かって全力疾走した。そしてレスラーさながらといったタックルで透子を引っ転がした。

「はぅ!」

「バカ! バカ! すぐどっか言った! 嘘ついた!」

「いだい! いだい! やめて茜!」

 泣きながら駄々っ子のように腕を振り回して、ぽかぽかと(軽くだけど)殴ってくる茜を押し留めるように透子は言った。

「……その子は?」

「妹の茜。世界一かわいい私の妹」

 優華の質問へ自信満々に透子はそう答えた。

 そう答えたときには、もう考えていたことも吹き飛んでいた。

「ごめんって」

 軽く茜を押し込めて離させると、透子は起き上がって茜に手を伸ばした。

「今日は、もう本当に離れないからね」

 茜はそう言われて、不満げなような、少し嬉しそうな、実に表現に困る表情をしていた。そして、透子の手をそっと握った。

「それじゃ、私は帰るね」

「おう、また明日」

「明後日になるかもしれないけどね」

 そう言って、透子はみんなに手を振った。

「じゃ、帰ろうか」

 透子は茜の手を取って階段を降り始めた。

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白野透子の周辺事情 ZENINAGE @kanto1310

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