Ed

「ジェイド、やだ、だめ、しなないで」

 屋敷で殺された小鳥の姿がルリの心を過ぎった。

 ルリの瞳から大粒の涙が落ちる。

 揺さぶる体に力はない。

 どうして、何故。

 これ程までして自分を自由にしてくれた、そんな優しい男が、死んでいいはずなどない。

 ざわり、と胸の奥が冷たくなる。

 ルリの涙が顎を伝い、胸の宝石を濡らす。

 ダメだ、この男のことは死なせない。呼び戻さねば。

 不思議と冴えた頭の中で咄嗟に、逝くな、とまるで自分のものではない声が響き、ルリの喉を震わせた。


「だめ! 戻って! 目を開けなさい、ジェイダイト!」


 体から膨大な力が溢れ出す。

 それはルリの体内で光り、泣き叫んだ声と共にジェイドの体を包んだ。

 一瞬の後、ルリが我に返ると、そこには数度咳き込んだジェイドが、驚いた様子で飛び起き自分を見ていた。

「な、あ……?」

 何が起こったのか。

 理由も分からぬまま自分の両手を見つめ数度頬を叩いたジェイドに、ルリは思い切り抱きついて泣いた。


 花畑の向こうであのじゃじゃ馬姫が手を振るのが見えて、思わず引き返した。

 そんな光景を見たような気がする。

 泣きじゃくるルリを連れ、ほうぼうの体でアンバル国境へと訪れたジェイドを、兵士たちは慌ただしくも迎え入れた。

 亡命者であることはその有様から疑われることはなく、当初の予定こそ狂ったものの、アンバルの地を二人で踏むことが出来たというわけである。

「……なーんで生きてんだぁ?」

 泣きつかれて眠ってしまったルリに尋ねたところで、寝息くらいしか返っては来ない。

 正直なところ、体のいたる箇所が痛むジェイドにはかなりの重労働であったが、まさかここまで来て宝石持ちの少女を放り出して倒れたりなどしたら後世までの笑いものだ。

 いや、笑い話で済めばいいが、実際そうはいかないのだ。

 諸々の手続きを済ませ、文字通り足を引きずりながら、なんとか第一の候補としていた魔術師の家の扉を叩く。

 老婆と比べてしまえば随分年の若い魔術師は直ぐに扉を開けると、酷い有様のジェイドをすんなりと迎え入れた。

「どうしたんだ、随分いい男になったじゃないか」

「……今そういうの返せねーわ」

「そうだろうな。寝床は自由に使え。その子と二人くらいなら眠れるだろう」

 通された先のベッドへ倒れ込み、そのまま泥のように眠る。

 半日ほど眠っていたのか、ジェイドが次に目を覚ましたころには日が暮れており、窓から差し込む僅かな日の名残で隣の少女の顔を見た。

 どうやら寝返りすらうたなかったようだ。

 走り慣れていない体で駆け回ったルリもよく眠っている。

 ジェイド自身も確かに体は疲れ切っていた。

 が、それ以上に腹が減っている。

 死の淵を確かに覗き込んだはずだが、こうして腹が減るのなら間違いなく生きているのだろう。

 何かの作業に没頭していたらしき魔術師はジェイドの顔を認めると、机の上に用意されていた食事を指差した。

「頃合いだろうと思ったよ。こんなものしかないが許せ。お前が来ると知っていたらもう少しマシなものを用意しておいたんだが、生憎おばば殿と違って常に外の気配やらを探るような余裕はなくてな」

「……いや、十分だ。ありがたく頂戴するわ」

 あの薬草粥と比べたら、こちらはいくらか豪勢だ。

 少しばかり硬くなったパンも、薄く味の付けられたスープにつけてしまえば程よく腹に沁みる。隣の家から恵まれたという卵を焼いたものも、少々大きな塩の塊を噛み砕いてしまったことを除けば美味かった。

