第18話 最後のスポットライト



「……あっつく、ない?」

 両手を見ながら透子は呟いた。

 燃え盛るものを両手でキャッチしたのだから、熱さを感じてもよかった。いや、直ちに皮膚が焼け、服が燃えだしてもおかしくないような熱量を感じるものを受け止めたはずだった。

 だが、透子の両手にも、すぐ近くに転がった木々にも、散らばっている枯葉にも、火が付くことはなかった。

「……白野さん?」

 何を言っていいものやら、ぽかんと開けたまま、智美が透子に聞いた。

 びくりと身体を震わせて、そっと透子が智美へ振り向いた。

「や、やあ、浅木さん」

 引きつった笑顔で透子が答えた。

「何、してるの?」

「えーっとだね、ちょっと、様子を見に……」

 ぎこちない動作と声で透子が答えようとして

「白野さん!?」

「白野!?」

 優華や敬介たちが驚きの表情で透子を注視した。

「あ、ど、ども、みんな……」

 透子の引きつり笑顔はもっとひどくなった。ぱっとみれば満面の笑みに見えるが、目が怯えたようにきょろきょろ動いている。

「えーっとだね、来る気は最初なかったんだよ? でも、なんか街じゅう大騒ぎになってるし、空には宇宙船が浮いてるのが見えたし、インカナも出てくるし、光来山はすごく明るかったし……だから、その、みんなのことが気になって……」

 しどろもどろになって、言い訳じみたことを透子はただ言い続けた。

「何が起きてるかはわからないけどさ、きっと、みんな戦っているんだな、って思って……」

 そうやって喋っているうちに気持ちが落ち着いたようだった。一度そこで深呼吸をして、言った。

「よく考えたら、私が来ても何も出来ないんだけどさ。でも、家でじっともしてられなかったんだ」

 透子は、困ったような笑顔を浮かべて、あはは、と乾いた声で笑った。

「白野さん……」

 優華が、そんな透子を感激したような目で見つめた。

 智美はそれをみて、桜川さんはチョロい、などと思ったが。

 あまりに唐突な闖入者に、その場の流れが断ち切られたようだった。

 優華も敬介も空太も智美も、ロトや三人の魔女、セレラーンとその護衛たちも、引きつり笑いを浮かべた透子を見ていた。

 あまり注目されるタイプでもなかった透子は、その気恥ずかしさで引きつり笑いがもっとひどくなった。

 誰もが毒気を抜かれた表情になっていた。

 しかし、その場にはそういった心の機微を気にしないものたちがいた。

「あ」

 その存在、インカナが自分に寄って来るのを透子はしっかり認識した。

 透子が漏らした言葉で、その場にいる全員が、自分がいる場所をもう一度認識しなおした。

 妙な雰囲気に断ち切られたが、この場所は混沌とした戦場だった。

「白野は逃げろ!」

 敬介がまず叫んだ。

「うん!」

 言うなり、自分をかばった敬介から離れるように透子は階段へ後ずさった。

 すると、まるで意思を持つように、白い炎が透子から離れない様に後を付けてきていた。

「は?」

 つかず離れずの距離を保ちながら、それは確かに透子について来ていた。

「ちょ、ちょっと、なんだこれ、ついてくる!」

 パニックを起こした透子が長い階段を全力で下った。その後ろに白い炎はきっちりと付いてきている。インカナ達も、それを狙って透子を取り囲むように動いていた。

 優華たちは防ごうとしてくれていたが、距離が離れてしまった上に数の差がありすぎた。

「ひえええええええ!」

 心の底からの叫びを上げながら透子は階段を全力で下りていった。そして県道に出てもなお走り続けた。

「あっ、だぁ!」

 運動は見た目に反してできる方だが、一般人の枠を出るものでもなかった。暗闇の中を走っているときに、道にあいた小さな凹凸を感知することはできず、それに足を引っ掛けて思い切り転んだ。

「いったぁ」

 声に出しながら、さっと透子は立ち上がった。

 すると、前方の路上に、いつの間にかインカナが壁を作っているのが見えた。声にならない悲鳴を上げて、透子はその場で立ち尽くした。恐怖を感じていなければ、かえってその場でへたり込んでいたかもしれない。