「ははあ、お前が素直に礼を言うなんて、余程応えたのか。今回の盗みは」

「ああ……まあ、うん。そうだなぁ。一回死にかけたしな」

 どういうことかと目で訴える魔術師に、これまでの経緯をかいつまんで説明してやる。

 魔術師は暫し考え込んだ後に、ジェイドに改めて目を遣りながら首を捻って見せた。

「……あの眠っている子の魔力かと思っていたが、よくよく見てみればお前の体の至る場所から魔術の気配を感じるな。もしかすると、本当に一度死んだのかもしれないぞ」

「はぁ? 死んだって、いやーそりゃないだろ。そしたらどうやってこんな、生き返ったりなんか……」

 否定の言葉を口にしかけて、ジェイドは直ぐに口をつぐむ。

 魔術師の視線は明らかに寝室へと向けられていた。

 いやいや、まさか。

 そう言いたいところなのだが、彼女の他には誰も、あの場にはいなかったのだ。

「まあ、何にせよお前もこれで懲りただろう。そろそろ小汚い仕事からは足を洗ったらどうだ? 未だに腕は健在なわけだ、護衛の仕事なら引く手数多だろうに」

「……護衛、護衛ねぇ。それで実質二回は死にかけてんだわこっちは」

 勿論今回は盗みも関係しているのだが。

 同郷の魔術師、かつての王室お抱え魔術師は、なんとも愉快そうな顔でニヤリと笑って見せたので、ジェイドはひとまず後ほどその膝裏を軽く蹴飛ばしてやることにした。



「言っただろう、美しい宝石は魔術にも重宝されると」


 朝になり、目を覚ましたルリが再び泣き出しそうになるのをどうにかなだめたジェイドは、魔術師を通じ老婆へ何が起こったのか説明を求めていた。一度は死んだはずの自分が何故まだこの世に存在しているのか。正直なところ、生き返ったことに対し困惑はすれど、喜ぶことは出来ていない。手放しに喜べない理由は、まさにこの質問に集約していたのだ。何か知っているのだろう、と詰め寄ったジェイドに、魔術師の体を借りた老婆が呆れたように言葉を続ける。

「その子の目を見てみろ、片目は夜明けの色合いだ。目の宝石を使ってお前を呼び戻したんだよ。ま、宝石持ちがそんなことをしたのは、あたしも初めて見たがね」

 既に気が付いてはいたが、言われたのにつられてルリへと目を遣る。泣き腫らしたまま眠りについた目は、少しばかり腫れ赤く染まっていたが、確かに左の目はあの紺碧ではなく夜明けの空のような不思議な色をしていた。ルリはジェイドが話すだけでも嬉しいのか、初めに泣き出しかけた以降は終始笑顔のままである。

「つったってよ、こいつ魔術も何も知らねえのになんでそんな大それたこと」

「お前が寝ている間に少しだけ話をしてやった。まあ、隠れた膨大な魔力と素質があったんだろうねえ。詳しいことはあたしにも分からんさ。何より片目は種類が変わっただけで相変わらずに宝石のままのようだ。……お前は自分をよく知る必要があるね、ルリ」

 老婆の言葉に、宝石の少女が強く頷いた。眩暈のする頭を抱え、ジェイドはここ数日で何度目になるかもわからない自問を繰り返した。ああ全く、どこで何を間違えたのやら。ルリの目は日の光を受けて美しく輝きながら、ジェイドを見上げた。

「ジェイド、わたし、がんばってまじゅつおぼえる。それで、ジェイドのこと、たすける」

 力強くそう述べて、ルリはにこりと笑って見せる。これまで見た中で、一番人間らしい表情だ。……ああ、生き生きとしているようで何より。ジェイドはとうとう、外堀が埋まり切ったのを感じた。

 いくらか休めたとはいえ、数人相手に立ち回り駆け続けた体は満身創痍。しばらくはこの魔術師の家に厄介になる必要があった。その間、彼女はきっとこの魔術師から知恵と力を授けられるだろう。そういう男だ、この魔術師は。逃げ出してしまいたい気持ちにも襲われるが、もはやこれは逃れられない宿命というやつなのだろう。

「腹を決めるんだね、ジェイダイト。お前はそういう星のもとに生まれちまったのさ」

「……あーあ、どうすっかねえ、この先!」

 逃げ場のない状況に対して必要以上に大声で言ってやれば、体を貸しているはずの魔術師が笑った。ルリの方も笑みを浮かべたまま、何度目かも分からぬ抱擁を求めてジェイドへ腕を伸ばしている。仕方なしに応えてやれば、少女は初めて笑い声を上げてみせた。

 思いがけず拾われてしまった命は、言うなれば既にこの少女のものである。助けるどころか守られているのはどちらか、という話だ。とうとう身の振り方を改める時が来たのだろうか。そう考えつつも口ではそのことには触れず、ジェイドは静かにルリの頭へ手を乗せた。

 そうだ、一つだけ明確に分かる間違いは、ジェイドは大概こうした意志の強い女は、実のところ嫌いではないのだった。

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紺碧の夜明 字書きHEAVEN @tyrkgkbb

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