「いや、ちょ、来ないで……!」

 後ずさってあたりを見回すが、後ろもインカナの群れに押さえられていた。優華たちはそのさらに向こう側で、別の群れに足止めされている。

 立ちすくむ透子に対して、彼らは包囲の輪を縮めてくる。

「やめて! やめろ!」

 両手を、掌を相手に向けて突き出して透子が叫んだ。

 それと同時に、透子の進路を塞いだインカナがまとめて吹き飛んだ。

 まるで、ボウリングでストライクを取ったとき、ピンが跳ね飛ぶように。

「はい?」

 吹き飛んだインカナは色を失って地面に溶けた。優華がインカナを倒したときのように。

 何が起こったのか透子には全く理解できなかった。呆然と周囲を見回した。

 後ろについていたインカナ達がたじろいでいるように見えた。

「……巣にお帰り?」

 透子がそうつぶやくと、今度はもはや吹き飛ばされもせず、地面に溶けることもなくインカナが消滅した。

 まるで、何もそこにいなかったと言いたいように。

「白野、さん……?」

 その様を智美はしっかりと見ていた。

 背筋に冷たいものが走るのを智美は感じた。

 言うだけで、言ったことを世界が実行する。

 ややこしい準備など不要な、不思議な力。それを魔法と、自分たちは呼んでいる。

 その力を透子は行使したのだと智美は思った。

 これだけ様々な事象に巻き込まれていながら、魔術のひとつ、あるいは超能力なども持っていないはずの平凡な同級生が。

 その透子は、智美に救いを求めるような目線を送っていた。

「えっと、どうなってるの、浅木さん……」

「さ、さあ……?」

 智美が頭を捻っていると、透子の足元に『炎』が寄ってきていた。透子の近くが定位置であるかのように。

「どうすればいいの、これ」

 それを指差しながら透子は落ち着かない様子で視線をきょろきょろ周囲に送った。

 その周りにはその場にいた皆がいたが、誰も透子のことに解答できない。

 突然、ロトが透子に掴みかかった。

「それを寄越せ!」

「きゃ!」

 襟首を掴んでねじり上げる。怒りをたたえた両目が眼前から透子を睨みつけている。

「おい、ロト!」

「黙れ! どうしてお前なんかが……!」

 憎悪さえこもった目をして、透子を絞め殺さんばかりの勢いだった。

「と、とりあえず離して!」

 と、透子が言うと、表情も何も変わらぬまま、ただロトは襟首を掴んだ手を離した。

「……なんだと?」

 ロトが信じられないように自分の両手を見た。

 自分が言ったことがまた勝手に実現して、透子は目をぱちくりさせている。

「と、とりあえずちょっと離れて……」

 軽く、本当に触れる程度に透子がロトを押し出した。

 瞬間、ロトの身体が吹っ飛ばされ、擁壁に叩きつけられた。粉砕された壁の一部と共その身体が崩れ落ち、そして動かなくなった。

 背筋に沿って冷たい何かが走った気がした。

「……やっちゃった?」

 智美がその有様を見てぼそりと言った。

「ちょっと、やめて! やめてよ!」

 倒れたロトを見ながら、透子は泣き出しそうだった。

 その時、ふと、とんでもない予感が透子の頭をよぎった。

 透子が、吹き飛ばされたロトに近づき、手をかざした。

 低い呻き声とともにロトが身体を起こす。叩きつけられた擁壁は、気が付けば何も無かったように元通りになっていた。

「……俺は、どうなったんだ」

 ロトが理解できないという表情で透子の顔を見ている。

 その様を見た空太が思わずつぶやいた。

「……どうなってる?」

 その言葉に透子は思いっきり反応した。もっとも聞きたくない台詞だったかもしれない。

「いや、これってあの世界を変える力とかってやつでしょ、赤井くんとロトが奪い合ってるやつでしょ! どうなってるじゃないよ、教えてよ!」

「わからない! 俺が前に起動できたときだって、ここまでのことは起きなかった!」

 敬介が透子にとって絶望的な事実を告げた。

 ふらふらとする頭を抱えながら透子は誰彼構わず問いかける。

『セレラーンさん!』

『な、なんですの?』

「えーっと、オキッドさん!」

「残念ながら、貴方が何かをするときに現実そのものが変わっている、ぐらいしかわかりません」

「そこの、魔女の人たち!」

「それをこれから調べようという話だから、わからないね」

 そして誰からも、何も得るものはなかった。

「これ、本当どうすればいいの!?」

 困惑の目で皆を見回しても、答えられる人間はそこにいなかった。

 皆、自分の力をどのように使うかはわかっているけれど、突然、現実そのものを粘土のようにいじくれるようになった人間にできるアドバイスなど、誰も持っているわけがなかった。

 自分が言ったのが答えられない問いだと理解して、透子は錯乱したように『炎』に向かって甲高い声を上げた。

「どうするんだよ! 責任者、出て来い!」

 進退窮まった透子は、絶対に返事がないだろうことを叫んだ。

 すると

<<はいはい>>

 ひどくフランクな声が、透子に聞こえた。

「はへ?」

 絶対に返事がないはずの言葉に返事を返されて、透子は周囲を見回した。

<<わたしはあなたを待っていたよ>>

 聞き覚えのある声だったけれど、誰の声かはわからなかった。

「……『炎』さんですか?」

<<なんとでも言えばいいよ。あなたがそうしたいのなら>>

 声は優しい声でそういった。

「白野さん、誰と話してるの?」

「えーっと、なんか責任者がそれにいるみたいだから、話している」

 そう言うと、透子は改めて『炎』と向き合った。

「じゃあ『炎』さん?」

<<ええ、ずっと待ってましたよ、あなたを>>

 声は優しげに透子へ語りかけてきた。

<<じゃあ、世界を変えましょうか>>

 が、次に届いた言葉は理解不能だった。

「はい?」

<<それがあなたの望みだから>>

「いや、話が見えないんだけど」

 透子は空中を漂う霧のような言葉に困惑していた。自動生成された言葉を適当に発しているんじゃないか、という疑惑に囚われた。

<<あなたはもうわかっているはず。自分が世界を好きなようにできるって>>

「だからそれをどうすればいいのって聞きたいんだけど」

<<好きなようにすればいいんだよ>>

「だからそれをどうすればいいんだって言ってるんだろうが!」

 答えになってない答えに透子が語気を荒げた。すると『炎』はまるで生徒に道理を教える教師のように言った。

<<インカナだっけ、それに追いまわされたくなければそんなの消してしまえばいい。逆にやっつけたいなら自分が桜川さんみたいになればいい>>

「そんなのできるわけ……」

<<まあそこは論より証拠で。さっきもやってたけど>>

 透子の言葉を遮って『炎』が言った瞬間、透子の身体が宙に浮いた。

「う、うっひゃああああっ!」

 反動も推力もなく、本当にただ浮いた。

 足元はるか下の道路で優華が何かを叫んでいるけれど、距離と風のせいで透子には聞き取れなかった。

 城上市のほうを見ると、あちこちに煙が上がっていて、パトカーや救急車のサイレンがそこかしこから聞こえてきている。街全体がざわめいているようだった。

<<ひどい有様だよね。ちょっと元に戻してみたくならない? 軽く手をかざして>>

 透子が言われたとおりに手をかざすと、街から一瞬で煙と喧騒が消えた。

<<ほらこの通り>>

「ちょ、ちょっと、ちょっと……」

 自分が起こしたことにまた戸惑っていると、『炎』の声が畳み掛けるように透子へささやいてきた。

<<こんなふうに、なんでもできるからさ、好きなようにしようよ>>

「そう言われてもできるわけないでしょ」

<<必要なら前提条件を変えてみるってのはどうかな。眼鏡がなくてもいい自分。ほらそれだけでも見え方が変わるでしょう、自分も、他の人も>>

 透子の言葉を気にすることもなく、『炎』は軽薄に、透子ができることをあれこれと並べて話している。

 透子は露骨に不快そうな表情になって、沈黙していた。

<<できないと思うなら出来るようにしてしまえばいいんだよ。今だってこうして空にいるんだから。下の誰もこんなことできない>>

「……それはただのチートだろ!」

 長々続く御託、その最後の部分で、透子は怒りの言葉を上げた。

<<ルールがなければチートもないよ。それを咎められるものは何もない>>

「そんなの私がいやだ」

 そう言ったとき、透子の身体は地面に降りた。姿勢を変えることもないまま、物理法則をほぼ無視した不自然な着地だった。

<<おや>>

 意外そうな声で『炎』が言った。

<<いいのかな、本当になんでもできるのに>>

 残念そうな声で言う『炎』に

「いらない」

 透子は不機嫌にそう言った。

<<それなら……>>

「いらない!」

 なおも何かをいいたがる『炎』に対して透子はただ拒絶した。

「私がやりたいのはたった一つだ! 全部普通に戻れ! このやろ!」

 そして燃える炎に向かって、透子は心の限りで叫んだ。

 瞬間、炎はより明るく広がった。

「え?」

 周囲全てを白く染め上げながら、光は際限なく広がっていく。

(何が起きたの!?)

 何か好ましからざることが起きているとだけ感じた。

<<望みどおり『普通にしている』んだよ>>

 自分の声がそう言った。

<<ところで、どういうことが普通に、なのかな?>>

「そりゃ……」

 そこで透子は詰まった。

 普通に戻れば、程度の気持ちで透子はそう言った。

 けれど、普通に戻るとはどういうことなんだろうか。

 ある日の放課後インカナに襲われ、そこを優華に助けられた。それからの半月強は、大部分が明らかに普通とはかけ離れた日々だった。

<<その時に戻るのかな? それとも、皆が普通な世界にするのかな>>

 心の中を見透かしたように声が響く。

 それと同時に頭の中にイメージが湧く。

 ちぐとみっち、そして自分、その輪に入ってくる優華と智美。

 敬介と空太は前の席であれこれ言い合っている。

 そして、どんな不思議なことも起きない世界。誰も戦わなくていいし、妙なことに巻き込まれなくてもいい世界。

 透子はそこまで思い浮かべて、頭をぶんぶんと大きく横に振った。

「それはダメだ」

<<なぜ?>>

「それは私の来た世界じゃないから」

 言葉と思いが頭と胸に詰まって、すべてを言葉に出来ないなかで、透子はそれだけをどうにか声に変えた。

 光がいよいよ全てを漂白していく。

「白野!」

「白野さん!」

「白野!」

「……透子ちゃん!」

「……みんな!」

 際限ない明るさと、音として認識できない音が全てを包み込む中、自分を呼ぶ声に答えるまでが透子に出来たことだった。



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